懐かしい味

 やってしまった。冷静になって振り返ると、結婚しますの言葉はロイダの本心かどうか疑わしい。


 移住の邪魔をさせない為に『結婚相手』としてこの国に迎えた。ヨーナと二人で暮らせるようになったら、結婚を止めると言えばいいと伝えてあった。


 ロイダは俺の求婚を、その話の続きだと思っていないだろうか。


(本気の求婚だったんだ)


 王位継承の儀式を無事に終え、気持ちが高ぶっていて平常心とは言い難かった。その熱に浮かされたまま、ロイダの微笑みを見た俺は自分の気持ちを抑えきれなくなった。


「君を愛している。結婚してくれ」


 彼女の承諾が夢のように思え、不安になった俺は言葉にして欲しいと頼んだ。


 ロイダは『結婚します』と皆の前で口にしてくれた。父は喜んでくれたが、継母は心配そうな顔で、もう一度二人の時に確認するよう忠告してくれた。彼女が戸惑っていたことには気がついている。でも、あれだけの人間の前で突然言われたのだから当然だ。結婚するという言葉は本心だろう。⋯⋯そう信じたい。


 でも俺に確認する勇気は無い。


 大勢の人から無事に王位継承者となった事と、結婚が決まった祝福の言葉をもらい、父とも今後の政務について話した。諸国へ挨拶もしなければならないし、やる事は多い。明日からの段取りをつけ、部屋に戻ったのは遅い時間だった。ロイダとヨーナはもう休んでしまっただろう。


 音をたてないように静かに部屋に入った。棚から着替えとタオルを出して浴室に向かおうとすると、寝室の扉が開きロイダが姿を見せた。


「ごめん、起こしちゃったかな」


 少し表情が強張っている。無理に『結婚します』と言わせたからか。しかし彼女はふわりと笑ってくれた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 おかえり、小さな家で一緒に暮らしていた頃のようだ。俺の帰る場所をここだと思ってくれている。


「儀式の成功、おめでとうございます」

「ありがとう。君とヨーナのおかげだ。本当にありがとう」


 二人が俺の心を満たしてくれたから、暗闇に負けずに儀式を終えられた。


「歌が役にたちましたか?」

「うん。役に立った。勇気が出た」

「そうですか。お役に立てて嬉しいです」


 俺は安心した。いつものロイダだ。あの求婚をどう思ったか分からないが、いつもと同じように迎えて接してくれている。


「もう眠い? 入浴してくるから待っててよ」

「眠れなかったので平気です。お待ちしてますね」


 いつものように頭を濡らしたまま出てロイダの前に腰掛けた。彼女は優しい手つきで丁寧に拭いてくれる。俺の一日で一番好きな時間。


「はい、終わりましたよ」


 もう少し一緒にいたい。この時間を終わらせたくない。


「ご褒美が欲しい」

「え?」


 ロイダはこの前のご褒美の事を覚えていてくれて、手を広げて『これですか?』と尋ねる仕草をした。俺が何度も頷くとタオルを置きに行き、俺の肩を両腕で包むように抱きしめてくれた。俺は彼女の肩に顔を埋める。上着越しでも彼女の温もりを感じる。


「アーウィン様、物語に出て来る王子様みたいで素敵でした」


 言ってからロイダは少し首をかしげた。


「違いますね、アーウィン様は本当の王子様だから、物語の方が真似をしていますね」


 何やら考え込んでいるようだ。今は俺の事を考えて欲しい。


「考え事するなよ。ご褒美なんだから、俺の事を考えてちゃんと労ってくれよ」

「すみません、えっと。とにかく素敵でした。アーウィン様が己を乗り越えて進む姿を見て心が震えました」


 誰に褒められるよりも一番、嬉しい。再び彼女の肩に顔を埋めた。


「ありがとう、⋯⋯愛してる」


 呟いた言葉の半分は、彼女の耳には届かなかった。


「何ておっしゃいましたか?」

「ん? ありがとうって言っただけだ」

「そうですか?」


 この温もりを失いたくない。求婚を本気で受けてくれたのか、確認する勇気を持つことは出来なかった。



 翌日からは大忙しだった。他にも様々な儀式や式典が続き、挨拶を受ける事も、こちらから出向く事もある。たまに時間を作ってもらい、ロイダとヨーナを少し遠くまで連れ出す事もある。二人には見せたい景色がたくさんある。少しずつこの国を好きになってもらいたい。


