儀式の真相
月が雲に隠れ、辺りは薄暗い。明かりを持った兵が点々と立っているが、談笑する人々の顔は薄ぼんやりとしか見えない。
俺が岩山の深い窪みに挟まって過ごした晩も、こんな風に月が雲に隠れていた。
(まずいな。大体、何で夜に儀式をするんだ。朝日の中でやればいいだろうに。そもそも、洞窟が崩れたら大変じゃないか。安全な明るい所に神殿を移動すればいいんだ)
岩山に囲まれているため圧迫感もある。昼間は大丈夫だと思ったはずの恐怖が、じわじわと心に入り込んで来る。
「大丈夫ですか」
「ホーソン!」
俺は周りの人に声が届かないように小声で頼みごとをした。体面を気にしている場合ではない。
「頼む、ロイダとヨーナを連れてきてくれ!」
ホーソンは呆れ顔でため息をつくと『困ったお方ですな』と言って立ち去った。二人の顔を見て心を落ち着けたい。こんな事なら最初から二人に来てもらえば良かった。
集まるのは国の重鎮ばかりだ。ロイダが委縮するだろうと気を遣ったが、思った以上に俺が耐えられなかった。
「神殿の準備が遅れております。申し訳ございませんが、もう少しお待ち下さい」
「構わん」
助かった。神殿の支度が済んだのかと焦ってしまった。鼓動が強く打ち冷たい汗が流れる。
(早く来てくれ!)
まさかとは思うが、国王を始め重鎮たちがいる場だからと、身支度を整えさせたりしていないだろうか。不安になるが、ホーソンなら俺の意図を正しく汲み取るはずだと信じる。
広場で歓談する人が、時折俺に声を掛け励ましてくれる。自信があるそぶりで「神殿で誓う心構えを胸の中で繰り返して集中している」と口数が少ない事への言い訳をする。
洞窟の入り口の方で兵達が動き出した。時間切れか。その時。
「お連れ致しましたっ!」
兵士の鋭い声が響く。広場にいた人達から何ごとかと驚きの声が上がった。
(馬鹿っ、声が大きいんだ!)
こっそり連れてきてくれればいいものを。しかし、周りを気にしている場合ではない。二人に駆け寄った。
「急に悪かった」
しかし、地面にへたり込む二人の姿を見て理解した。ホーソンは最速で連れて来る手配をしてくれた。儀式にまつわる緊急事態だと兵士に指示をしたのだろう、二人はまるで訓練中の新兵のように、抱えられて連れられて来たようだ。
「何だ? ひどい姿だな」
「え?」
ぽかんとしているロイダは、ひどく髪が乱れていて涙ぐんでいる。隣のヨーナは涙でくしゃくしゃの顔をして髪の毛が顔に張り付いてしまっている。
「だって、馬なんて初めて乗りましたし、兵士は大きくて何だか恐ろしいですし!」
震える声で抗議するロイダを見て、申し訳無いとは思うが港町での事を思い出して笑ってしまう。ひどく風が強い日、丘の畑に野菜を採りに行く彼女に付いて行った。風が彼女の髪をひどく乱し、畑の土ぼこりが舞い上がり目に入ったと涙を流していた。笑っていないで野菜を持って下さいと、珍しく怒る彼女が可愛くて俺はますます笑い、ロイダも終いには笑い出していた。
「ごめん、ごめん。あー、何だか気が抜けた。悪いんだけど、昼間の歌をもう一度歌って欲しいんだ」
「あの歌を?」
ちらりと周りに視線を走らせはしたが、すぐに心を決めてくれた。
「ヨーナ、出来る?」
涙でいっぱいの目をしばたたかせていたヨーナも、しっかりと頷いた。
「せーの、」
サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー。
俺の中に入り込もうとしていた恐怖が、元気のいい歌に押し出される。くしゃくしゃの姿のまま歌う、俺の大切なロイダとヨーナ。俺の顔を見て歌ううちに、楽しくなってきたのか微笑みを見せてくれる。
(サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー)
明日の具材は何がいい? ハム、ハム、ハムゥー!
俺も一緒に口ずさむ。歌い終わった二人の髪の乱れを直し、頭に手を当てて二人の存在を確認する。俺の中は二人の存在で満たされていて、暗闇が入り込む隙はない。
「じゃあ、行ってくる」
「「行ってらっしゃい」」
俺は洞窟の入り口に向かった。安心したような父の笑顔が、俺を送り出してくれる。
◇
(サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー)
心の中で歌う。俺は卵よりもロイダが作ってくれる、イモのサラダを挟んだサンドイッチが好きだ。独特な風味はあの国独自の調味料だったはず。ロイダの料理が食べたいと思いながら足を進める。
目の前は足元が見えないくらいに暗い。前を進む神官の白い衣服だけが頼りだ。
ピチャン、どこからか水が滴る音が聞こえる。少し先にぼんやりと明かりが見える。曲がり角のようだ。
(サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー)
この歌にはちゃんと名前があった気がする。ロイダとヨーナはあの国の言葉で歌っているが、世界中で有名な歌でサジイル王国語版も、共通語版もあったはずだ。
明かりが近付き、足元がゴツゴツした感触から舗装された感触に変る。
「ハム、ハム、ハムゥー」
思わず口に出してしまった。神官が足を止めずに少し振り返り、また前を向いた。
言葉と言えば、二人のサジイル語の習得は順調だと教師が褒めていた。とはいえ、世界どこでもそうだが王宮など公式な場では全て共通語が使われる。今の所、国の違いは意識せずに生活出来ているようだ。侍女に確認したが自国に戻りたそうな様子を見せる事は無いそうだ。
鍵はヨーナだ。ヨーナがこの国を気に入っている限り、ロイダが帰りたいとは言わないはずだ。そういえば、この国で採れる美味しい果物を二人に出す指示をしていなかった。ロイダの口に入るくらいたくさん出してやりたい。
出来るだけ頭の中を二人にまつわる事で埋めた。
明かりが近くなる。それは想像通り行き止まりを右に曲がる角だった。やっと明るくなるか、そう思って角を曲がる。
「――これは!」
長く長く続く通路、所々に明かりで照らされた場所がある。その壁には絵が描かれているようだ。最初の絵の前で神官が足を止めた。
「これは、⋯⋯建国だな」
剣を支えに、全身に傷を負い髪を乱した男が、強く彼方を見据えている。燃えるように赤い髪、瞳。戦乱の中でこの国を興した初代の王の姿だろう。
また進み、次の絵の前で足を止める。
「大水害の時か」
この国には過去に数度、滅びの危機があった。千年以上前の大水害もその一つで王の英断で多くの民が救われた。
次の絵も、その次の絵も、全て王の決断が描かれていた。一つずつ確認し、改めて背負う使命の重さを感じる。俺の決断一つで、大勢の人間の運命が変わる。
突き当りの壁は真っ白だった。一番明るく照らされている。
(俺が目指す治世、俺が望む民の生活、彼らの幸福)
国の行く末に思いを馳せる。先人達の偉業を継ぎ後に繋げる。
「俺は誓う。全力で国の為に、国民の為に尽くす」
神官は厳かに儀式の終了を告げた。神殿は存在していなかった。過去の王の足跡を辿り、自らと対話をし、王となる覚悟を持つ。これが儀式だった。
俺は振り返り、先の王たちに深く礼をした。
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