弟と彼女たちの交流

「はあ、疲れた」


 父との対話は終わったが、この後にも挨拶に行く所はたくさんある。頭の中で順番を考えていると、エルウィンが駆けて来た。


「兄上!」


 そのまま飛びつかれる。幼い頃はよく抱き上げてやったものだが、成長してからは機会が無くなっていた。


「う、わ! お前重いな。固いな」

「固い?」


 ヨーナと同じ年齢だったはずだが、ふんわり軽くて柔らかいヨーナに慣れていたので、妙に重く固く感じる。


「いや、半年しか経っていないが、背が伸びて成長したと思って」

「はい、結構伸びたと思いますよ」


 エルウィンは自分の頭に手を乗せて嬉しそうに笑った。


「兄上が姿を消したせいで、ものすごく勉強が厳しくなりました。戻って頂けて良かったです」

「お前、俺がいてもいなくても、勉強はしっかりしなきゃならないだろう」

「僕、勉強は好きじゃない」


 俺が戻らなければ、エルウィンが王位継承者を目指す事になる。周囲の期待も大きくなったのだろう。


「悪かったな。もう大丈夫だ」


 エルウィンはロイダとヨーナの事をしきりに気にした。自分と同じ年齢だというヨーナが特に気になっているらしい。怖がらせるから近寄るなと釘を刺した。


 しかし。


 午後に王宮を歩いていると、またエルウィンが駆け寄って来た。そして、ロイダに刺繍をしてもらう約束をしたと誇らしげに報告する。


「行くなと言っただろう!」

「ははは。申し訳ありません。ロイダさんは子犬のような方ですね。最初は怯えて話してくれませんでしたが、慣れると優しかったです」


 ロイダとヨーナと話をして、どれだけ楽しかったかという事を熱心に話す。俺だって二人に会いたいのを我慢して挨拶回りをしていると言うのに。悔しくなったから、大人げないとは思ったが羽織っていたマントを自慢してやった。


 ロイダに炎の刺繍をしてもらったマントは俺のお気に入りだ。少し温かくなったとはいえ、広い王宮の廊下を移動する時には冷える。他のマントもあるが、敢えてこのマントを羽織っている。


 仕立て屋が作ったものにロイダが刺繍を入れている。彼らの腕は確かで、王宮内の他の人間の衣装と比べても全く遜色ない見栄えがする。仕立て屋夫婦には、早く町の店を軌道に乗せてもらい王宮に出張して来てもらいたいものだ。


「炎ですか! 兄上の髪と瞳にぴったりだ。ということは、僕の髪と瞳にもぴったりです。このマント僕に下さい!」

「え? 嫌だよ。気に入ってるんだ。大体、お前には大きすぎるよ」


 むうっと膨れる。


「勉強がんばりますから」

「駄目だ」


 それなら自分で頼むからいいと膨れている。その姿は可愛いがこのマントはやれない。


 エルウィンの接触は想定外だったが、ロイダを継母に引き合わせる前に、エルウィンに慣れてくれたのは良かったかもしれない。二人の様子を聞く事が出来て頑張る気力を取り戻し、挨拶回りの続きをした。



 夕食は父と継母、エルウィンと取った。父がロイダとヨーナを呼びたがったが断固として阻止した。ロイダが安心して食事出来るとは思えない。本当は、懐かしいあの家でロイダが作った料理をヨーナと三人で囲みたかった。王宮の料理はもちろん美味しいが、あの味には敵わない。


 とはいえ、久しぶりに俺の好物を出すと張り切っている料理長に申し訳ないので、褒め称えながら食べた。しかし料理長には見透かされていたようで、今まで何を食べていたのか根掘り葉掘りしつこく聞かれた。ロイダに聞きに行きたいというのを、これまた阻止した。


「兄上は、そんなにロイダさんを独り占めしたいんですか!」


 エルウィンが呆れたように言う。独り占めではない。


「怖がらせて逃げられたら困るんだ、本当に困るんだ!」


 彼女は王宮の建物を見ただけで、中に入るのを嫌がり仕立て屋の所に行きたがった。皆が俺に呆れを含んだ同情の視線を向ける。エルウィンは『兄上は女性に好かれないのですね』と酷い事を言い、継母に叱られていた。


