確認する勇気
ヨーナと約束をしたものの、自分から切り出す勇気は出なかった。ロイダはヨーナが渋る様子を見て、ここに残ろうと考え直してくれたかもしれない。
しかしその日、迎えてくれた彼女の顔を見てすぐに分かった。
(今日、言うつもりだ)
胃の腑がぎゅっと絞られるような緊張感を覚える。浴槽に頭まで沈んでみるが、手足の先まで血が通わない。
今日は戻りが遅くなってしまって、もうヨーナが眠っている。話をするには絶好の機会だと思う。きっと彼女は、ここを出て町で暮らすと俺に告げる。
(嫌だ、嫌だ)
湯から頭を出し、大きく呼吸した。ヨーナの後押しを思い出す。
『お姉さまは、どんなアーウィンさまでも好きよ』
他の誰でもないヨーナが言うのだから。ヨーナは大人が思っている以上に周りを見て様々な事を理解している、大丈夫だ。しかし、恋愛については理解出来ないヨーナが言う好きは、俺が求める好きなのか?
臆病な俺は浴室を出てロイダに髪を拭いてもらっている間、彼女が話を切り出せないように、他愛もない話を続ける。
「今日は大変だったんだ。遠い地の領主が、その地方にしか生息していない美しい羽を持つ鳥を連れて来たんだけど、急に暴れて手が付けられなくなってさ」
「え! 狂暴な鳥ですか?」
「大きいから、爪が鋭くてそれなりに危険らしい。領主が慌てて懸命に宥めたし、王宮の鳥を管理してる飼育人も駆けつけて来たけど、なかなか落ち着かないんだ。どうやら怒っているらしいと分かって、好物をやって何とか機嫌を直した」
「慣れない所に来て、気が立ったのでしょうか」
振り返って様子を見ると、彼女はちゃんと鳥の話に集中してくれているようだった。少し安心する。このまま、今日は町に行く話はしないかもしれない。
「そう思うだろう? でも違ったんだ」
「原因があったのですか?」
「エルウィンだ」
「え? エルウィン殿下?」
彼女が優しく拭いてくれる手を感じる。絶対に失いたくない。彼女に言われてしまう前に、俺から話を切り出そうか。
「美しい羽が欲しくて、一本引き抜いたんだ」
「まあ!」
「痛かったんだろうな。鳥は相当怒ってた。父も周りもエルウィンを厳しく叱ったけど、ちゃんと反省してるかどうか。あいつ不貞腐れて、どこかに逃げて行ったって。夕食にも来ないで、侍従達を困らせてたよ」
彼女の手が止まる。まずい、話を切り出されるか。ますます胃の腑がぎゅっと縮まる。
「あの、アーウィン様。その鳥は紫と青が混ざったような色をしていますか?」
「え?」
思わず振り返る。確かに鳥はそんな色をしていた。何故知っているのだろう。
「ヨーナが、そんな色の羽をエルウィン殿下から頂いたと⋯⋯」
(エルウィンのやつ!)
エルウィンはヨーナと随分仲良くなったらしく、二人は頻繁に遊んでいると聞く。今までのエルウィンは他の遊び友達と塀を登ろうとしたり、庭に大きな穴を掘ってみたり、池に潜ってみたり、危ない遊びばかりして侍従達を困らせていた。ヨーナと仲良くなってからは落ち着いたと周りは喜んでいる。
「はははっ、そういう事か! あいつ、ヨーナにも美しい鳥を見せてやりたかったんだな。なるほどな」
「申し訳ありません。ヨーナにも領主様に謝りに行かせましょうか」
「いや、いいよ。俺から話しておく。それから、エルウィンとヨーナに改めて鳥を見せてもらえるように頼んでみる。もちろん、羽を抜いてはならないと厳しく言うけどな」
「申し訳ありません」
本当はロイダにも見せてやりたい。たまに、各地の領主が挨拶がてら珍しい動植物を持ち込む事がある。ただ、そういう場には他の貴族達も集まる。彼女がそういう場で『王太子妃』として扱われる事を好むとは思えない。
(少しずつ慣れてくれるといいんだけど)
いや待て。その前に彼女は、ここを去ろうとしている。それどころではない。
「終わりましたよ」
いつものように、ぽんと肩に手を触れて合図をくれる。その手を握りたい衝動を抑える。
「ありがとう」
心を決めた。俺から切り出そう。彼女はいつも居間にお茶を用意してくれる。深く息をつき立ち上がろうとすると『あの』と、彼女が俺に呼びかける。振り返ろうとすると。
「何? ――え?」
頭の上にぱさりと何かを掛けられた。ロイダが何やら狼狽えている。
「あの、あの、前を向いていて頂けますか?」
「何だよ、どうしたんだ?」
よく分からないが、とにかくロイダが混乱している様子だ。振り返って様子を見たい気持ちを我慢する。
「少しだけ、話を聞いて頂けますか?」
「うん」
(まさか、今あの話か!)
