頑張ったご褒美
ロイダはヨーナと一緒に眠ってしまったかもしれない。浴室の外の気配を窺うと、ロイダの機嫌良さそうな鼻歌が聞こえた。俺は手早く体を拭き服を着ると、頭はびしゃびしゃのままタオルを手に外に出た。
「はあ、気持ち良かった」
何気ない顔をしてロイダの近くに寄り、家にいた頃のように『ん』と言ってタオルを手渡して椅子に座った。ここでも同じようにしてくれるか不安で緊張する。
ロイダは当然のように受け取って優しい手つきで髪を拭いてくれる。
「こうしていると、家にいるみたいです」
俺の一日で一番好きな時間。たまにヨーナが邪魔しに来たが、それはそれで楽しかった。本当にここが『家』だと感じ、二人がいる所ならどこでも俺の家なのだと実感する。
国民の感覚を知る為に教わった『家』や『家族』を自分は体感出来ないと思って育ってきた。幼い頃から暮らして来た王宮は快適で『居場所』だとは思っていたが『家』と呼ぶには違和感があった。父や母、継母やエルウィンの事は愛しているが、こちらも『家族』というには少し違和感を感じていた。あくまで『父』や『母』という個別の関係で、まとまった『家族』とは感じない。
ロイダは家にいた時と同じようにお茶を入れてくれた。父に貰った助言の数々を思い出す。ロイダが俺の支えで、俺にとって必要な存在だと知ってもらう事。
「王位継承の儀式が半月後に決まった。俺は今までそれを避けて来た」
彼女は真剣な顔をして聞いてくれる。
「君達と過ごして、俺は乗り越えられそうな気がしている」
「私達が何かお役に立ちましたか」
やっぱり全くそう感じてくれていなかったらしい。家族のように思っている、一緒に居て欲しいと伝えた事があるのに、ロイダは心底不思議そうな顔をしている。
「君達がいなければ挑戦する気持ちにすらなれなかった。本当に感謝している」
「私の方こそ、アーウィン様に危ない所を何度も助けて頂きました。どうお役に立てているのか分かりませんが、私達に出来る事でしたら何でもおっしゃって下さい」
ふわふわと笑っている。全く伝わっていないような気がするのは何故だろうか。もっとはっきり伝えた方が良いだろう。不安になって手を差し出した。ロイダは俺が何か手の届かない物を取って欲しいと思ったらしく、きょろきょろと周りを見回している。愛おしく思う気持ちが溢れる。
「手を出して」
柔らかい手を重ねてくれた。暖かい手をそっと握る。
「ここにいてくれ。ずっと俺のそばにいて欲しい」
ロイダはふんわり笑う。
「はい、私もヨーナもおそばにいます。そんな事をおっしゃると『いいかげん仕立て屋の所に行け』と叱られるまで、ずっとここに居座ってしまうかもしれませんよ」
「何だよ、ずっといてくれって言っただろう?」
「ふふふ。後悔しないで下さいね」
彼女は俺を気遣うような労わるような優しい視線をむけてくれる。でも俺が欲しいのはもっと違う気持ちだ。
もう少し、もう少しだけ踏み込もう。
「今日は頑張ったんだ。ご褒美にさ、俺のことをぎゅっとしてよ」
「え?」
「ほら、ヨーナが頑張った時に、抱きしめて褒めてあげているだろう。俺もやって欲しい」
さすがに嫌がられるだろうか。緊張で鼓動が早まる。しかし彼女は少し呆れたように笑って受け入れてくれた。
「大きな子供ですね」
子供と言われた。気持ちは伝わっていない。ロイダは歩み寄って来るとヨーナにするように抱きしめてくれた。温もりを感じて、そっと手を背に回す。
「頑張ったんですね。お疲れさまでした」
「ありがとう」
俺に対する何かしらの愛情が彼女の中には絶対にある。今はそれを感じられるだけでいい。この温もりがあれば俺は全てを乗り越えられる。暗闇も重圧も何もかも全て。
◇
翌日からは大忙しだった。数年前に儀式を放棄した時には気が付かなかったが、大勢の人が動き相当な準備がされていた。これだけの人の働きを無駄にしたと思うと、今さらながら申し訳ない気持ちになる。
父が俺に示していた期限はもう少し先だが、全てを放り出して行方を晦ました事を考慮すると、これが俺に期待してもらえる最後の機会だと思うべきだろう。
日々緊張が高まり、翌日に儀式を迎えた夜は遂に眠れなくなった。洞窟の中で心が挫ける事を想像すると、たまらなく恐ろしかった。
「頼みがある」
俺はロイダとヨーナの力を借りる事にした。儀式は今日の夜に行う。昼間は儀式の翌日以降の催しや挨拶についての準備を行う事になっていた。
(催しや挨拶の準備も、儀式が成功しなければどうせ無駄になることだ)
それらは全て後で考える事にした。地下神殿に近い岩山の洞窟で予行練習をする。ロイダとヨーナに共に洞窟に入ってもらい俺の心に強く印象を残して、儀式のときにも二人が一緒にいる気分になろうという作戦だ。二人は快く承知してくれた。
すぐに、ホーソンの息子である宰相を呼び出す。
「王位継承者になる決意を改めて固めたい。儀式に近い状況で思いを深めようと思う」
もっともらしい事を言って準備をさせた。ロイダとヨーナが一緒だと言うと、何か問いたそうな顔をしたが、ホーソン譲りの思慮深さで黙って希望を叶えてくれた。
洞窟は予想以上に俺に激しい恐怖を与えた。片手に明かり、もう片方をロイダに握ってもらい、震えそうな足を懸命に前に出して進む。
「ぽわーん、はわーん、よくひびくう~」
ヨーナが面白がって、おかしな声を出す。気の抜けたその声は、少しだけ俺の恐怖を和らげてくれた。そのうち二人は歌を歌い始めた。ヨーナの学校のピクニックに行った時に皆で合唱した歌だ。俺も覚えている。
サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー。今日の具材は何かな?
タタ、タタ、タマゴー!
サン、サン、サン、サン、サンドイッチィー。明日の具材は何がいい?
ハム、ハム、ハムゥー!
楽しそうに拍子を付ける二人の歌声が全身に沁み込んで来る。
「ほら、アーウィンさまも歌って。忘れちゃった?」
ヨーナの催促に、合わせて歌ってみる。いつもより少し声が出にくい。
「アーウィン様、歌が下手ねえ」
「やめて、ヨーナ!」
ロイダの慌てぶりが逆に俺を傷つける。そんなにひどかっただろうか。
「何で否定しないんだよ。君も俺の歌が下手だと思ってるんだな」
聞いてみるとロイダは目を泳がせた。
「そんな事はありませんよ?」
声も上ずっている。それほどひどいのか!
「何だよ、もう一度歌うぞ。さっきのはちょっと調子が悪かっただけだ」
もう一度歌うが、ヨーナはまだ下手だと笑う。つられて俺とロイダも笑い、三人で暮らしていた頃のように大笑いをした。いつもそうだった。誰かが笑い出すと伝染して、最後には三人で涙が出るほど大笑いをする。
目を上げると目の前には洞窟の暗闇が広がっていた。しかし先ほどまでの恐怖は無くなり、笑いの名残が全身に残っている。
(俺はきっと大丈夫だ)
改めて二人にも宣言をする。
「ありがとう。俺はきっと大丈夫だ」
二人は輝くような笑顔を見せてくれた。
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