永遠に思える長い夜

「ガイデル・シードが拘束された」


 ホーソンと共にサジイル王国から来た配下の者が情報を得たのは、つい先ごろだと言う。


 サジイル王国に戻る日も決まり、ガイデルとの約束を果たしてロイダと引き合わせる機会を作ろうとしていた矢先の事だった。


「どういうことだ」


 聞けば侯爵家の子息に剣を抜いたらしい。幸いにも相手を傷つける前に周りが押さえたが、貴族間での私闘は厳禁だ。衛兵に拘束されたらしい。


(侯爵家の子息。あの事件が無関係ではあるまい)


 ガイデルはそれほど短慮ではない。恐らく侯爵の子息が腹いせに何か嫌がらせをしたのだろう。


「仔細を調べろ」


 推測通り侯爵側に非があったようで、ガイデルはすぐに釈放された。しかし、ガイデルの父は侯爵家への恭順の姿勢を見せ息子を謹慎させた。屋敷から一歩も出さず人とのやり取りも一切禁じているという。


 諜報に長けた部下が掴んで来た情報によると、諍いの原因はやはりロイダの事だった。屋敷でロイダを検分した侯爵令息は、いたく彼女を気に入り、俺の横やりで妾にし損なった事に不満を持っていたらしい。


 想像は出来る。自分の感情を殺している時の彼女は美しい。目を惹いたのは当然だろう。しかし、冷静に報告を聞いていられたのはここまでだった。


 侯爵令息はどこからか、ロイダとガイデルが身分違いの幼馴染だと聞き付け、ガイデルに俺の目を盗んで彼女を連れ出せと命じたそうだ。そして聞くに堪えない暴言を吐いた。


「手を付けてしまえば、あの王子だって捨てて行くだろう。そうしたら、後は好きに出来る。飽きたらお前にやろうか」


 俺に報告をした配下は、途中から顔色が真っ白になり口ごもり始めた。それだけ俺の怒りが伝わったのだろう。俺にはガイデルの怒りがどれほど大きかったか想像出来る。


「その場で切り捨てずに踏みとどまった、あいつの冷静さを称賛する」


 泡を食ったのは親である侯爵だ。この内容が俺の耳に入れば、ただで済まない事は理解出来るのだろう。何しろ俺は、ロイダを『結婚相手』だと伝え、国籍の変更手続きを進めている。


 侯爵は全力で火消しを図ったが、馬鹿息子は多くの人間の耳目の前で暴言を吐いているから手遅れだった。老獪な侯爵は以前から、出来損ないの息子を持て余していたのか、素早く遠くの領地に追いやった。


「どうされますか?」


 ホーソンが俺を観察するように見ている。俺は一呼吸おいた。


「何か理由をつけて侯爵と話をしろ。事の次第を把握している事、ガイデルが俺の大事な友人だと言う事を匂わせろ。今はここまでにしておく」


 この国の要と言える人物に貸しを何個も作る。それは、今後いかようにも活かせる。


「俺は、借りを忘れないが、貸しはもっと忘れない」


 俺の笑みを見て、ホーソンはますます父に似ていると喜んだ。


(しかし困ったな。ガイデルとの約束を果たすのが難しくなったか)


 謹慎しているガイデルとはもちろん、間を取り持つはずのリベスとも連絡が取れない。訓練所の代表に頼み、彼の名でリベスへの連絡を試みたが返答は無い。そうこうしているうちに出立を翌日に迎えてしまった。


「ロイダが悲しむだろうな」


 彼女は隠しているが、夜中に寝室を抜け出して泣いている事を知っている。彼女がガイデルと会う事で俺と来る決意を翻す事よりも、彼女の心が悲しみで潰される事の方が怖い。


 軋轢を承知でガイデルの父に彼を連れ出す許しを得ようか、迷ったが止めた。彼らはこの先もこの国で、あの侯爵家と上手く過ごして行かなければならない。ガイデルには申し訳ないが、約束は反故にさせてもらおうと決めた時に、リベスの訪問を受けた。


 翌日の出立の最終調整を行っていた為、普段よりも家に戻る時間が遅くなっていた。リベスの訪問が間に合ったのは幸運だった。ガイデルの父の監視が厳しく、リベス自体が屋敷を出る事に手こずっていたらしい。