「私が平民出身でも問題無く、ここで暮らせる事をお伝えします。好きになってもらうのは、ご自分で頑張ってください」


 継母なりに励ましてくれていると判断し、お礼を言っておいた。


 その後も挨拶回りは続いた。



 やっと部屋に戻れたのは、もうヨーナが眠りそうな時間だった。ロイダまで寝てしまったら、俺の一日で一番の楽しみが無くなってしまう。


 二人は入浴を済ませたのか、思ったよりもくつろいだ顔をして迎えてくれた。ホーソンが選んでくれた侍女は彼女達と上手くやってくれているようだ。俺も入浴してそのまま寝る事を伝え、長椅子に座って伸びをした。


「あー、疲れた。君達はどうだった、困った事はない?」

「はい。快適に過ごしています。エダさんにお世話になりっぱなしです」

「優秀な侍女だと聞いてるよ。気が合いそうで良かった」

「刺繍道具もありがとうございます。とても嬉しいです。エルウィン殿下がお越しになって、シャツに刺繍をする約束を致しました」


 刺繍道具を喜んでくれたようだ。侯爵家の馬車から逃げるときに置いて来てしまって、手元に残った物は少ないと悲しんでいたのを覚えていた。仕立て屋がこの国で店を開いた後に自分でまた買い揃えると言っていた。


(初めての贈り物が刺繍道具か)


 あの国にいる時にも、道端の花やヨーナへの果物や菓子は受け取ってくれたが、何かを買ってやろうとしても断られていた。彼女が好む物も分からなかったし、これが初めての贈り物になった。もっと装飾品のような物を贈ってみたかったが、今はこれで満足しておこう。


「手間をかけて申し訳ない。あいつ、わざわざ俺の所に自慢しに来たんだ。よほど嬉しかったんだろうな。俺のマントを見せてやったら、これも欲しいと目を輝かせてたよ。次は炎の刺繍を頼まれるかもしれない」

「エルウィン殿下には、少し違う感じの炎が似合いそうです」


 ロイダは頭の中に思い浮かべているのか、視線を天井に向けた。


「俺とエルウィンは似てると言われるけど、違う刺繍が合うのか?」

「そうですねえ。お顔立ちは似ていらっしゃるのですが、雰囲気がこう何と言うか⋯⋯」


 少なくともマントの刺繍が終わるまでは、ここに居てくれそうだ。心底安心する。ヨーナはもう眠そうな顔をしてうつらうつらしている。侍女達が入って来て浴室の方に向かった。船で数日を過ごしたから、早くさっぱりして、落ち着いてロイダとの会話を楽しみたい。


「続きを後で聞かせて」


 そう言って立ち上がるとロイダは不思議そうな顔をした。俺がこの部屋で入浴して眠るとは思っていないのだろう。問われたくないので、さっさと入浴してしまう事にする。


「さて、しっかり湯に浸かるのは久しぶりだな」


 しかし後ろで、ロイダの不安そうな声が聞こえた。


「あの、どこに連れて行くのですか?」


 振り返れば、侍女がヨーナを外に連れて出ようとしている。すぐに理由に思い当たった。


(何て事だ!)


「この子はここで寝るから」


 ヨーナをロイダの元に戻すよう指示した。侍女は不思議そうな顔をして指示通りに動く。


「後は自分で出来るから下がっていいよ。他の人にも言っておいて。ロイダ、ヨーナを寝かせてやって」


 心臓が口から飛び出しそうだった。侍女達は俺とロイダが二人で眠ると思い、ヨーナを別の部屋で寝かせようとしたのだ。俺の『結婚相手』だと連れてきて、一緒の部屋で眠ると言ったのだから、普通はそう解釈して当然だろう。


 ロイダは侍女の意図に気付いた様子は無さそうだった。まだ動悸が治まらない。これ以上、余計な事をされてロイダが意識してしまうと困る。一緒の部屋では眠らないと言い出そうものなら大変だ。明日、しっかりと指示を徹底した方が良さそうだ。


 改めて考えると、俺がこの部屋で眠るのはロイダの名誉を著しく傷つけているようにも思える。しかし、これは譲れない。二人と一緒じゃないと俺は眠れない。家にいた最後の頃、夜中に仕事部屋に一人で籠ってみたことがある。二人の笑顔を思い浮かべると耐える事が出来た。俺は暗闇を克服しつつある。


(でも、まだ完全にではない!)


 俺は湯に頭までもぐった。 

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