第2話 陽キャ女子の頼み事

「あ、えーっと……」


 喉の奥から上手く言葉が出てこなかった。

 立花小春はどうして泣いているのだろう。俺はどんな顔をすればいいのだろう。


「見られちゃったかぁ」


 溜息を混じらせながら立花はそうやって言葉を吐き出した。その溜息の中にどんな感情が混在しているのか。それが不明瞭で心臓が速くなった。


 もしかすると、俺に怒っているかもしれない。呆れているかもしれない。そんな不安が頭の中に交錯して、胸の奥が苦しくなる。


「夏川……だよね。まさか、あんたにこんなところ見られるなんて。はぁ……」


 その溜息は明らかに俺を嫌悪している。俺を軽蔑している。はっきりとしたその後ろ向きの感情が、俺の足を震わせていた。


「いや、俺、何も見てなかったから。スマホを取りに来ただけだから」


 ようやく振り絞った声は、情けない言葉を形成していた。立花の目は細められていて、視線が鋭い。

 

 何度も頭を下げながら、その視線から逃れようとしながら。俺は自分の席に向かって歩いて、机の中に入っていたスマートフォンを取り出す。


 よし、これでミッション完了だ。

 よくやった、俺。無事に帰るんだ、俺。


「私が泣いてた理由、知りたい?」


 その声音が悲壮に満ちていたのは、気のせいではなかったのかもしれない。そういう確信があったから、俺は立花のほうを振り返ってしまった。


「え、いや、なんで?」


 戸惑いつつ、慌てふためきながら、俺はそんな疑問を投げていた。

 立花の表情は暗かった。俺も同じような顔をしたらこの状況はどうなるだろう。そんなどうでもいい疑問が脳裏をよぎった。


「なんだろうね、見られちゃったからにはもういっそのこと話しちゃったほうが良い気がして」


 立花の瞳からはもう何もこぼれていなかった。それでも頬に残っている涙の跡が、彼女の抱えている感情をあらわしていた。


 俺は何も言えなかった。気付けば立花のほうをじっと見ていた。窓際に寄り掛かっている彼女の後ろには西日が輝いていて、その姿が神々しく見えたような気がした。


「私ね、視線恐怖症なんだよね。他人の視線が怖いんだ」


「視線恐怖症……初めて聞いた」


 立花の言葉に自然と返答できている自分に驚いた。陽キャへの嫌悪はどこかに消え去っていて、彼女の言葉を真面目に聞いていた。


「学校ではいつも無理しちゃうんだ。だからそれが辛くて、たまにこうやって独りで泣いてる」


 立花の涙に孕んでいる真相が、俺の中にすっと溶け込んだ。自分が拒絶していた人種にも、特有の悩みがあることを理解した。


「そっか、へぇ、そっか……」


 俺の返事は単調になっていた。涙の理由を知って拍子抜けしたのだろうか。いや、違う。言葉を失っているのだ。俺は立花の感情に共感し過ぎている。


 それが良いのか悪いのか。どちらにせよ、内面だけは立花に寄り添っているのは確かだった。


「あんたはいいね。誰からも注目されずに、他人の視線を気にしなくて済むもんね」


 なにそれ傷つく。遠回しどころかどストレートに俺のこと罵るじゃん。なんなのそれ。宣戦布告?


「私もあんたみたいだったらなぁ。人生、もう少し楽だったのかなぁ」


 隣の芝生は青い理論を、立花は堂々と語っている。俺だって色々大変だよ? そこらへん理解してます?


 度が過ぎていた立花への共感がだんだんと薄れていき、俺はようやく完全に我を取り戻した。

 危ない危ない。もう少しで立花に特別感を抱くところだった。


 ただ、立花の容姿は俺の中で特別だった。


 丸く大きな瞳に、くっきりと通った鼻筋。スタイルも良いので、これで陽キャにならないわけがない。


 とにかく立花は可愛いのだ。誰が見ても可愛い存在である。性格は特別良いわけではないが、悪いわけでもない。


 そんな彼女が俺に憧れたような発言をするなんて。俺って意外とすごいのか。そうか。


「あ! そうだ!」


「え、なに?」


 立花は唐突に大声をあげた。その声音は明るくて、先ほどまでの彼女とは程遠くなっていた。


「ねえ、夏川。私を生粋の陰キャにしてよ」

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