第8話 夜中のコンビニ

「はぁ……疲れた」


 我が家に来て早々、雪河はソファーにダイブした。

 徹夜で学校に行って、放課後もクラスメイトに付き合ったらそりゃ疲れるに決まっている。


「あ、ごめん。ソファー占領しちゃって」


「別にいいよ。それで、今日はどこに行ってたんだ?」


「駅前のゲーセン行って……その後は飲み物だけ買って外で適当に駄弁ってた。絶対今日行く意味あんまなかったって……」


 そう言う雪河は、どこか不貞腐れた様子だ。

 

「お前はえらいよ、ほんと。俺があの状況に置かれたら、絶対ついて行かないし」


「んー……でもあのままにしておくと面倒くさそうだったし。あとでぶつぶつ言われるくらいなら、ついてって仲直りしておく方がマシなんだよね」


「まさか……謝ったのか? あの、えっと……渡――――」


「渡辺ね、渡辺ユカ。そう、謝ったよ。あの子結構粘着質っぽかったし」


「へ、へぇ……」


「なに? その納得いってませんって顔」


「だって、雪河は一つも悪くないだろ?」


 どうして雪河が謝らないといけないのか、その理由が分からない。

 雪河にだって事情があるわけで、遊びから早抜けするのだって咎められることじゃないはずだ。

 前々から約束していることならともかく、昨日は突発の会だったはずなのに――――。


「私だってそれは分かってるけど……まあそれでネチネチ言われなくなるなら、ここで謝っておいた方が楽だしね」


「……大人だな、雪河は」


「面倒臭がりなだけだよ。目先の楽さじゃなくて、さらに先の快適さを取っただけ」


 それこそ大人っぽい証だと思うのだが、議論は平行線を辿りそうだったため、ここで黙ることにした。

 少なくとも、人間関係から逃げようとしない時点で、雪河は俺なんかより余程大人っぽい。


「それに……せっかく場を取り持ってくれたハルにも悪いし。基本人間関係ってめんどくさいけど、ハルだけはすごいよくしてくれるから」


「桃木とは普通に仲いいのか」


「まだ出会ってから大して時間経ってないし、これから仲良くしていきたいって段階。あの子、本当にいい子なんだよね」


「……見てる限りのことしか分からないけど、気を回すのが上手いよな」


「そうそう。ああやってグループを作ったのもハルだしね。私もハルに声かけてもらわなかったら、多分みんなに自分から関わることはなかったと思う」


 もしそうなっていたら、雪河からはもっと近寄りがたいオーラが出ていただろうなと予想する。

 そしたら俺が雪河と接点を持つ可能性なんて、本当にゼロだ。

 こうなったのは、ある意味桃木のおかげと言ってもいいかもしれない。


「とりあえずめっちゃ疲れたから、シャワー借りていい? 汗流したくて」


「ああ……ってかちょっと待て。まさか今日も泊まってく気か?」


「ダメ?」


「……俺はいいけど、着替えとか大丈夫なのか? 二日連続だしさ」


「大丈夫。今日ここに来るまでに一回家に寄って持ってきたから。……制服は着替え忘れたけど」


 そう言って雪河は足元に置いてあったリュックを指差す。

 なんとなく感じていた違和感はこれか。

 昨日はスクールバッグだったから、少しおかしいと思ったのだ。


「ついでにワイシャツも洗濯していい? さすがに二日連続で着ちゃったから、これ以上はちょっとって感じでさ」


「お前……まあ、それも別にいいけどさ。どうせ俺も洗うし」


「やった。じゃあ洗濯機突っ込んどいていい?」


「ああ、頼む」


 着替えを持った雪河が、風呂場へと向かう。

 まさかこんなにも早く彼女が家に来るとは思っていなかった。

 来られて困ることなんてほとんどないし、別に招くこと自体は構わない。

 しかし変な勘違いをしてしまいそうになることが、唯一のネックだった。


「――――ねぇ、ボディソープの替えってある?」


「うおっ⁉︎」


 突然雪河がリビングに戻ってきて、俺は驚きのあまり飛び跳ねてしまった。

 なんといっても、戻ってきた格好がまずい。

