彼女の本当の気持ち

 ロイダは、更にタオルで顔を覆ってしまった。タオルの奥から小さな声が聞こえる。


「今日、部屋に戻られてからの事を全て忘れて頂けませんか? えっと『ただいま』の所まで全部忘れて下さい」

「嫌だ」

「駄目ですか? 絶対駄目ですか?」

「忘れないよ」

「そうしたら、鳥の話が終わった所からでもいいです」

「嫌だよ」

「⋯⋯分かりました、申し訳ありませんでした」


 ロイダが立ち上がって逃げようとする。俺はその腕を掴んだ。


「ひゃっ!」


 絨毯の上に腰を下ろさせて、彼女が顔を覆うタオルを取り上げる。彼女は抵抗したけれど、俺は彼女の顔を見て話しをしたい。抗議するように俺を振り仰いだロイダの目には涙がいっぱいに溜まっている。瞬きと共にぽろぽろとこぼれる。


「泣くなよ」


 俺だって泣きたいんだ。タオルで涙を拭いてやる。痛みで泣いているようには見えないけど、あれだけの勢いで転んでいる。


「転んでどこか痛めたのか?」

「いえ、わき腹を少し打ちましたけど、もう大丈夫です」

「本当に?」


 頷く顔に安心する。しかし、ロイダは懲りずにまた逃げようとした。少し苛立ち、また腕を引いて腰を下ろさせる。


「行くな」

「もう、眠いから寝ます。お休みなさい」


 深呼吸をする。俺はロイダを失いたくない。それなら勇気を出して確認しなければならない。


(ヨーナ、俺は約束を守る)


 俺から逃げようとして、ロイダは腕を引き立ち上がろうとするが無視して続ける。


「どうして、王宮の仕事が欲しいんだ」

「忘れて下さい」

「嫌だ。どうして、王宮の仕事が欲しいんだ?」

「タオルを貸して頂けませんか?」

「え? これ?」


 俺が持つタオルを欲しがる。逃げるのを諦めて隠れる事にしたらしい。


(仕方ない)


 腕を離してタオルを渡してやる。ロイダはすぐにそれを被った。


「たまに、君よりもヨーナの方がお姉さんだと思う時があるな」

「私もそう思います」


 身を縮める姿が痛々しくて、抱きしめてやりたくなる。でも、ちゃんと話をしなければならない。俺は続ける。


「それで?」


 ロイダはタオルを被って少し落ち着いたのか、何度か大きく息をついた。そして、小さな声で話し出した。


「約束通り、町でヨーナと二人で暮らそうと思っていました。でも、両親と祖母がいなくなった時の事を思い出して、家族がまた一人いなくなってしまうような気がして寂しくなりました」


 彼女は祖父母と両親、続けて身近な人を亡くしている。その悲しみ、残された心細さは想像するしかないが、ひどく辛い事だっただろう。


「でも王宮にいたらアーウィン様の顔が見れると思いました。元気だという事が分かるなら、それで幸せです」


 今ならガイデルの気持ちが分かる。嫌われているなら諦めがつくのに。彼はそう言っていた。愛情を見せながら身を引く。それがどれほど残酷な仕打ちかロイダは分かっていない。


「全く成長していないじゃないか」

「え?」

「ガイデル殿の時と全く同じことを言ってる。たまに会えたら幸せだと言っていたけど、どうだった? 幸せだったか?」


 夜に一人で泣いていた事を忘れたのか。ガイデルに対する愛と、俺に対する気持ちが違う事は分かっている。それでも、たまに会うだけでいい、本当にそうなのか。王宮で仕事が欲しいとまで言ってくれた。その気持ちはその程度なのか。


 沈黙が続く。少しすると、ロイダは被っていたタオルで涙を拭いてタオルを外した。


「おっしゃる通りです。私は成長していませんね」


 やっと、視線を向けてくれる。


「私はアーウィン様に頼る事を覚えて、そばにいて頂ける安心感に慣れてしまいました。一時的な事だとずっと自分に言い聞かせて来たのに、それを手放すのが怖くなってしまって、こんなに長く優しさに甘え続けてしまいました」


 滅多に聞けないロイダの気持ち、本音。俺は何一つ聞き漏らしたくない。


「家族のようだ、私達も役に立っていると言って頂いたのが嬉しかったんです。ガイデルにも、私達がアーウィン様の支えになれているのではないかと言われて、それを甘える言い訳にしてしまいました」


 ガイデルがそんな事を。恐らく最後に会った時の事だろう。彼は、彼はどんな気持ちでこれを言ったのか。


「アーウィン様が試練を乗り越えて立派に進まれる姿を見ているうちに、自分の甘えが恥ずかしくなりました。でも一方的な想いを認める事が怖くて、その想いを捨てられなくて、結局ガイデルの時と同じように抱え続けようとしてしまいました」


(一方的な想い?)


 一気に血が巡る。冷たくなった手足が熱くなる。強い鼓動が視界を揺らす。


「私は約束通り、仕立て屋のご夫婦の近所で暮らします。そこで今度こそ、私が好きになってもいい人を見つけます」


 ロイダは心の内を吐き出してすっきりしたのか少し微笑んだ。彼女は俺に気持ちを伝える事すらしないで、俺の気持ちを置き去りにして一人で決めてしまった。そんな事は許さない。勝手に自分だけ気持ちに区切りをつけるなんて、絶対にそんな事させない。


「⋯⋯町に行っても、頭の悪い糸問屋か、行儀の悪い魚屋か、運動が出来ない男しかいないよ、きっと」


 ヨーナの言葉を思い出す。完璧な俺には自分たちが邪魔なのだと彼女は考えていた。俺が支えを必要としている事を分かっていないから。


「前にも言いましたけど、ご自分と比べてはいけません。糸問屋の息子さんは釣銭を間違えますけど、珍しい糸を手間を掛けて取り寄せてくれたり、ヨーナにお菓子をくれる優しい人でしたよ?」

「糸の取り寄せは仕事だろう。俺だって、ヨーナに果物や菓子を買ってやった」

「そうですけど。⋯⋯あなた程の人なんて、どこにもいません」

「だったら、なぜ君は俺を見てくれない」

「え?」


 ロイダの両肩を掴んだ。俺を見ろ、俺を見てくれ。懸命に彼女の視線を捕まえる。


「俺は完璧じゃない。何度も君達の助けが必要だと言った! 求婚して承諾の返事までもらってるのに、どうしてこんなに気持ちが伝わらないのか、これ以上どうしたらいいのか本当に分からなかった」

「え、どういう――」

「――でも分かった。俺が完璧じゃない自分を見せていないからだ。俺には支えが必要だと君に理解してもらえていないからだ」


 ロイダの瞳が揺れる。何度か髪を梳き彼女の存在を確かめる。柔らかい頬に手を添えた。俺から視線を外さないで欲しい。俺をしっかり見て欲しい。

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