この国の正義の基準
衛兵達に取り囲まれる。御者と男が噛みつきそうな剣幕で衛兵に俺の所業を訴えているが、兵達はまだ剣には手を掛けていない。六人。それほどの力量があるようには見えない。訓練所の師範達のほうが余程腕が立ちそうだ。隙だらけで剣を奪うのも容易だと思われる。
衛兵の中の一人が緊張した顔をして俺に向く。武器を持った衛兵に囲まれて動じない俺を気味悪く思って警戒しているようだ。恐らく、この中で最も職位が高いのだろう。話すならこの男か。
「この者達は、お前が走っている馬車を無理やり止めて、侯爵家の客人を連れ去ろうとしていると言うが真実か」
「馬車を止めたのは真実だが、この女性は侯爵家の客人ではない。私の家の者だ」
隊長格の顔に動揺が浮かぶ。
「しかし、侯爵家の馬車に乗っていた女性を連れ出しているのですから、侯爵家に理があるように思えますが」
「この娘は侯爵家のご子息の妾として迎えると決まっている。誰であろうが、もう侯爵家のものだ。こんな男のたわ事に耳を貸すな!」
男が衛兵に訴えかける。隊長格が戸惑ったようにロイダを見る。
「子息の妾だって? 本人が承諾したというのか。意思に反して連れ去るような真似が正しい振る舞いだと言うつもりか」
ロイダを物のように言う。主人の言葉を考えもせずに受け取り、疑問すら持たない家畜のような男。こんな男がロイダを物のように扱おうというのか。
「お、俺達は侯爵家の人間だ。馬車の紋章を見れば分かるだろう! 何か文句があるなら侯爵家に言うんだな!」
今度は御者が真っ赤な顔をして叫び、衛兵を押しのけて俺の腕の中のロイダに手を伸ばす。薄汚れた手でロイダになど触れさせない。
「触るなっ! もう二度とは言わんぞっ!」
御者は腰を抜かしたようにへたり込んだ。
衛兵の剣は手を伸ばせば届くところにある。ロイダに触れようとした御者を切り捨てなかったのは、大した自制心だったと自分で自分を褒める。
長居は無用だ。俺は先ほど御者が押しのけて出来た衛兵の隙間を抜けようと、足を踏み出した。しかし衛兵の隊長格がをれを阻む。
「どちらの言い分が正しいのか、今ここでは判断がつかない。私達としては、無理に馬車を止めたあなたを制止する他ない」
ロイダ本人が目の前にいるのに、事情を聞きもしない。これがこの国の衛兵なのか。
「人を拐かす輩に理があるというのか? この女性が侯爵家に行く事を望んでいるように見えるのか?」
「いや、あの⋯⋯」
隊長格は口ごもる。恐らく侯爵家に非があると分かっているのだろう。苦しそうに言葉を発する。
「申し訳ないが、あなたを拘束させてもらう」
衛兵たちが隙間なく取り囲み腰の剣に手を掛けた。剣を奪うなら右から二番目の男か。ロイダをどこに下ろすか視線を周りに走らせる。
「アーウィン様、私行きますから。今ならまだ許してもらえるかもしれませんから!」
(許す?)
俺が、ロイダが、誰に許しを請うというのか。
(俺が君を守れないと思っているのか)
信用されない俺自身への怒りか、理不尽極まりないこの状況への怒りなのか。湧き上がる怒りを堪えるのが困難だ。出来るだけ怒りを声に出さないように彼女に告げる。
「黙っていろと言ったな?」
「ひっ!」
ロイダが身をすくませた。駄目だ、彼女をこれ以上怖がらせてはいけない。この場をどう収拾するか。衛兵を切り捨てる事は簡単だ。しかし後の対処が面倒になるだけだろう。衛兵達を見渡す。後ろ暗そうに視線を外す姿には憐れみを覚える。
「どちらに理があるか、身分で判断するのか。⋯⋯腐ってるな」
俺の国では身分を笠に着る行いを許さない。祖父も父もそのような振る舞いをひどく嫌い、耳に入れば容赦なく処罰した。目の届かない所では多少あるだろうが、少なくとも公衆の面前で当然のように行い、しかも王宮直属の兵士である王都の衛兵がそれを許容するなど信じがたい事だ。
この国では、とかく人間が軽く扱われる。もううんざりだ。こんな国で俺の大切な二人を傷つけさせたりしない。決して。
(サジイル王国に帰る潮時だな)
ロイダは怯えているが震えてはいない。自分で立つ事はできそうだ。尋ねると頷いたので静かに下ろした。
「お前、こっちに来い」
隊長格に向かって告げると、ふらふらと歩み出た。衛兵は人を見るのが仕事だ。逆らってはいけない何かを感じ取っているのだろう。
俺は平穏で愛すべき日々に別れを告げると、首元に手をやり鎖を引き出した。
繊細な金細工が施されて大きな宝石を抱く指輪。裏にはサジイル王国の国章が大きく刻まれている。俺の本当の身元を証明する物だ。これだけは肌身離さずに身に付けていた。
おれは国章の部分を隊長格に示した。
「仮にも王都の衛兵なら、近隣国の国章くらい分かるだろう」
「――! あなたは一体!」
みるみるうちに隊長格が顔色を失う。事の重大さを理解したのだろう。真っ青になった唇が震えている。
「私はサジイル国の第一王子、アーウィン・サジイルだ」
「は、は、ははっ! 大変なご無礼を!!」
衛兵達の間に動揺が走る。隊長格は腰が抜けたように地面にへたり込むと、ひれ伏した。衛兵たちも慌ててその姿に倣って地面にひれ伏す。
その先は簡単だった。権威に弱い衛兵達は、どちらに付くか即座に決めたらしい。俺の素性を信じようとしない侯爵家の男達を追い払うと、手のひらを返したように俺に媚びへつらう。しかし、一度もロイダに謝ろうとはしない。彼女を中心とした騒ぎなのに最初から最後までずっと、存在していないかのように扱う。
一刻も早く、この不愉快な場からロイダを遠ざけたい。仕立て屋夫婦とヨーナもひどく心配しているだろう。訓練所の代表にも手間をかけさせている。
送ると言う衛兵を追い払い、ロイダと共に家に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます