緊急の知らせ

「アーウィン、客だ。緊急のようだ、急げ!」


 大声で呼びに来た師範の様子に嫌な予感を覚えて、木剣を置くとすぐに訓練所の入り口に向かった。そこには紙より白い顔をした仕立て屋の主人と、真っ赤な顔で涙を流す夫人の姿があった。


「二人に何かありましたか!」


 駆け寄りながら尋ねるが、夫婦は混乱していて話が要領を得ない。騒ぎを聞きつけた代表も出てきて、何とか情報を聞き出した。


「侯爵夫人が、ロイダを息子の妾にするだと?!」


 侯爵家は彼女の刺繍を独占するという身勝手な理由で彼女を屋敷に連れ去り、息子の妾として囲うと言う。彼女の意志も感情も踏みにじる所業に怒りで視界が揺れる。体中の毛穴が開くような異常な震えが全身を走る。俺の家族を傷つける人間を絶対に許さない。


(落ち着け。彼女を助ける事に全力を注げ)


 俺は奥歯を噛みしめて、一度呼吸をした。


 この国の政治的な勢力については把握していない。しかし侯爵家が国の中でどの程度の力を持つかは想像出来る。


「ずいぶん、厄介な事になったな」


 代表もいつもの余裕はどこへやら深刻な顔をして、仕立て屋夫婦に侯爵夫人に謁見した時の様子を細かく尋ねている。


 先日、彼女が貴族の奥方から仕事に対して過分な料金を与えられ、受け取りを断ったと言っていた。それが侯爵夫人だったのだろう。簡単に思い通りにならないと踏んで、彼女を手元に置き完全に手に入れる事にしたということだ。まともに話をして通じる相手とは思えない。しかも、ただの平民の男では話をする機会すら持てない。


(恐らく、ガイデルとその父でも難しいだろう)


 仕立て屋夫婦は先にガイデルの屋敷に助けを求めに行ったという。しかし、あの領主は男爵辺りの下級貴族だったはずだ。侯爵家の人間に話し掛ける事すら難しいはずだ。


「この国で、侯爵家に物申せるのは王家くらいか?」

「いいえ」


 師範としての態度を捨てた俺に、何を感じたのか代表は丁寧な口調で答える。周りに集まっていた師範達も、俺の代表に対する態度を咎める様子はない。


「彼らは国王の外戚として強い力を持ちます。王族ですら、限られた者しか彼らに口出し出来ません」


 俺がサジイル王国の王子の身分を明かしたとしても、彼らを従えるまでには早くても数日かかってしまうだろう。何しろ早船で手紙やり取りをしても往復で十日はかかる。彼らも馬鹿ではないから俺の正確な身元を確認するまでは、安易に従ったりしないはずだ。


 王宮にはサジイル王国で対面した事がある人間もいるだろうが、そう簡単に面会出来るとは限らないし、俺に似た違う人物だと主張するかもしれない。


(一日だってロイダを侯爵家に置いておけない)


 力ずくで彼女を連れ出すのはどうだろうか。外交問題にすると仄めかせば、無理に奪い返す事は出来ないだろう。俺が偽物だと確信が持てない限り手出し出来ないはずだ。


「彼らは私兵を持つか」

「はい、数十人規模の私兵隊を持ちます。手練れと聞いておりますので、ここの師範全てをもってしても屋敷に踏み込むのは困難でしょう。ロイダ嬢の安全も保障出来ません。息子達の騎士隊を動かすにしても、数日は必要です」


 代表は頭の回る男だ。俺の考えを先回りして答える。優秀な騎士だったのだろう。


(この男、侯爵家ではなく俺に付こうというのか)


