家族全員の幸せ

 家に戻ると仕立て屋夫婦とヨーナ、ヨーナを送ってくれた訓練所の師範がいた。俺達の姿を見ると、皆、安堵の表情を浮かべた。


 ロイダが涙ぐんでヨーナと仕立屋夫婦の所へ駆け寄って行く。俺は師範に合図をして家の外に出た。


「ロイダ嬢がご無事で良かったです。彼らが気になって仕方ないと言うので、ここに戻りました。野次馬が覗きに来ますが、それ以外は特に変わった事はありません」

「本当に助かった。ありがとう」


 この男は俺の素性を知らないのに、なぜこのような事をしてくれるのか。不思議そうな俺の様子に気が付いたのか苦笑する。


「あなたは隠していたのでしょうけど、異国のそれなりの身分の方とすぐに分かります。代表が詮索無用と私達に言い付けていたので、皆、気付かない風を装っていたのですよ」


 何と言う事だ。全く気付かれていないと思っていた。これまでの行動を振り返ると恥ずかしくなる。


「気を遣わせていたようだな、申し訳ない」

「私は訓練所に戻ります。あなたは、ここを離れない方が良いでしょう。代表に何か言付けはありますか?」

「状況の確認と、今後について話をしたい。明日の午前中に訓練所に行く。⋯⋯代表も、あなた方もこの国の人間だ。異国人の俺に肩入れする必要はない。明日、対話を断られたとしても、あなた方の不利益になるような事は決してしないと誓う」


 師範は軽く笑った。


「事付けを承りました。⋯⋯でも、上司と同僚にもっと甘えて下さい。皆、あなたという人間が好きなのです」

「ありがとう、ローディ」

「俺の名前を⋯⋯」


 師範は驚いたような顔をする。


「なぜ驚く。世話になっている同僚の名前を覚えていないとでも思ったか? 君は慣れない俺にいつも親切に教えてくれた。感謝している」

「いや、そんな」

「すまない、ちゃんと名乗っていないな。俺は、アーウィン・サジイル。サジイル王国の第一王子だ。しかし、君の同僚でもある。今まで通りの態度で頼む」

「お、王子!? まさか、そこまで。え?!」


 握手の手を差し出すと、師範は恐縮したように取って嬉しそうな顔を見せてくれた。


(この国の嫌な部分も見たが、良い部分も見る事が出来たな)



 家の中に入ると仕立て屋夫婦が、俺が救出に行くまでの経緯をロイダに説明していた。彼女は申し訳ありませんと謝り続けている。


「侯爵家の使用人が、よくロイダを渡してくれたね」


 まだ俺の素性を知らない仕立て屋夫婦はしきりに不思議がっている。


「少し脅したら、すぐ渡してくれましたよ」


 とぼけて見せると、俺の訓練所の師範という腕っぷしを思い出したのか、納得したようだった。


 さて、まだ大仕事が残っている。ガイデルには申し訳ないが、彼にロイダとヨーナは守れない。俺ならそれが出来る、俺の国に連れて行く。


 ロイダはふわふわして見えるが頑固だ。何かを決めたら意思を曲げない。上手く事を運ばなければ永遠に彼女を失ってしまうだろう。政治の駆け引きよりも緊張する。


 大きな不安にさらされたヨーナは、恐らく姉と一緒にいたがるだろうが、集中してロイダと話をしたい。俺は仕立て屋夫婦にヨーナを頼む事にした。


「ロイダと話したい事があります。申し訳ありませんが、今晩はヨーナを預かってもらえませんか?」

「分かった。そうだ、領主様にもロイダが無事に戻ったと知らせておかないとな」


 仕立て屋夫婦は快く引き受けてくれたが、ヨーナは渋った。ロイダにしがみつくヨーナを抱き上げると、少し離れて二人だけで話す。ヨーナは人の本音を見透かす所がある。子供だとは思わずに、真剣に本音を伝える。


