懐かしき我が世界

 迎えが来そうな頃合いを見計らって王宮でも違和感の無い服装に着替えた。気を利かせた代表が準備してくれた物で、鏡を見るとひどく懐かしく、同時に違和感も感じる。


「すっかり平民の服装が板についてしまったな」


 何とも着心地が悪い。まあ、こういう服は見栄えを優先して体を動かす為には作られていないのだから仕方がない。仕立て屋夫婦なら、見栄えを保ちながら動きにも配慮が行き届いた服を作ってくれそうだ。国に戻ったら初仕事として依頼したい。


 俺は家から持ってきた長剣を腰に下げ、首に下げていた指輪を指に通した。どちらもこの恰好にはしっくりと馴染む。


「本当は、髪も整えたいところですが時間が限られております。こちらは、今晩、王宮でお休みになる前に侍女達がどうにかするでしょう」

「いや、夜は家に戻る予定だ。悪いが着ていた服はまとめてくれないか。家に帰る時には、元の姿に戻りたいから持って行く」

「承知致しました。⋯⋯なるほど『家』ですか」


 代表は少し嬉しそうな笑顔を見せた。


 指示した通りの時刻に王宮からの迎えが到着した。豪奢な馬車と従う騎士達。まだ俺が提示した国章を見たのは衛兵だけなのに、ずいぶん簡単に俺の身元を信じるものだと少し呆れる。


(ああ、髪と瞳か)


 自国では鮮やかな赤の髪と瞳ですぐに王族と知られてしまう。サジイル王国の王族にこの色を持つ人間が多く生まれる事を、この国の平民は知らなくとも王宮の人間の中には知る者がいたのだろう。


 馬車がゆっくりと王宮の門をくぐる。王都で暮らしてしばらく経つが中に入るのは当然初めてだ。王子としてこの国を訪れた事は無い。


「アーウィン殿下、お待ち申し上げておりました」


 出迎えてくれたのは、顔見知りの大臣だった。戦時に特別に設けられるという大臣職だが、この国は常にどこかと争いを起こしている。この男は、俺が知る限りずっとその職位に就き、頻繁に我が国を訪れていた。何度も顔を合わせている。


「大臣。貴国を騒がせて申し訳ない」

「とんでもございません。我が国の者が殿下に大変な失礼を働いたと聞いております。教育が行き届かずお恥ずかしい限りでございますが、厳しく処罰致しますので、平にご容赦下さいますようお願い申し上げます」


 大臣は這いつくばらんばかりに、いや、実際に膝をつき頭を床に額づいて許しを請うている。国を離れてから半年以上経つが、この様子を見る限り、この国と我が国の関係は変わっていないようだ。


(つまり、我が国の機嫌を損ねる事が出来ないという事だ)


 しかし、国での俺の立場がどうなっているか分からない。俺が不法に入国して滞在している事は確かだ。寛容な態度を示す事に決めている。


 俺は大仰に申し訳なさそうな顔を作って大臣に手を差し出した。


「お互いに不幸な行き違いがあったようだ。侯爵家にも不快な思いをさせた事を申し訳なく思う」


 俺が侯爵家と事を構える気が無いと分かり、大臣の体から明らかに力が抜けて泣き出しそうな顔をしている。恐らくどうにかして俺の機嫌を取れと命じられていたのだろう。


 大臣の後ろに控えていた何者かが、急ぎどこかに走っていった。俺が王子本人だと確認が取れた。侯爵家と和解する姿勢も見えた。報告に行く先は。


(次は侯爵が出て来るな)


 面白い。やがて大臣が立ち上がると、廊下を進み来賓用の応接室に通される。そこには予想通り中年の男がいた。


「この度は私の家の者が――」


 名乗った後に真摯に見える姿勢を見せるこの男は、大臣よりは格段に扱いが難しそうだ。俺は霧の中で穴だらけの窪地を進む心持ちで慎重に言葉を発した。


(懐かしき我が世界)


 魑魅魍魎が跋扈し、暗闇の中から見えない敵が忍び寄る、一瞬たりとも油断出来ない世界。



 ロイダとヨーナは、今までと全く何も変わらない様子で『お帰りなさい』と迎えてくれる。


 笑顔で夕食を囲み、優しく髪を拭いてもらい、三人で並んで深く眠る。



 十日を過ぎる頃には自国の人間が来た。その顔を見て俺は胃が痛くなる。恐らくそうだろうとは予想してはいたが。


 こっそり、ロイダが施してくれた上着の裏の刺繍を見て自分を慰める。


「殿下、ご無事で何よりです」

「ホーソン、手間をかけて申し訳ない」


 昔からこの老人が苦手だ。先の宰相だった男で、とにかく厳しい。悔しい事に誤った事は言わないからいつも反論出来ない。父ですらこの男には頭が上がらない。優しい微笑みの裏に激怒が隠れている事は、幼い頃からの経験ですぐに分かった。


「戻ったらすぐに儀式を受ける!」


 二人になるなり俺は先手を打った。思惑は当たり、ひどく驚いた顔を見せる。ホーソンにしては、かなり珍しい事だ。


「てっきり、このまま逃げるおつもりかと思っておりました」


 怒りが逸れたところで、俺はこれまでの事を話した。ある程度は正直に話したが、さすがに海賊退治の想像を巡らせて帆柱から落ちたとは恥ずかしくて言えない。波に濡れた甲板で足を滑らせたと濁した。


 すぐに国に戻らなかった理由も、せっかくなので平民の暮らしを体験してみたかったと伝えた。半分は本当だ。


 そして、一番大切な事を伝えた。


「ロイダを、妻に迎えたいと考えている」

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