第4話 諮 

「先ほどは大変失礼をいたしました」


春の父、善三郎が下女に足を洗ってもらっている時雨しぐれに声をかける。


「先ほどの男たちと問題を起こしておりまして、失礼かと思いましたがその仲間ではないかと疑っておりました」


時雨は善三郎の言葉を聞いている風を装いながら、下女の胸元を見ていた。その様子を見ていた春が時雨の手を摘まむ。


「ああ、最初の件か。あれは気にしていない。それよりここには温泉が湧いているというのは本当かい」


「え、あ、ああ確かにうちには温泉が引き込んであります。お疲れでしょうからまずはお風呂をお召しになりますか」


善三郎の言葉に時雨は眼を輝かせる。


「是非に」


 時雨はいまだに手をつねっている春の手を何気なくどけると、善三郎の案内に従い旅籠へと上がってゆく。後に残された春はぷっくりと頬を膨らませていた。


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「こちらのお部屋をお使いください」


 時雨がまず案内されたのは八畳ほどの広さの個室だった。時雨は部屋の中で荷物を下ろすといそいそと荷物の中から手拭いを取り出した。


「さて、湯殿ゆどのへご案内を」


 時雨が振り返るとそこには善三郎と一人の女が立っていた。よく見ると先ほど足を洗ってくれた女だった。


「この者にお背中をお流しさせますので。お風呂にお入りの間にお食事をご用意させていただきますので、お礼はその時にでも」


善三郎はそう言うと頭を下げて階下へと降りていった。


「時雨様こちらへ」


女は時雨の手を取ると先導してゆく。時雨はその後をいそいそと付いて行くのであった。


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「時雨様、お湯加減はいかがでございますか」


先程の女が湯殿で時雨の背中を流してくれていた。ぬか袋で時雨の背中が擦られる。時雨はその感触を楽しんでいた。


「お肌と御髪おぐしが奇麗なのですね」


女は時雨の背中を洗いながら時雨に話しかける。


「ああ、昔はわりかし綺麗な方だったのだ」


「今でもお綺麗ですよ」


女は時雨の身体を洗い終えると今度は時雨の頭を膝の上に乗せ、髪を洗い始める。やわやわとした感触が時雨の頭に心地よい刺激を与える。


「痛かったり痒いところはございませんか」


女の体温が時雨の頭にじんわりと伝わる。時雨はその感触を味わいながらむらむらとした感情が湧き出していた。


「娘さん、あれは何だったんだい」


時雨はむらむらとした感情をかき消すように女に話しかけた。


「あの人達は箱根の宿場で乱暴を働く者達です。今もこの藤木屋ふじきやを自分たちの物にしようと狙っているのです」


しっかりと洗ってもらった時雨は女に起こされるとゆっくりと湯を浴びさせてもらう。時雨は女の方を向き直ると女に顔を寄せた。


「今宵、その話を詳しく聞かせてもらえないかい」


 時雨は耳打ちした後女の耳朶みみたぶを甘噛みし息を吹きかける。女は顔を真っ赤にして黙って頷いた。

軽く口吸いをしてきた時雨に女は答え、時雨の手を引いて湯の中に時雨を導く。

女はまた後でと言い湯殿を後にする。

時雨は湯船の中で足を延ばすと湯の中に浮き上がるのであった。


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 時雨が部屋に戻ると中には豪華なぜんが用意してあった。その数二人分。

時雨が不思議に思いながら腰を下ろすと廊下から声がかかる。


「時雨さま、お部屋に入ってよろしいでしょうか」


春の声だ。時雨はどうぞと返事を返す。

襖が開き、春とこの藤木屋の主人である善三郎が入ってきた。

時雨は善三郎を見ると姿勢を正し正座になる。


「此度は我が家の危機と娘春を救っていただき誠にありがとうございました。細やかなお詫びですがこれを……」


善三郎が時雨の横に懐紙に包まれたものを置く。


「いやいや、たまたまご縁がありましたので」


時雨は断ろうとするが善三郎は譲ろうとしない。数度のやり取りの後時雨は仕方なしに懐紙を受け取った。


「それとこの箱根に滞在される間の食と住はお任せください。どれだけでもご逗留とうりゅういただいて結構ですので」


そう言って善三郎はにこやかに笑う。側にいた春もそうするようにと言う。


「ご厚意有難うございます。数日の間よろしくお願いいたします」


時雨は丁寧にお礼を言う。その時時雨の腹が鳴った。若干顔を赤く染める時雨。


「それではお食事をお楽しみください。話し相手に春を置いていきますのでごゆるりと」


善三郎は気を遣うように礼を言うとすぐに部屋を出ていった。時雨は善三郎が出ていくのを見送ると春と向かい合い食事を始める。


「時雨様、まずは一杯どうぞ」


春が酒を勧める。時雨は春から酒を注がれると一気に飲み干した。その仕草に春の視線が釘付けになる。


「おや、春殿。そんなに胸が珍しいのですか?」


くすくすと笑う時雨に赤面した春は手酌で酒を煽る。二人は酒を酌み交わしながら食事を続けるのであった。

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