第3話 参

「おい、善三郎さんよ。そろそろこの旅籠はたごの件、考えてくれないか」


 突然他の客を押しのけ大声と共に数人の人相の悪い男達が旅籠に入ってきた。全部で九人。端から見てもやくざ者か博徒ばくとといったところだろう。

春の父親がすぐに男たちの所に近づき、入ってきた男たちの頭と見て取れる男と話し始めた。

 客も使用人たちも不安そうに見守っている。

その中の男の一人が威嚇いかくするように時雨に凄む。


「おぅ、そこの大男。邪魔なんだ、端に寄ってろ」


 男は時雨しぐれの胸倉を掴むと端へと追いやろうと力を籠める。しかし時雨はびくともしない。男はさらに力を籠め、胸倉を引っ張った。そこで男の手が止まる。男は時雨の笠の中を覗き込んだ。


「……おい、こいつ女だぜ」


 男は時雨の胸倉を掴んだまま他の男たちに呼びかけた。他の客を外に追い出した男たちが近づいてくる。男の一人が時雨の胸を掴む。


「おお、確かに乳がある」


 男たちの下卑た笑い声が旅籠の中に響き渡った。

時雨はその様子の中微動だにしない。男達も乳の事も特には気にしていないようだ。胸を掴んでいた男は時雨の笠を乱暴に剥ぎ取った。

その様子に春の父はやくざ者のかしらに止めるように言い、春は時雨に近づこうとするのを使用人に止められていた。


「へえ、中々のものじゃあねぇか。今晩相手しろよ」


 男は時雨の方に手を廻し出口の方へ動かそうとする。しかし時雨は微動だにしない。男は両手で時雨を掴むと無理やり引っ張っていこうとする。それでも時雨は一寸たりとも動かなかった。


「女! 痛てえ目に遭いたくなかったらついてこい」


 切れた男が大声を上げる。

今、その場にいる全ての者の視線が時雨と男に集まっていた。旅籠はたごの外には人だかりが出来ている。

 時雨は口を開くことも無く無表情で男を見つめていた。

 業を煮やした男は胸元から匕首あいくちを引っ張り出し抜き放つ。次の瞬間、匕首を抜いた男は時雨に腕を掴まれ一回転して土間へと叩きつけられた。

 投げられた男の脇腹から木が折れたような音がして、口からは息が抜けたような呻き声が上がった。

一瞬、その場にいた全員が何が起こったか分からないように、また、驚いたように口と眼を見開いていた。


「て、てめえ、何しやがる」


 一瞬の間を置いて時雨を囲んでいた男達の一人が掴みかかる。胸倉を掴むとそのまま時雨の顎に拳を突き上げてきた。時雨は半身に動きその拳をかわす。掴みかかった男はそのまま半回転して尻から落ちた。

 いつの間にか掴んでいた手は離れている。次の瞬間には、時雨は一番近くに立っていた男の顔面に手の甲を叩き込んでいた。男はそのまま入り口まで吹き飛んでゆく。

 やくざ者達は春の父親を放置して一斉に匕首を抜いた。使用人達から小さな悲鳴が上がる。しかし、春だけは黙って見ていた。


「少し、痛めつけてやれ」


 やくざ者の頭らしき男がゆったりとした言葉で他の者に指示を出す。男達は気合いを入れながら腰に匕首を当て、時雨に突っ込んでくる。

 時雨は男達の間をすり抜けるように動く。少し時間をおいて全ての男達の手がら匕首が落ちた。男達は各々手を呻き声を上げ、手を押さえながら時雨の方へ向き直る。

 ここに至りさすがに頭らしき男も焦りの表情を浮かべ、外に向かって呼びかけた。


「旦那方!」


 頭らしき男の声に浪人風の男が2人旅籠の中に入って来た。腰には刀を差している。二本差しでは無いので武士ではないようだ。男達は【ほぅ】という表情を浮かべすぐににやけた表情を浮かべる。


岩重郎がんじゅうろう殿、この者は好きにしても良いのか?」


  浪人の一人がつかに手を掛けながら岩重郎と呼ばれた男に声を掛けた。岩重郎は【好きにしろ】という。


「ここで暴れるのは迷惑がかかる。外に出ないか?」


 時雨はそれだけ言うと浪人達の方へ向かい無造作に歩き出す。二人の間を時雨が通り抜けるその時、浪人の一人が鯉口こいくちを切る。

浪人はそれ以上動けなかった。時雨の太刀が浪人の顎の下に抜き放たれている。その場にいた全員が凍り付く。

 時雨はそのままの状態で一寸だけ動く。太刀を突きつけられた浪人はそのまま旅籠の外の方へ下がる。

もう一人も時雨の後ろに付き鯉口こいくちを切っている。外へ出た男を追って時雨はゆっくりと外に出た。

 外はすでに日が落ち、旅籠から漏れ出る光と見世先みせさき提灯ちょうちんの明かりのみで照らされている。旅籠の周りには人だかりができ、また旅籠の泊まり客も2階の窓から顔を出して見物してた。