 面白い男だ。真意は分からないが、今は心強い。


「何とか彼女が屋敷の外に出てくれれば、どうにかなりそうだが」


 代表は考えるように視線を巡らせると仕立て屋に質問した。


「確か、ロイダ嬢には幼い妹がいましたね。彼らは妹についてどうすると言っていましたか」

「私がしつこく聞いたら、後で迎えに行くと言っていました」


 仕立て屋夫婦はヨーナを心配して、一度俺達の家に寄ったそうだ。その時には、まだヨーナは学校から戻っていなかったらしい。


「彼らががヨーナまで連れ去る事は避けたい。俺は家に戻る。もしかしたら、ロイダが逃げて助けを求めるかもしれないから、ご夫婦は店に戻ってくれ」


 夫婦は何度も頷く。


「誰かに、ご夫婦を送らせます。私は王宮で情報を集めましょう」

「頼む」


 代表は少しだけ迷った様子を見せてから、他の者に聞こえないくらいの小声で質問してきた。


「あなたの本当の身元をお聞かせ頂けませんか」

「サジイル王国の第一王子、アーウィン・サジイル。理由あって身元を隠していた。申し訳ない」

「こちらこそ、これまでの数々のご無礼をお詫び致します。謝罪は後程改めて」


 代表はさほど驚いた様子が無かった。彼は騎士らしく礼をすると素早く行動に移った。


 俺は訓練所の木剣を一振り手に取ると家に向かって駆けた。


(ヨーナ、無事でいてくれ)


 人通りが多い時間だ。馬車も多く行き交い、道が混んでいる。人にぶつかりながら走り、家が目に入った所で周囲に野次馬のような人影が見える事に気が付いた。彼らは俺の姿を目にすると、あからさまに視線を逸らして家の中に隠れるように入った。


(既に侯爵家の人間が来たということか!)


「ヨーナ!!!」


 勢いよく家の扉を開くが中に人の気配は無い。遅かったかと悔やんだが、すぐにロイダの仕事部屋の扉が開き、涙でぐしゃぐしゃのヨーナが飛び出して来た。


「アーウィンさま、お姉さまがこれを渡しなさいって。仕立て屋に連れて行ってもらいなさいって。ゴンゴンって扉を叩く怖い人が来て、お姉さまを連れて行ったの。お姉さま、ヨーナは連れて行ってくれないって。元気でねって」


 そこまで一気に言うと、ヨーナは俺にしがみついて大声で泣き始めた。ロイダが連れて行かれたのは、どのくらい前か尋ねたが『ずっと前』『分からない』と泣くばかりだ。


 今すぐロイダを追いたいが、ヨーナを連れて行く事は出来ない。かといって、ここに一人置いて行く事も出来ない。仕立て屋夫婦のどちらかに同行してもらうべきだった。


 俺はヨーナが握りしめていた紙を手に取った。あり合わせの紙に、彼女らしくない乱れた字で何か書き付けてある。


「手紙か⋯⋯これは仕立て屋宛だな」


 斜め読みをした限りでは、ヨーナを託す事と養育費について書かれている。


「これは、俺宛てか!」


 そこには、今までのお礼と、挨拶もせずに別れる失礼を詫びる言葉が並んでいた。この状況なのに、最後に書いてある言葉が、俺の困りごとが解決するように願う気持ちだ。俺は自分が情けなくなる。


(俺を頼ろうという気は全く無いのか)


 彼女はヨーナを道連れにしないよう、大人しく侯爵夫人の指示に従う事にしたのだろう。まずはヨーナを預けて、間に合うか分からないが侯爵家の屋敷まで彼女を追ってみると決めた。


「ヨーナ、ロイダが言った通り、仕立て屋に行こう」


 その時、扉が乱暴に開く。


「アーウィンさん、隣の家の人間から聞き出した。侯爵家の馬車がロイダ嬢を連れて出てから、それほど時間が経っていない。道の混雑を考えると間に合うかもしれない!」


 訓練所の師範だった。自らの判断で俺の後を追い、近所の人間の様子から俺と同じく侯爵家が既に来たと推測したようだ。


「すまない、助かる! この子を任せられるか」

「訓練所に来ていた仕立て屋の店に連れて行くんだな。任せろ」


 ヨーナに説明しようと振り返ると、妙に大人びた目で俺をしっかりと見た。そして頷く。俺は頷き返すと勢い良く外に飛び出した。

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