第4話 エデン

『……サイテーね』

 メアリーは腕を組みながら呟いた。

『クズ中のクズだな』

 知聖はお菓子を食べながら、毒を吐いた。

「許せませんっ! 早く成敗しましょう!」

 界生は、机をたたき前のめりになった。びっくりした美百合はちょっと引いている。

『依頼人がビビッてるだろ! 落ち着けヘタレ!」

 すかさず知聖が界生に毒づく。

「まあまあ、みんなまずは落ち着こう。檀原さん、香菜さんが合沢先生の家に行ったのは間違いありませんか?」

 満は飲み干したコーヒーカップを片づけながら美百合に尋ねた。

「はい……。恐らく、今日も香菜の家に連絡をしましたが、学校の合宿があるって行っているとか香菜の親から聞きました」

「なるほど」

「遍先輩。一刻も早く合沢ってやつを成敗しちゃいましょうよ」

 界生は興奮ぎみだった。満は腕組みしながら考えている。

「待ちましょう。まずは情報収集です。知聖、合沢の情報収集をお願いできますか?」

『言われなくても、今データ送った』

 すると、S-Techにデータが送られてきた。

『合沢誠三。合沢グループの三男坊。まさしく、生まれながれしての特権階級だね』

「問題は、どうやって合沢に近づくかですね……」

『それなら問題ないよ、満。明後日に合沢グループの30周年記念パーティーがあるから、そこでコンタクトが取れる』

「さすが知聖。仕事が早い。となると、現行犯で捕まえたほうがいいかな……。メアリー、行けますか?」

 満はメアリーに尋ねた。メアリーは何かを察してため息をついた。

『また色仕掛け? 本当にイヤなんだけど』

「そう言わずに。メアリーの力が必要なんですよ、お願いしますよ」

『もぉー。分かった』

 メアリーはしぶしぶ了承した。

「では、詳細は別途連絡します。もう遅いので今日は終了です。メアリー、知聖。お疲れ様でした」

『お疲れ様ー』

 2人のホログラムが消えた。満はジャケットを着直した。

「では、もう遅いので私も帰るとします。檀原さん、途中まで送りますよ。第19地区は危ないので」

「ありがとうございます」

「待てよ、満」

 ずっと黙っていた暦がようやく口を開き、満を引き留めた。

「今回の依頼、やけに安請け合いし過ぎじゃねえか? 確かに合沢がやってることはひでえけどよ……」

「合沢のデータをちゃんと見なかったのか?」

「はあ?」

「奴の父親だよ、データをよく見ろ」

 暦はもう一度、合沢の個人データを見返した。

「合沢誠だろ?合沢グループの会長じゃねえか」

「分からないのか? 合沢誠は、『新・日本戦略法』の立案メンバーリストに入っている」

「!?」

「つまり、俺たちの探している〝真実〟に近い存在なんだよ。パーティーには政府関係者も来る。これはチャンスなんだよ。あと、暦。〝例の物〟も頼むぞ」

 満はそう言って美百合と一緒に店を出ていった。暦は天を仰いだ。

「暦先輩? もう上がりましょう?」

 片づけを終えた界生が声をかけてきた。

「悪い、界生。俺ちょっと出かけてくる」

「え?今からですか?僕も行きますよ」

「いいから。満からのおつかいだから。先に寝ててくれ」

 暦はエプロンを外して、第19地区の夜の街に消えていった。


 第19地区。人口100万人。東京で4番目に治安が悪い街。警察の管轄も少なく、ほぼ無法状態の地区である。そこにある歓楽街「エデン」は都内でもトップレベルの歓楽街であり、一日に数十億のお金が動く。「エデン」取り仕切っているのは第19地区で一番勢力がある「セルペンテ」という組織だ。もし、エデンで粗相を起こし、彼らに睨まれたら最期、二度と日の目を見ることがなくなるという。人々はセルペンテに睨まれる事を「失楽園」と呼んでいる。