最初に外に出た浪人はすでに刀を抜き放っている。


「 女子、この儂に勝てると思うか!」


 相手は正眼に構えている。時雨は抜き放っている太刀をだらりと地に向けて下げた。

 後ろからもう一人の浪人が出て来る。後ろの浪人は見物を決め込むように刀を収めつかから手を放していた。


「死ねぃ!」


 浪人は、先程の抜き打ちで頭に血が上ったようで完全に時雨を殺すつもりのようだ。時雨は太刀を素早く納刀のうとうし、背中に背負っていた短槍を手に握った。浪人が動く。そこそこ速い動きだった。

 一丈の間合いを一気に詰めて来る。しかしその刀は時雨に届くことは無かった。時雨は身体を半回転させ短槍の石突きを浪人の横っ面にぶち当てていた。

 突然の側頭部への衝撃に浪人は蹈鞴たたらを踏み、体勢が横にずれる。もう一度正眼に構え……、そのまま地に崩れ落ちる。浪人は完全に意識を失っていた。

 後ろから手を叩く音が聞こえる。振り返るともう一人の浪人が笑顔を浮かべながら手を叩いていた。


 「京史郎きょうしろう! 見物せずにあの女を殺せ!」


 岩重郎の言葉に、目を少しだけ細めた京史郎と呼ばれた男は黙って刀を抜く。同時に懐から脇差では無い少し長めの短刀を引き抜き両手で構えた。

 時雨も短槍を地面に突き刺す。

 京史郎の殺気が徐々に膨らんでゆく。先程の浪人よりもかなり使えるようだ。二人の戦いを善三郎と春、使用人、岩重郎とその手下、野次馬と旅籠の泊まり客が見守っていた。

 時雨はまだ太刀を抜かない。京史郎は少しずつ動き、間合いを詰めてくる。

 京史郎が動こうとした瞬間、時雨の下からの抜き打ちが京史郎の喉元を捉えていた。あと半寸動けば確実に京史郎の喉は斬り裂かれる。

 京史郎は咄嗟に時雨の下半身に目を向けた。伸びきっている事を期待していたが時雨の下半身には十分にためがある。

すでに勝負はついていた。


「負けだ」


 京史郎の口から負けを認める声が出た。時雨はそのまま太刀を引き鞘に太刀を収める。すぐに半回転し、収めた太刀を引き抜いた。

 時雨の足下で蒼い光が弾けた。

 先程昏倒していた浪人が時雨の足を狙い斬りつけてきた。その刀を弾くと時雨は太刀を振り下ろす。

柄頭つかがしらが浪人の首元に深く喰い込む。浪人は白目を抜き再度昏倒した。時雨はそのまま納刀。

 先程降参した京史郎には目を向けない。


「京史郎! 何故行かん、隙だらけだぞ!」


 岩重郎が後ろから怒鳴り散らすが京史郎はすでに刀を収めていた。


「まだ死にたくねぇよ」


 京史郎はあっさりと言い放つ。岩重郎はその言葉に顔を真っ赤にして怒り狂った。


「京史郎、お前はもういい! どこへなりとも行け!」


 京史郎は肩を竦めそのまま街道筋に通じる道へ歩き出した。

岩重郎は時雨を睨み付けながら旅籠から出てくる。その後に手首を押さえた手下達が続いた。二人程が倒れている浪人を担いでいる。


「憶えていろ、必ずこの旅籠はもらい受ける。それとそこの大女。生きて箱根の宿から出られると思うなよ」


 陳腐な捨て台詞を残して岩重郎達は街道へ続く道へと消えていった。

旅籠の二階から拍手が起こる。


「いいぞ、良くやった」

「凄いな、一緒に飲まないか」


 様々な言葉が飛び交っている。使用人達も安堵の表情を浮かべていた。善三郎と春が近づいてくる。


「この度は当家と娘をお救いくださりありがとうございます。今宵はこのまま当旅籠へお泊まりください」


 そう言って善三郎は先程とは違った態度で頭を下げた。

春が時雨の手を引いて中へと引っ張ってゆく。

時雨はその時、善三郎の表情が浮かないことを見逃さなかった。

しかし、何事も無かったように春に手を引かれ中へと入っていった。

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