「姉さんが、ヨーナの事をとても大切にしている事は分かっているな?」

「うん、知ってる」

「でも、ロイダが辛い思いを我慢して、ヨーナの為に何かをしてくれても嬉しく無いだろう?」

「すごく嫌、お姉さまが辛いのは嫌」

「今日のロイダは、自分が辛い思いをしてもいいから、ヨーナを助けようとした。俺はロイダとヨーナの二人とも幸せじゃないと嫌だ」


 ヨーナは少し考えるように視線を床に伏せてから、まっすぐに俺を見る。


「ヨーナは、アーウィンさまも幸せじゃないと嫌よ?」


 俺はヨーナを抱える腕に力を込めた。幼くても、人を思いやる温かな心はロイダと同じでとても大きい。


「ありがとう。ロイダは間違えた。三人とも幸せになる方法を探すのが、今日の正解だったんだ。俺はこれからも三人で一緒にいたい」


 ヨーナはロイダの方を見て、俺を見て深く頷いた。そして俺の肩に額を押しつけた。


「うん。ヨーナも三人がいい」

「それを、ちゃんと伝えたいと思う。だから、ロイダと二人で真剣に話をしたい。許してくれるか?」

「分かった。アーウィンさま。お願いします」

「全力を尽くす」


 ヨーナを下ろすと、ロイダに向かって真剣な顔で言った。


「お姉さま、アーウィンさまの言う事をしっかり聞いてくださいね。約束ですよ。お返事は?」

「え? 分かったわ」


 ロイダの顔が不安そうに曇る。仕立て屋夫婦とヨーナが去ると、落ち着かない様子を見せて、椅子に座ったり立ったりし始めた。


「お、お茶、入れますね」

「いらない。座って」


 ロイダは椅子に座り、怯えた様子で俺の様子を窺っている。そんな顔をするな、もう何も考えなくていいと甘やかしたくなるが、ぐっとこらえる。


「君は今日、自分の身を守ろうとしなかった。俺はその事に腹を立てている」

 ロイダの瞳が不安そうに揺れる。


「自分の身を守る前に、私はヨーナを守ります。侯爵家は、私の常識の通じない恐ろしい世界に思えました。あの子を巻き込んではいけないと思って行動しました。自分の事を考えるのは、あの子が安全だと思えてからです」

「違うだろう?」


 これがロイダだ。いつもいつも、自分よりも周りを優先する。分かっているが、もどかしい。


「なぜ、その恐ろしい世界から自分も一緒に逃げる事を考えなかった。ヨーナだけじゃなく、自分も一緒に逃げる方法を考えればいいだろう」

「私も? ⋯⋯でも」


 彼女は俯いて黙ってしまう。


「でも、何だ。言ってみろ」


 彼女は少しの間、迷うように視線を泳がせた。静かに待つと、諦めたようにため息をついて重い口を開いた。


「私が逃げたら、仕立て屋のご夫婦が責められるでしょう。もしかすると、私の刺繍を紹介した領主様の奥方にもご迷惑が掛かるかもしれない。でも、少しだけ、アーウィン様を頼ってみようとは思ったのです」


 不安そうに俺を見る。


「侯爵家の人はここの裏口は見張っていませんでした。そこから出れば訓練所までは捕まらずに行けると思ったのです。アーウィン様なら、追手が来ても絶対に負けないと思います。でも、侯爵家には人がたくさんいるでしょう。武器を持って束になってかかってきたら? 追手を傷つけた事が罪になってしまったら? そんな迷惑はさすがに掛けられないと思ってやめました。一人で侯爵家に行く事を選びました」


 ロイダは身を縮めてぎゅっと小さくなり俯いた。小さな声でつぶやく。


「ごめんなさい、巻き込もうとして。⋯⋯いえ、結局巻き込みました。申し訳ありません」


 ロイダの言葉は俺の心を切り裂く。ひどく深い傷をつける。『助けて』そう頼って欲しかった。俺は巻き込まれて迷惑だと思うような、そんな人間に見えているのだろうか。信頼されていないのか。


 俺はテーブルの上に手を出す。


「ロイダ、手を出して」


 不安そうな顔のまま重ねられた手を、そっと両手で包んだ。


「俺は、君を家族のように思っている。何度も言ってきたが、覚えているか」

「はい、何度も言って頂きました」

「家族が不幸な目に遭っているのに、俺が笑って過ごせると思うか? 面倒がって助けないと思ったか?」


 俺は手を少し強く握る。俺がどれだけ想っているか、つないだ手から伝わればいいのに。一呼吸置いて、彼女は躊躇いながら言った。


「一緒にいる間は、家族のように思って頂けるかもしれませんが、あなたは、いつか遠くに行ってしまう方だから。甘えすぎてはいけないし、私には一人でヨーナを守る覚悟が必要です」

「君は、俺の質問に答えていない」


 苛立ちを声に出してはいけない。出来るだけ気持ちを抑える。


「俺が家族を助ける事を厭う人間だと思うのか? 一緒に暮らしてきた君達の事を平気で見捨てる人間だと思っているのか?」


 ロイダは目に涙をにじませて、俺を見て何度か呼吸をする。やがて大きな瞳から、ぽろぽろと涙を流す。


「思いません。頼れば、きっと助けてくれます。今日も助けて頂きました。今までも、困った時には助けてくれました」

「何度でも言うが、俺は君とヨーナを家族だと思っている。甘えて、頼って欲しい。君が俺を頼らずに、一人で犠牲になろうとした事に腹が立ったし、信頼されていなかったと感じて悲しかったんだ。それを分かって欲しい」


 握った手を、ロイダも握り返してくれた。


「はい。アーウィン様が怒っていらっしゃった理由が分かりました。私が間違っていました、ごめんなさい」


 ハンカチを出して、テーブル越しにロイダの涙を拭いた。


「次は気を付けろ」

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