 サジイル王国の礼儀や言葉、歴史とは別に、ヨーナには通常の学問の家庭教師もつけた。今から学校に通うには時期が悪く、今までの国とは学んできた内容も違う。ロイダにはいずれ学校に行くにしても、まずは家庭教師と学んだ方が良いと伝えた。本当の事だが、ヨーナの学校が始まる時期に合わせて町に住むと言われたら困ると、冷や冷やしている。


 幸いにもエルウィンとヨーナは気が合うようで、王子という立場上、学校には通えない彼の良い遊び相手になっているようだ。エルウィンはヨーナに、学校に行かないでずっと王宮で家庭教師と勉強すればいいと勧めていた。


 継母はロイダが気に入ったようで、しきりに構おうとしている。ロイダの方も少しずつ継母に慣れて来たらしく、話した内容を楽しそうに報告してくれるようになった。しかし、我慢しきれなくなった父が姿を見せた時には、椅子から転げ落ちるかと思うほど驚いて怯えてしまったそうだ。


「せっかく、心を開いてくれた所なのに台無しにしないでください!」


 父は継母に叱られて肩を落としていた。


 俺は出来るだけ早く仕事を終えて部屋に戻るために、昼食はほとんど取らない。しかしその日は、やけに侍従が熱心に昼食を勧める。それならばと口を付けて驚いた。


「これ! このスープ、どうした!」


 ロイダの味だ。よく朝食に作ってくれた野菜がたくさん入ったスープ。彼女が祖母から教わったというスープは、あの国の独特の調味料が使われていると言っていた。


「料理長がエダさんに頼んで、ロイダ様を厨房に入れる事に成功したのです」


 料理長はロイダに俺の好みを聞きたいと言っていた。俺が動かない事にしびれを切らしたのか、料理長はロイダの侍女のエダを使ったらしい。


 侍女のエダはロイダの国の出身だ。懐かしい味を食べたいとロイダに頼み、厨房に引っ張って行ったそうだ。料理長は慣れない厨房での調理を補助するという名目で、作り方を観察し、ロイダと会話が出来る仲になったという。


「料理長がロイダ様の故郷の料理を覚えたいと頼み、定期的に教えてもらう約束を取り付けていました」

「これは、ロイダが作ったんだろう?」

「はい、料理長が取り分けておいたものです」

「これからも、ロイダが作った料理を食べたい」


 侍従は承知したと言いながら、妙な笑い方をする。


「何だよ、そのくらいいいじゃないか」

「いえ、親子だなと思いまして」


 聞けば、父の昼食は継母が作ることが多いそうだ。若い頃の父には継母の手料理を食べる機会があったそうだ。その味が忘れられず、今でも昼食に食べたがるのだという。全く知らなかった。


「料理長は、どんなに頑張っても自分の料理は一番になれないとこぼしていましたよ」


 料理長の腕は確かだ。その事はしっかり伝えてやらないといけない。



 婚儀の準備が進んでいる。皆の前で結婚すると宣言したのだから、当然のように周りは準備をしている。


 あの後、公式な場での紹介はしていないが、準備の担当者は侍女経由でドレスの採寸や彼女の好みなどを聞いているらしい。


(それでも嫌だと言わないという事は)


 彼女の『結婚します』は心からの言葉だったのかもしれない。彼女は本当に嫌な事は頑固に抵抗する。そうじゃなく、流されてくれるということは。


 期待と、勘違いだという気持ちが揺れ動く。俺はまだ彼女に確認する勇気を持てない。

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