第4話 泊まっちゃだめ?

「わ……思ったより広い」


 最寄り駅から徒歩十分。

 俺の借りてるマンションに来た雪河は、部屋に入って早々そんな感想を漏らした。

 確かに高校生の一人暮らしという割には、俺の部屋のサイズは中々のものだと思う。

 十畳のリビングと六畳の部屋の1LDK 。

 そのうち六畳の部屋の方は寝室で、リビングの方は大きなテレビと三人掛けのソファーが一つ。

 その他のスペースは、ほとんどが本棚で埋まっている。


「ここは親父がたまたま持ってた不動産で……って、小難しい話はいいか」


 俺はワイシャツのネクタイだけ外し、雪河にはソファーに座るよう指示を出した。


「とりあえず飲み物でも用意するよ。えっと……インスタントコーヒーでいいか?」


「うん、ありがと」


 キッチンの方でお湯を沸かし、マグカップでコーヒーの粉を溶かす。

 お湯が沸くまでの間、ふとリビングの方を覗き込むと、そこにはソファーに寄りかかってだらだらし始めた雪河の姿があった。

 男の家で二人きりだというのに、ずいぶんとリラックスしている。


(まあこっちとしてもありがたいけど……)


 変に緊張されると、こっちも変に意識してしまう。

 むしろこれだけラフな態度でいてもらえる方が、俺としてはありがたかった。


「……はい、コーヒー。悪いけど、砂糖とミルクは自分で入れてくれ」


「ありがと。ごめん、ダラダラしちゃって」


「それは別に構わないけど」


「なんかこの部屋すごく落ち着くんだよね……いい匂いがするっていうか」


 そう言いながら、雪河が鼻を鳴らす。

 自分の部屋の匂いを嗅がれるのは初めてだが、正直かなり恥ずかしい。


「ごほんっ……とりあえず、『トゥエンティナイツ』流しとく?」


「うん、それあり」


 俺はテレビに備わっている配信アプリを開き、トゥエンティナイツを一話から流す。

 

「何度見ても思うんだけど、やっぱり登場人物多すぎだよね」


「ああ、俺もそう思う」


 まず一話から二十人全員の背景を描こうとしているところが、若干間違っている気がした。

 騎士たちが己の目的のために殺し合う話なのに、十二話という短い話数しか与えられなかったせいで、色々ぎゅうぎゅう詰めになっている。

 中には尺不足なせいか異様に早口のシーンなどもあり、もはやそれもギャグとしか思えない。


「……シュールギャグとしては完成度高いよね」


「監督はそういうつもりで作ったんじゃないって怒ってたみたいだけどな」


「へぇ……てか永井って、そういうインタビューみたいなのも見るんだ」

 

「一度見た作品の情報はとりあえず調べたくなる質でさ」


 作中に出てきた言葉で知らないものがあったり、気になったことがあったらすぐに調べるようにしている。

 ある意味俺にとっては癖の一つなのかもしれない。

 そこまでやる意味は何かと問われれば、まあ、明確な答えはないのだけれど。

 ただ、どこで使うかも分からないうんちくや知識が溜まっていく感じは、ぶっちゃけ嫌いじゃない。


「じゃあ……トゥエンティナイツがこんな風になったのは、監督のせいなのかな」


「……そうなるな。でも、腕が劣ってたわけじゃないとは思う。同じ監督が作った『マリオネット・ハーレム』はめちゃくちゃよかったし」


「え、あれ監督一緒なんだ……そっちは大好きなんだけど」


「ちょっと古い作品だけど、キャラクターとかに古臭さが一切ないし、面白かったよな」


『マリオネット・ハーレム』、略して『マリハレ』とは、普通の男子高校生の主人公が、人形職人の祖父が残した蔵の中にあった四体の精巧な人形と繰り広げる、学園ハーレムラブコメ作品だ。

 人形たちは人間そっくりな外見を持っているが、やはりどうしても人とは違う部分があるというジレンマが切なくて、ドタバタラブコメの中にきちんと泣けるポイントが作られている。