鼓動が跳ね上がる。
「王宮で私に何かお仕事を頂けませんか?」
「え?」
(王宮で仕事? 何の話だ?)
「一番得意な事は刺繍ですけど、布の扱いには慣れているので洗濯とか、繕い物のような作業とか、何か出来る事は無いでしょうか。今までの蓄えもありますから、給金は少しで構いません。王宮の隅にでも置いて頂けないでしょうか」
給金。町で仕事をするのではなく、王宮で侍女として仕事をするということか。考えが追い付かず、答えられないでいるうちに、彼女は珍しく早口で続けた。
「申し訳ありません、やっぱり忘れて下さい。ごめんなさい、縁故を頼ってお仕事を頂こうだなんて、はしたない事をして。こんな事お願いするつもりじゃ無かったのに、言う事を間違えちゃいました。ごめんなさい」
(縁故? いや、頼み事くらい聞くが、どうしてこんな事を言い出した)
全く分からないまま、彼女は忘れて下さいと言う。そのまま、タオルを取って片付けに行こうとしてしまう。待て、その言葉が出る前に彼女は転んだ。
「ふきゃっ!」
「大丈夫か?」
手をつく間も無かったのだろう。思い切り体を打ち付けたようだ。絨毯が敷いてあるが、あの勢いで転がったのだから相当に痛かっただろう。ロイダはぎくしゃくと四つん這いになると、何とタオルを頭から被って蹲ってしまった。
(痛いのか? 恥ずかしいのか?)
手を貸していいのか、そっとしていた方がいいのか分からない。迷ったまま、すぐに手を貸せるように少し後ろに屈んだ。
ロイダはタオルを被ったまま動かない。痛みなのか、何かを我慢しているように見える。
(王宮で仕事が欲しいと言った。ヨーナには町で暮らすと言っていたのに、なぜ急にそんな事を。――もしかして)
俺と離れたくないと思ってくれたか。
心臓が大きく鼓動を打つ。
最初の予定通り自立はする、でも俺と離れたくない、そう思ってくれているのか。
(潮目が変わった)
これはきっと最後の機会だ。ここで失敗すると永遠に彼女を失う。しかし成功したら。
彼女は涙声で俺を追い払おうとする。
「申し訳ありませんが、向こうに行って頂けませんか? もう髪は乾いています。あちらのテーブルに、お茶を用意してありますから。どうぞあちらへ」
何を言えばいいか。どう言葉を掛ければいいか、必死に考えをまとめる。ロイダがこの場を動いてしまう前に、どうにかしないと。
ロイダは、大きくため息をついてタオルを被ったまま体を起こし、タオルで顔を押さえた。俺はかける言葉を思いつけない。しばらくして、立ち上がろうとして『痛たた⋯⋯』とわき腹を押さえて痛そうに体をよじる。転んだ時に打ち付けたのだろう。とっさに顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「きゃあっ! まだいたのですか!」
悲鳴はひどい。俺がロイダを置いて居間に行ったと思ったのだろうか。いつも、いつもロイダは、俺の彼女への気持ちを軽く考える。それは俺を深く傷つける。
「いたよ! ずっといたよ。何だよ、さっきから」
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