彼女の好きなもの
(まただ)
俺はこっそりため息をつくと、俺の皿に切り分けられた果実をロイダの口に押し込んだ。
「んー!」
抗議するような声を上げてすぐ、幸せそうな顔になる。
「ね、お姉さま美味しいでしょう? アーウィンさま、また買って来て下さいね」
「分かった。また今度な」
俺は果物の汁で汚れたヨーナの頬を拭いてやった。満足そうに笑う顔を見ると毎日でも買って帰りたくなる。でも、贅沢だとロイダが困った顔をするから、たまにで我慢している。
ロイダも嬉しそうな顔をして口の中の果物を味わっている。彼女はいつもそうだ。果物を買って来ても、大半をヨーナにやってしまい、ヨーナが満足した残りを口にするだけだ。もちろんヨーナが満足して残すなんて事は滅多にない。
でも俺は知っている。ロイダも果物を好む。あまりに食べないから、一度、好奇心で俺の分を彼女の口に押し込んでみたところ、滅多に見られないような幸せそうな顔をした。その顔が見たくて、俺は仕事の帰りに市場に寄って果物を求める。
彼女は自分の好みを優先しないから、何が好きなのか分からない。俺やヨーナが美味しいと思ったものは食卓に多く並ぶ。いつの間に観察しているのやら、苦手だと思った食材が再び食卓に上る事はない。恐らく俺が育った王宮の料理人よりも、俺の好みを把握しているはずだ。
「アーウィン様、私の分はちゃんとありますから、ご自分の分は召し上がって下さい」
自分の分は全部ヨーナにやってしまたくせに、そんな嘘をつく。彼女がつく小さな嘘は大抵、ヨーナや俺を気遣うものだ。
(大きな嘘は、ガイデルと会えなくても平気だという態度だな)
この家は港町の家よりも狭い。部屋数は一部屋多いが、全体的に少しずつ狭い。ロイダは増えた部屋を俺専用の寝室にしようとしたが全力で阻止した。せっかく毎日深く眠れるようになったのに、一人になったらまた眠れなくなってしまう。
以前よりも少し狭い部屋に寝台を三個並べて眠っている。狭いこの家では、ロイダが夜中に台所のテーブルでため息をついている事も分かってしまう。決して口にはしないけれど、ガイデルに会いたがっている事くらいは分かる。
ガイデルの方は、割と頻繁に訓練所に顔を出して汗を流している。俺と手合わせをする事も多いが、ロイダの話は一切しない。一度、訓練所に俺を迎えに来たロイダと鉢合わせをした事がある。何事も無い様子で挨拶を交わして様子を尋ねていたが、すぐに急ぎの用があると立ち去った。
(時間があるから、たっぷり手合わせをしたいと言っていたくせにな)
もちろん口に出したりしない。ロイダは少し会えただけでも嬉しそうにしている。恐らく彼女は、ガイデルに結婚の話が出ている事を知らない。
(知って傷つく前に、俺の国に連れて行ってしまおうか)
王都で暮らし始めて数か月経つ。ヨーナは学校にも慣れたようで楽しんで通っている。田舎から出て来たヨーナを馬鹿にする子供もいるかと心配だったが杞憂だった。
学校の行事にも参加させてもらった。俺の心配ぶりをロイダは『まるで父親だ』と笑った。俺はそれを強く否定できない。
例えばヨーナを苛めるような子供を見かけたら手加減無しで叱ってしまいそうだ。ヨーナに馴れ馴れしく触れた男の子には、他の大人が見ていない所で『むやみに女の子に触れるものではない』と教えてやった。怯えたあの顔を見る限り、少し大人げない口調になってしまったかもしれない。
「絶対に、ヨーナは美人になるな。他の誰よりもヨーナが一番可愛い」
ロイダはくすくすと笑いながら、ヨーナは父親に似たのだと言う。自分は母親に似たからヨーナとは似ていないのだと話していた。
ひいき目ではなく、本当にヨーナは華やかな美しさを持つ。十年も経てば多くの男を虜にするだろう。
比べてロイダは目を惹く美人ではない。しかし、常にふわふわと笑う豊かな表情に目が行きがちだが、顔だちは整っている。彼女の美しさが現れるのは表情が消えた時だ。悲しさや怯えを隠す時に、彼女を見慣れた俺でも驚く程の美しさを見せる。
(そして、眠っているとき)
毎晩よく眠れるようになった俺だが、たまに風が窓枠を揺らす音で目が覚める事がある。そんな時、起き上がってヨーナとロイダの寝顔を眺める。眠っている時の二人は良く似ている。俺はその光景に胸が震える程の幸せを覚える。