 そういった部分が高く評価されて、いまだにネットでは度々話題に上がる傑作として有名だ。


「……そういえば私原作読んだことないな。『マリハレ』って原作漫画? それともラノベ?」


「漫画だよ。……ちょっと待ってて」


 俺はソファーから立ち上がり、近くの本棚から『マリハレ』の原作漫画を持ってくる。

 原作自体は全十五巻。

 特に目立った引き延ばしもなく、最終巻で綺麗に終わっている。

 アニメの出来もさることながら、そもそも原作の質が素晴らしく高いという点も、『マリハレ』好きが多い理由でもあった。


「え、読んでいいの?」


「ここに来た目的とはちょっと外れるだろうけど、気になるなら読んでみなよ。アニメではやむなく削られた部分とかもあるし、そういうのもまた楽しめると思う」


「……そこまで言われたらますます気になっちゃうじゃん」


 そう言って、雪河は俺から『マリハレ』を受け取った。

 


「……」


 それからしばらく、部屋には『トゥエンティナイツ』のアニメの音と、雪河がページをめくる音だけが響いていた。

 ボケーっと画面を見ていた俺は、ふと気になって雪河の方へ視線を向ける。


「……っ! ……!」


(――――めっちゃ表情豊かだな)


 ページをめくる度、雪河の表情はコロコロと変わった。

 笑顔になったり、悲しそうな顔になったり、痛そうな顔をしたり。

 まだ同じクラスになって一週間程度の知識でしかないが、教室で見る彼女とは明らかに様子が違う。

 周りが楽しそうにしていても、どこまでもクールな態度でスマホを弄っていた彼女とは……。


「こっちの方が親しみやすいな……俺にとってはだけど」


「ん……なんか言った?」


「別に。コーヒーのおかわりが必要なら言ってくれ。インスタントだけど」


 そう告つげて、俺は一度自分のコーヒーを淹れるためにソファーを立った。


◇◆◇


「――――めっちゃよかった」


 そんな言葉と共に、雪河は『マリハレ』の最終巻を閉じた。

 読み切った漫画たちを少し離れたところに置いた彼女は、テーブルの上に置いてあったティッシュで鼻をかむ。

 どうやら最終話付近で涙腺が崩壊したらしく、後半は彼女のすすり泣く声が聞こえていた。


「話は知ってるはずなのに、最後クッソ泣いた……やっぱりいいね、『マリハレ』」


「気持ちは分かる。何度読んでもウルってくるよな」


 俺がそう言うと、何故か雪河は驚いた表情を浮かべた。


「……永井って作品で泣くタイプなんだ。淡々と読むタイプかと思ってた」


「そんな血も涙もない奴みたいな……泣く時は普通に泣くよ、そりゃ」


「ふーん……じゃあ、私と同じだね」


 悪戯っぽく笑った雪河の顔に、思わず心臓が跳ねる。

 普段のクールで近寄り難い雰囲気とのギャップが、俺の心を強く揺さぶったのだ。

 

「……てかごめん、新しめの漫画を読ませてほしくて来たのに、もうこんな時間になっちゃった」


「あー……まあ仕方ないな」


 スマホの時計には、九時半と表示されていた。

 高校生が帰宅するにしては、あまり褒められた時間ではない。


「俺も気づかなくて悪かったよ。新作漫画の方は、また別の機会に――――」


「ねぇ、永井、一つお願いなんだけどさ」


「ん?」


 雪河は少し迷った様子を見せた後、申し訳なさそうな表情を浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。


「その、さ……今日泊まっちゃだめ?」


「――――はい?」


 彼女の口にした言葉の意味が一瞬理解できず、俺は首を傾げる。

 泊まる? 雪河が? 俺の家に?


「……嫌なら、我慢するけど」


「嫌っ……じゃないけど」


「じゃあいいってこと?」


「うっ……」


 くそっ、厄介な質問ばかりしやがって。

 嫌じゃないなんて言っておいて、はっきり駄目とは言いにくい。

 悩みに悩んだ末、考えることに疲れてしまった俺は、気づけば雪河の質問に対して一つ頷きを返していた。

 


 

 

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