「どういう状態だ」


 リベスの顔は憔悴していた。ガイデルは騒ぎを起こして家の名を汚した事を悔いて部屋に閉じこもり、誰にも会わないと言う。食事もろくに取らず、扉越しに抜け殻のような力ない返答をするばかりだとリベスは苦しそうな声で言った。


 ガイデルにしてみれば、全てを失った気持ちだろう。家名も、両親からの信頼も、愛する女性も、何もかも全て。


「ロイダ嬢に助けを求められないでしょうか。こんな事をお願いするのは道理を外れた事だと承知しております。しかし、このままではガイデル様は――」


 リベスは誰にも知られずにロイダをガイデルの部屋まで連れて行けると言う。周りの人間全てを遠ざけているガイデルも、ロイダにだけは会うんじゃないか、彼女ならガイデルの心を再び立ち上がらせる事が出来るのではないか、リベスはそう切々と訴える。


 俺は窓の外を見やった。既に日が暮れてしばらく経つ。家に戻ってロイダの意思を確認したとして夜中に送り出そうというのか。


 嫌な想像が広がる。夜の闇に紛れて、ロイダと遠くに落ちる計画を立てているのではないか。


(違う、ガイデルはそんな男ではない)


「承知した。しかしロイダが承知したらだ。今から家に戻るから、一緒に来い」


 リベスは真っ赤な顔をして涙ぐみ、俺に謝意を伝える。ロイダが否と言う訳がない、そう信じている姿に俺の心は深い所で痛みを覚える。リベスは、十年以上かけて思いを育てて来た二人を間近で見ていた。二人の絆が強い事をよく知っているのだろう。


 家に戻り、彼女に告げた。彼女はガイデルの元に行く事を選んだ。


 俺は、行った所で何が出来るかと迷う彼女の背中を押した。行くな、断ってくれ、俺は本心をしっかりと隠し通せたと思う。



 その晩は久しぶりに眠ることが出来なかった。


 ロイダがヨーナを置いてどこかに行ったりしない事は分かっている。それでも、ガイデルが全てを捨てたなら、その気持ちに応えて、彼女も大切なヨーナを捨てて二人で去ったとしたら。置いて行かれたヨーナを、俺や仕立て屋が大切に育てる事は分かっているはずだ。


 もしくは、ロイダがこの国に残ってガイデルの妾として歩むと決めたとしたら。自分のせいで苦境に立たされたガイデルを支え、危険や困難を承知で二人で立ち向かう事を選んだとしたら。


 別れを惜しんで来いと送り出したが、別れを告げられるのは俺の方かもしれない。さっき彼女を見送ったのが、彼女を見る最後だったかもしれない。朝が来て戻って来る彼女と話すのが、最後の会話になるかもしれない。


 暗闇が迫って来る。俺を包み込み、閉じ込める。俺はきっと一筋の光も無い闇の奥から出られなくなる。叫び出したくなるような恐怖が襲う。


「うぐーぅ」


 ヨーナが呻きながら寝返りを打った。毛布が体から落ちる。俺は体が冷えないように毛布を掛けてやる。すうすうと寝息を立てて、何の心配もないという顔をして眠るヨーナ。


(大丈夫だ。俺とヨーナとロイダは三人で家族じゃないか)


 ヨーナから溢れる光を避けるように、するすると闇が遠のいていく。ロイダが言っていた事を思い出す。自分がヨーナを守っているんじゃなくて、ヨーナに守られているんですよ、そう笑っていた。


(まったくその通りだな)


 空が白み始める頃に、カタンと扉が開く音がした。彼女は足音を立てないようにして寝室を覗きに来た。


「おかえり」


 声を掛けると、少し申し訳なさそうな顔をした。物音で俺が目を覚ましたと思ったのだろう。穏やかで晴れ晴れとした顔。


「ただ今、戻りました。⋯⋯行かせて頂いて、ありがとうございました」

「ちゃんと話せた?」

「はい、今まで言えなかった事を全て伝える事が出来ました。たくさん話をしました。私達はそれぞれの道を、お互いに恥じないように進むことを約束しました」

「そうか。――君が戻って来ないかもしれないと思って、行かせた事を少しだけ後悔していたんだ」

「帰って来るに決まっているじゃないですか」


 心外だと言わんばかりに、屈託のない笑顔を見せる。きっと彼女は、どれだけ俺がそれを嬉しいと思っているか分からないだろう。


 心の中でガイデルに伝える。


(ロイダを送り出してくれて感謝する。決して信頼を裏切らない事を友人として誓う)

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