 雪河は今、裸に対しバスタオルを巻いただけの状態。

 ただでさえ露出が多い中、到底片腕じゃ支えきれないであろう二つの大きな塊が、零れ落ちそうになっている。


「あ、ごめん。家だといつも一人だから癖で」


「い、いいから扉を閉めてくれ! ボディソープの替えなら洗面台の下の棚に入ってるから!」


「分かった、ありがと」


 雪河が廊下に続く扉を閉める。

 昼間体育の時間にクラスメイトが話していたことが頭をよぎり、余計に意識してしまった。

 女子と話した経験すら少ない俺に対し、このイベントは刺激が強すぎる。

 なんとか頭を冷静にしようと水をがぶ飲みしていると、何故か再び扉が開いて、雪河が顔を出した。


「ねぇ、一緒に入る?」


「ぶっ……⁉」


「なんて、冗談冗談。今度こそお風呂もらうね」


 悪戯な笑みを浮かべながら、雪河は今度こそ完全に扉を閉めた。

 こんなからかい方をしてくるんだな、雪河の奴。

 やっぱり学校にいる時とは、かなりイメージが違う。

 

 まさか――――相手が俺だから?


(……なんてな)


 浮かれる必要なんてない。

 きっと雪河にはそういうつもりなんてないし、期待するだけ悲しくなるだけだ。

 勘違いして恥をかくくらいなら、最初から諦めた方がいくらかダメージが軽くなる。

 

 しかし、なんとも思っていない奴をからかって遊ぶことがあるだろうか?


(あり得ない……)


 あり得ない……はずだ。


◇◆◇


 少し時間が経ち、俺も風呂を済ませてリビングへと戻ってきた。


「ふぅ……何やってんだ?」


「えっと、その」


 部屋に入ると、そこには何故かそわそわした様子の雪河の姿があった。

 彼女は俺の方をチラチラと見ながら、自身の財布を取り出す。


「あのさ、割と夜遅くてあれなんだけど……ちょっとコンビニまでアイス買いに行かない?」


「……!」


 時刻は二十二時の少し前。

 あまりで歩くのはよろしくない時間帯だが、幸いコンビニは歩いて数分のところにある。

 買って帰ってくるだけなら一瞬だ。


「よし……行くか」


「そうこなくちゃ」


 俺と雪河は、財布とスマホだけを持って部屋を飛び出した。

 もちろん、戸締りだけはしっかりしたけども。

 

「はー……涼しい」


 外に出た途端、雪河がそんな言葉を漏らす。

 四月も中頃。冬の寒さはかなり落ち着き、パーカーを着る程度で十分な気温の日が増えてきた。

 風呂上りということもあり、涼しい風が心地いい。


「ずっと憧れてたんだよね、夜中に友達とコンビニ」


 雪河はどこかはしゃいだ様子で、アスファルトに落ちていた小石を蹴る。

 まだ深夜というほどでもないが、元々人通りが少ないうちのマンションの前に人影はない。

 そんな道を、二人で歩く。

 何度でも思うが、まさかあの雪河とこんな関係になるとは思ってもみなかった。


「夜の誰もいない道って、なんか漫画とかアニメの世界みたいじゃない?」


「それめっちゃ分かる」


 非現実に身を投じたような高揚感と、背徳感。

 そういった普段味わえない感覚が、自然と俺の気分を上げる。

 

「てかさ、私たちそもそも夕飯食べてないよね?」


「え⁉ 食ってきてないのか? てっきり桃木たちと済ませてきたのかと……」


「コンビニでアメリカンドッグ食べたけど、全然お腹ペコペコ」


「じゃあそれもなんか買うか」


「別に永井が作ってくれてもいいけどね」


「ああ、作ってもいいなら作るけど……」


「え?」


 少し前を歩いていた雪河が、驚いた様子で俺の方に振り返る。


「普段は自炊してるし……まあ簡単な物ばっかりだし、人にふるまうレベルじゃないけど」


「冗談で言ったんだけど……でも、正直めっちゃ食べたい」


「わ、分かった」


 やたらと強い圧を放ちながら要求され、俺は頷くことしかできなかった。

 

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