剣術訓練所
「アーウィン様、あの絵はとても美しいです。私には思いつかないような色の使い方がされている」
ここに連れてきて正解だった。彼女の鑑賞の邪魔にならないように控えめに解説をしてやりながら、ゆっくりと歩く。
港町にも、近隣の町にも美術館は無かったそうだ。ロイダの刺繍は芸術としても優れていると思っていたから、色々な種類の絵画を見せてやりたかった。
幸い、王都には美術館が多くあった。彼女が集中できるように、ヨーナが学校に行っている時間を見計らってロイダを連れ出している。一度、ヨーナがどうしても行きたいと言い張るから連れて行った事があったが、すぐに眠くなってぐずり出し、俺がずっと抱き抱える羽目に陥った。
引っ越しが無事に終わり、家の中がまだ片付かないうちから王都の探検と称して町中を探索した。ここは山に囲まれている。過去に何度も王都まで敵に踏み込まれた事がある為、そこかしこに物見の塔があり兵士も多く詰めている。厳めしく固い雰囲気がある町だ。
武術の訓練も盛んで、ここで暮らす子供は女子も含めて何かしらの武術を習う習慣があるらしい。
中でも大きめの訓練所にガイデルの紹介で仕事の口を得た。最初に訪れた時にはその迫力に少し緊張した。この国では何者でもない、ただの平民の男だ。王子としての肩書が無い自分が、仕事を得て人並みに暮らす事が出来るのか。
訓練所の代表を務める初老の男の目は鋭い。俺を試すように向けられる穏やかな殺気が不気味だ。
「師範になろうと言うなら、正確な力量を知りたい。ひと勝負させてもらえるか」
「喜んで」
朝早く、まだ生徒達は来ていない。広場に案内されて細身の長剣を渡された。
「真剣ですか」
俺の国の訓練所では真剣を使わない。訓練所では物足りなくなり、王宮内で訓練をするようになってから師範とたまに真剣を交えていた。この国では訓練所でも真剣を扱うほど武術が盛んなのだろうか。
緊張する俺に代表は笑った。
「自信がないか?」
「いえ、怪我をさせる事を心配しました」
「ははは、出来るなら構わんよ」
不快だ。俺の腕を見くびってもらっては困る。好戦的な気持ちになり、俺は荷物を広場の端に放り投げると剣を構えた。代表は楽しむように目を細めると剣を構えた。
周りに集まって来たのは、準備を整えていた他の師範達だろう。誰も口をきかず静かに俺達を見つめる。
「――!」
先手を切ったのは代表だった。鋭い突きを数度繰り返し、軽やかに予測しにくい方向から斬り付ける。交わして反撃の機会を狙ったところで足蹴りを食らう。不意を突かれた俺はかろうじて横に避けて体勢を整えた。
「剣だけでは無いのですか!」
「ほう、君の上品な武術では、こんな事はしないのか」
(剣術ではなく、武術と言ったか?)
素早く斬り掛かるのを受け流すと、急に剣の流れが変わり横ざまに撫で斬られそうになる。
(くっそ! 全く反撃出来ない)
俺は少し屈むと足で代表の腰の辺りを蹴りつけた。避けられはしたものの、足先がかすめた事で代表がわずかに姿勢を崩す。その隙に斬り掛かろうとして躊躇う。この勢いで当たったら命に係わる怪我になる。
「くだらない遠慮だな!」
代表は年齢を感じさせない身軽さで躱すと、姿を消した。
(?!)
背中に衝撃が走り、気が付くと俺は地面に無様にはいつくばっていた。首元に剣を突きつけられているのが分かる。そこに油断を見た俺は、剣を捨てて代表に足を絡めて引き倒した。
「なっ!」
そのまま代表の剣をもぎ取って放り、体を返して腕を捻り上げて地面に押し付けた。自分の身を起こして代表の背に膝をついて動きを完全に封じた。
「剣以外の技でもいいと判断しましたが、これはやりすぎでしたか?」
王族は剣を帯びる事が許されない場で攻撃を受ける事も想定しなければならない。丸腰での戦いであれば、隠密行動に慣れた手練れの兵士にも負けないくらい、徹底的に訓練を受けている。剣を使った武術の方が好きなだけで、体術の方が得意だ。
「参った」
俺は膝を除けて代表が体を起こすのを助けた。息を詰めて見守っていた師範たちが大きく息をつき、口々に周りと小声で何かを話している。
代表の方も、他には聞こえないくらいの小声で独り言のように呟く。
「君はこの国ではないどこかで、専門の訓練を受けているな。剣さばきは、ずいぶん上品で実戦に向かないと思ったが、体術の方は実戦を想定したものだ。⋯⋯君は」
少し考えるように、探るような視線を俺に向ける。剣さばきでガイデルに出身国を見抜かれた。気を付けたつもりだったが、この男に与えてしまった情報は多かったようだ。夢中になって本気で立ち向かってしまった事を少し悔やむ。
代表は頬を軽く緩めると、武人らしい大きな声で言った。
「ようこそ、わが訓練所へ」
そして周りの師範に向かって言う。
「この男は新しい師範のアーウィンだ。恐らく、この中の誰よりも腕が立つ。時間が許す限り、君らもこの男に習うといい」
「「「「はいっ!」」」」
師範達は温かく受け入れてくれた。対抗心を燃やす師範もいたが、嫌なものでは無く自らの技の向上のための純粋な熱心さは好感が持てた。
「代表は、いつもああなんです。誤解しないで欲しいのですが、普段は真剣なんて使いませんよ」
「代表が脅かして、腰を抜かして逃げてしまう人もいるんです」
「あれが試験なんですよ」
聞けば代表は長年王宮で騎士として勤めていた人物らしい。引退して息子にその座を譲った後に趣味で訓練所を営んでいるそうだ。
(実践に即した戦いをするわけだ)
俺の国では、祖父の代まで遡らないと戦争の記録が無く、俺も父も実戦の経験がない。戦が多いこの国の騎士とは経験値がまるで違う。定期的に代表と剣を交えることが可能なら、得る物は多そうだ。
「貴族の子息からは目玉が飛び出すほどの金を取るけど、平民の子供達からはほとんど取らないんだ。そういうやり方を毛嫌いする貴族も多いよ」
「騎士の家なら、代表も貴族ではないのか」
「代表もご子息達も、全く貴族らしくないんだ。身分を感じさせるのは、いけすかない貴族を追い払う時くらいだな」
俺の初めての仕事は順調だった。やっとロイダに養われる立場から脱出できた事が嬉しい。
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