「どうやったら、君達は俺とずっと一緒にいてくれるんだろうな」
たまに考える。このまま自国の事は全て忘れて、この町でロイダとヨーナと共に生涯を過ごすのも悪くない。もし、ロイダが俺を受け入れてくれて本当の家族になったならと夢想する事もある。でもロイダはガイデルを愛している。
ロイダがガイデルの申し出を受けない理由はヨーナが知っていた。
「ガイデルさまと結婚すると、もう一人の結婚相手を傷つけるから絶対に駄目だって言ってたの。ガイデルさまは偉い人だから、もう一人結婚しないといけないんですって」
恐らくロイダが妾になることで、ガイデルの妻を傷つけると言っているのだろう。ヨーナには結婚と妾の区別がつかないから、混乱するようだ。
「ヨーナ、お姉さまとガイデルに結婚して欲しかったの。でも誰かを傷つけて幸せになるのは間違ってるから嫌だって、お姉さまが言うの。どうしても結婚出来ないって」
ヨーナは無邪気に問う。
「アーウィンさまは、たくさんの人と結婚するの?」
「俺は一人としか結婚しない」
「じゃあ、アーウィンさまがお姉さまと結婚して?」
その言葉は俺の胸に棘のように鋭く刺さる。そう出来るものなら、俺だってそうしたい。
ガイデルではなく俺を好きになればいい。一緒に俺の国に行こう、何度もロイダに言おうとしたが、その勇気は出ない。
ロイダとヨーナが俺の国に来てくれるのなら、俺はどんな事をしてでも二人を幸せにしてみせる。二人がいるなら王位継承の儀式だって受けてみせよう。恐怖を乗り越えて王位継承者になり、正式にロイダを妻に選ぶ。
父に告げられた期限は数か月後に迫る。行方を晦ましたから、既に弟のエルウィンが王位継承者になると決まっているかもしれない。
(俺の国に帰るなら、そろそろ本気で考えなければならない)
この生活を失うのが怖くて、俺は言い出す勇気を持てない。その苛立ちのまま、彼女に意地悪な八つ当たりをしてしまった事がある。
彼女はガイデルに会えなくてもいい。いつか自然に忘れて思い出になると言う。夜中に泣いている事に俺が気付いていないと思っている。俺には、日を追うごとにロイダの悲しみは深くなっているように見える。
苛立った俺は彼女に言った。『ガイデル殿と決別する勇気を持てないんじゃないか?』自らを棚に上げたひどい言葉を投げた。
「なっ!」
さすがに彼女は珍しく反発するような顔を見せた。更に俺は意地悪な気持ちになる。
「君はもう、ガイデル殿と一緒にならないと決めているだろう? だったら、いつまでも立ち止まっていないで、別の道に進んでもいいんじゃないか?」
絶対にそんなことできないくせに。意地悪な気持ちは膨らむ。
「でも、でも、急がなくても、良い思い出になってから別の道に進めば⋯⋯」
「時間が経っても思い出にならない事に、もう気が付いているだろう?」
彼女は悲しそうな表情を消して美しい横顔を見せた。
「⋯⋯どうしたら、別の道に進めるでしょうか」
ガイデルを想って呟く彼女に向かって、俺の意地悪な気持ちは膨らみ続ける。
「簡単だよ。他の男を見つければいい。君に好きな男が出来れば、ガイデル殿だって諦めて自分の道を進む」
俺を見てくれ。俺がいるじゃないか。どうしても口に出せない。
「そうですね、そうかもしれません」
少し考えるそぶりを見せたロイダは、俺の僅かな期待をよそに思いがけない事を口にする。
「糸問屋の息子さんは親切な方ですね。頻繁に顔を合わせますし、刺繍の事も良くご存知ですし話が合うかもしれません。私の事を相手にしてくれると思いますか?」
「糸問屋の息子だって?!」
ロイダにとって俺は恋愛の対象にすらなっていない。そういば、俺の事を妻子に逃げられて家出したと想像していたくらいだ。分かってはいたが深く傷つく。
(ガイデルならともかく、あんな釣銭の計算すら出来ないような馬鹿息子に奪われてたまるものか)
人を傷つける勇気のないロイダ。自分の幸せを求めないロイダ。俺はそんな彼女を心から愛している。
「よし、決めた。俺も勇気を出して踏み出す」
彼女に想いを告げよう。俺の国に一緒に来て欲しいと頼もう。
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