 暦はエデン、ヘミングウェイ通りにある雑居ビルに入り、階段をおりた。階段の先にはアンティーク調な扉があり、〝Bar GIPSYバー・ジプシー〟と書かれていた。

「こんばんは。マスター」

「おお、暦じゃないか! 随分と久々だなあ」

 マスターの國田が迎え入れた。オールバックに整った口ひげ。ダンディな雰囲気が安心感を抱かせる。

「ご無沙汰してます」

 暦はカウンターに座って、國田に挨拶をした。

「どうだい? 何か飲んでいくか? 特別に奢ってやるよ」

「いやあ……。未成年なんでお酒は……」

「年齢を偽っていたお前がそんな事を言うなよ、ノンアルコールにするから。とっておきのやつをご馳走するよ」

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 Bar GIPSYは3年前に暦が年齢を偽ってバイトしていたところだった。バイトを辞めてからも、たまに顔をだしている。

「はい、お待ち。アルコール抜きのスノーボールだ」

「ありがとうございます」

 暦はスノーボールを口含んだ。ジュースのような甘さが口に広がる。

「今日はどうしたんだい?」

「……ええ。ちょっと、人を待っているというか」

 暦は時間を確認した。時刻は0時。すると殺気を感じた。

 店の扉が開き、屈強な男が2人入ってきた。その後にグレーのストライプが入ったスーツを来た男が入ってきた。屈強な男2人よりも強い殺気を放っていた。

「これはこれは、随分と珍しい客がいるもんだな」

 スーツを来た男は暦の隣に座った。金縁の眼鏡が照明の光で反射している。切れ長の目が妖しい香りを漂わせていた。

「エデンの裏社会のボスが、仕事終わりに必ずここに来るって聞いたもんで」

「ここのお酒がエデンで一番美味しいのでね。お前ら下がっていいよ」

 屈強な男2人は一礼して、店から出ていった。

「いらっしゃいませ、長巻さん。いつもので大丈夫ですか?」

「こんばんは。マスター。いつものでお願いします」

 長巻も國田に挨拶をして、煙草に火をつけた。

「私が謝罪すると思って待ち伏せしたのですか?」

「夕方のチンピラ三人の事か? 違えーよ、別件だ。てか、あの野郎共、普通にチクったのかよ」

「一応、念のために報告したのでしょう。すみませんね、部下が粗相をして」

「ったく、一般人に絡むなよ。金ならお前らのところにあるだろ?」

「自分のシノギは自分で稼ぐ。これが私たちの掟なので」

 長巻は煙を吐きながら言った。國田がカウンターに戻ってきた。

「お待たせしました。スティンガーです」

「ありがとうございます」

 長巻はグラスに口をつけた。

「やはり、最高ですね。ここのお酒は。で? 第19地区の人気者さんが何の用で?」

「〝通行証〟を作成して欲しい。4人分」

「これはまた、珍しい依頼だこと。区間は?」

「第7地区まで」

 長巻は煙を勢いよく吐いた。

「ほお、随分と行きますね……。理由は?」

「依頼のターゲットが第7地区にいるから」

「もっと明確に教えてください」

「わかったよ」

 新東京23区の区間を行き来するためには「通行証」というものが存在する。しかし、VIP以外、通行証は自分の住んでいる地区の数字以上のところしか移動できない。つまり第1地区に住む人は、全ての地区を移動することができ、第23区に住む人は、移動ができない。しかし、国に申請すれば区間を伸ばせることができる話もあるが、実際には区間を伸ばせた事例がない。ちなみに、暦、界生、知聖は第19地区。メアリーは第12地区。満は第10地区に住んでいる。

