別れの手紙

 馬車が走れる道は限られている。その中から侯爵家へ向かいそうな道にあたりをつけて、追い越しざまに馬車を確認しながら走る。


(権力を誇示したがるような奴らだ。地味な作りの馬車では無いだろう)


 あと少しで侯爵家というところで、外装の豪華な馬車に目を留めた。混雑で足止めされていたらしく、ゆっくりと走り出した所だった。追いつき、車内を覗き込むが窓の日除けが下げられていて様子が見えない。紋章が付いているが俺には侯爵家の物かどうか分からない。


 俺は足を早めて馬車の前方に周り御者に声を掛けた。


「この馬車は侯爵家の馬車か」

「ああ? 紋章を良く見ろ。侯爵家の馬車に決まっているじゃないか」

「ご令嬢を乗せているかと思うが」


 御者の顔に緊張が走る。混雑の中で馬車を急がせようと馬に鞭を入れた。


(この馬車だな)


「馬車を停めろ! 身内を返してもらう」


 問答無用で殴りつけてやりたいところをぐっとこらえる。主人に命令されているだけで、この者に罪は無い。しかし、あろうことか御者は並走する俺に対して鞭を振り上げた。


(主人の悪い所を真似ているようだな)


 容赦する気持ちが無くなった俺は御者台に飛び乗ると、御者の腕を捻り上げて手綱を奪い、体を後ろに倒して勢い良く手綱を引いた。馬二頭が後ろ足で立ち、抗議の鳴き声をあげたが、さすがに侯爵家の馬だけあって訓練されているのか、すぐに大人しくなった。


 御者の方は馬より訓練が足りないのか大人しくはならず、口汚い言葉を吐きながら俺から手綱を取り戻そうと鞭を使って攻撃をしてくる。しかし、こんな者を相手にしている場合ではない。思い切り腹を蹴りつけると、醜い叫び声を上げて御者台の向こうに転げ落ちた。


 馬車の中から若い男が何事かを罵る声が聞こえる。速度が出ていなかったとはいえ、車体は大きく揺れたはずだ。ロイダが乗っていたとしたら怪我が心配だ。


 後続の馬車を操る御者達が口々に大声で抗議の叫び声を上げ、周りに人が集まり始めている。侯爵家からそれほど離れていない場所だ。私兵が駆けつけたら面倒な事になる。


(ロイダ、頼む。ここにいてくれ)


「何だ、どうしたんだ!」


 カチャリと扉の鍵が開く音がした。すかさず扉に手を掛けて思い切り開く。扉と共に若い男が姿勢を崩してこちらに落ちかかって来た。俺は襟首を掴むと、思い切り路上に放り出した。


「アーウィン様!!」


 馬車の中には、大きな目をいっぱいに開いたロイダが俺の名を呼んだまま、ぽかんと口を開けていた。停車した時にぶつけたのか、少し額が赤くなっているが拘束されたり怪我をしている様子はない。


(間に合った!)


「おいで!」


 馬車の中に両腕を伸ばすと、ロイダはぽかんとした顔のまま大人しく腕に掴まった。引っ張り出して抱える。彼女の温もりが愛しくて強く抱きしめたかった。恐ろしかったのだろう、彼女の心臓の強い響きを感じる。


(許さない。ロイダを傷つけようとする者を決して容赦しない)


 しかし、私兵が駆けつける前にここから離れたい。引きずり出した男を二度と立ち上がれない程に殴りつけたい気持ちを抑えて馬車を背にした。御者と同じく主人の命に従っているだけだと自分に言い聞かせる。


「待て! 侯爵家の馬車にこんな狼藉を働いてただで済むと思っているのか!」


 転がっていた男が立ち上がり、あろう事か俺の腕を掴んだ。俺に温情を掛けられて無事に済んでいる事に気付きもしない愚かな男。


「触るなっ!!!」


 男はびくりと体を震わせて手を離した。どうしてくれようか、怒りが湧き上がるが、腕の中のロイダの安全を考えて懸命にこらえる。


 御者が腕をさすりながら馬の向こうから歩いて来た。男の横に並び、俺を睨みつける。


「お前、こんなことをしてただで済むと思うなよ」

「お前なんか、すぐひっ捕まえてやるからな!」


 私兵を期待してるのか。やはり口を開けなくしてやろうか。


 その時、野次馬の奥に大きな動きを感じた。


(私兵か?)


 素早く視線を巡らせる。男も御者も武器を帯びていない。周りの野次馬も町人がほとんどで武器を持たない。何か武器を。


 しかし人だかりを掻き分けて出て来たのは衛兵だった。私兵と違い、両者の言い分を聞くくらいはするだろう。少し息をつく。


(うわ、何だ!)


 ロイダが身をよじって俺の腕から下りようとする。


「アーウィン様、下ろしてください! 私は大丈夫ですから行って下さい。捕まったらきっと大変な事になります」

「君は黙ってるんだ! 言いたい事はたくさんある。でもそれは後だ」


 思わず頭に血が上り、きつい言い方をしてしまう。


 何が大丈夫だというのだ。ロイダの残した手紙の文面を思い出す。


『突然の事で申し訳ありませんが、ここで暮らす事が出来なくなりました。ヨーナの今後は仕立て屋のご夫婦にお願いしました。恐れ入りますが事の次第は仕立て屋のご夫婦にお聞き下さい。


 アーウィン様から受けたご厚情の全てを深く感謝しています。共に過ごして頂けた日々は喜びと楽しさに満ちた素晴らしいものでした。


 直接お礼をお伝えしたかったのですが、このような形での別れとなりまして申し訳ございません。


 お預かりしていた給金は、まとめて保管してあります。仕事部屋の赤い糸の下の引き出しをご確認下さい。


 アーウィン様が抱えていらっしゃる問題が、全て上手く解決する事を願っています。私が知るアーウィン様ならきっと、諦めずに立ち向かわれる、きっと健やかな笑顔であなたを待つ方達の元に戻られる、そう想像しています。


 それでは、お体にお気をつけてお元気で』


 急いだのだろう、乱れた字で書かれた文面。自分がこれから不当な扱いを受けようとしているのに、気にするのはヨーナと俺の行く末。


(何て、何て愚かなんだ。何故、自分の事を気に掛けない。何がお元気でだ。絶対に離れてやるものか。たとえ君が望んでも、決して離れるものか)


 苛立ちと愛しさで感情が乱れる。

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