「ターゲットは第7地区のVIPだ」

「ほう。誰です?」

「合沢グループっていう一族の三男坊」

「なるほど。なかなかのターゲットですね。その理由は?」

「その三男坊は教師をしていて、女子生徒に暴行してるんだと。あとこれ」

 暦は左手で輪っかをつくり、その輪っかに右手の人差し指を出し入れした。

「随分と腐ったことをしますねえ」

「お前が言う立場かよ」

「分かりました。では明日のお昼までには作らせます。終わったらミラージュのポストに入れとくので」

「助かるよ」

「で? 報酬は?」

 暦の動きがぴたりと止まった。

「まさか……。無償でやれと?」

 長巻の目が鋭く光った。暦は手を合わせた。

「ごめん。今月ピンチだから、今度にしてよ」

 だが、長巻は表情ひとつ変えない。

「無理です。通行証偽造は、1人あたり20万円ですよ。無理ならば今回の話はなかったことに」

「なあー!わかったよ。知聖にオリジナルのS-Techを4台作らせる。時間はかかるけど、それでいいだろ?」

「結構」

 長巻は煙草の火を消し、スティンガーを飲み干した。店内には小気味のいいジャズが流れている。長巻はスティンガーの余韻に浸りながら、この空間を楽しんでいた。

「今回のターゲットは、あなたが探している〝真実〟に近いものなんですか?」

 ふと、長巻はボソッと呟いた。暦は黙ってスノーボールを飲んだ。

「かもな」

「もう5年ですか……。あなたも随分と苦労しましたね」

「うるさいな」

「〝反町〟の苗字には慣れましたか? それとも〝星野〟の名前が恋しくなったとか」

「オイ、調子に乗るなよ」

 暦の声が凄んだ。2人の様子を見ていた國田が口を開いた。

「長巻さん、そこまでにして下さい。暦も抑えて」

「ちっ」

「これは失敬」

 暦は溶けていくグラスの氷を眺めていた。

「恋しくなんてねえよ。俺は〝星野暦〟を捨てたんだ。あいつらのせいでな」

 暦はボソッと呟いた。5年前の記憶がフラッシュバックする。


「大感染の金曜日」の日。ニュースではキャスターがヒステリックな様子で現場状況を伝えていた。そして、首謀者の名前が明らかになった。それが暦の父、星野六曜ろくようだった。

 突然のことで、暦は何が起きているのか分からなかった。父親がテロ事件を起こすことなんて考えられない。何かの間違いではないかと思った。六曜は科学者だった。 常に人間と科学が共存できるかを考えており、科学で人間を破滅させることなんて許せない人間だった。暦はそんな六曜を尊敬していた。そして六曜の死亡が報道された。噓だと思った。電話をかけても繋がらない。暦は呆然としていた。

 次の日、警察が来た。父の事で話が聞きたい、という理由で警察に連行された。警察の取り調べはひどかった。暦が犯罪を犯したわけではないのに、平然と暴力を振るわれ、罵倒もされた。なんとか、釈放されたがそれだけでは済まなかった。ネットでは顔と名前が晒されて、「テロリストの息子」と後ろ指をさされた。消えろ、日本の害悪、人殺しの息子、クズ。そう言った無数の言葉の刃が暦を切りつけた。暦は居ても立っても居られないなくて、逃げた。身を隠し続けて2年間、今の第19地区にたどり着いた。

 そして、第19地区にに住んで1年後。暦はとある事件に巻き込まれあることを知る。

 それは、「大感染の金曜日」が政府による自作自演だったということ。「大感染の金曜日」は「新・日本戦略法」の一部に組み込まれていたこと。

 暦は、六曜の知り合いである、反町条一郎からその真実を知らされた。だが、確たる証拠がない。条一郎は六曜から遺したあるものを受け取り、暦にそれを渡した。それを使って真実を明らかにしろという手紙を残して。こうして暦は権力者に立ち向かう「東京星屑」という組織を立ち上げた。

「……父さんと俺は殺されたんだ。この国に。腐った権力者どもの身勝手によって。権力者どもは、今でものうのうと甘い蜜を吸ってやがる。昔から変わんねえ。新・日本戦略法だって、結局は自分たちに素直に従う奴ら作るための法律だ。そうやって分断し続けるんだ。だから、俺らがなんとかしなきゃならないんだ。俺たちがその分断を壊す。権力者に仕返しする。クズどもに仕返しされるなんて、最高の皮肉だろ?」

 暦はニヤッと笑ってみせた。

「やれやれ。あなたという人は本当に面白い人ですね。先程の発言は謝罪します」

「いいよ、別に」

 暦は席を立って、S-Techをかざした。

「マスター、これ長巻の分ね」

「何の真似です?」

「報酬だよ。俺はマスターから奢ってもらってるし。じゃ、いい夜を」

 暦は長巻の肩をぽんと叩いて、店から出ようとした。

「のけ者が仕返す姿を見せつけて下さい。健闘を祈りますよ」

 長巻はボソッと呟いた。すると、暦は思い出したように立ち止まった。

「あのさ、あと車貸してくれる?」

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