寂れた港町で始まる生活
「あのお店には、仲良しの友人もいたんですが、先月移住してしまいました」
ここも閉まった、あそこも閉まっている、とロイダは寂しそうな顔をしながら開いている店を探して目当ての物を購入している。
俺の生活に必要な物の調達を兼ねて、ロイダとヨーナに町を案内してもらっている。たまにすれ違うロイダの知り合いに、興味深そうな視線を向けられるけど、堂々と挨拶をすると大抵はにっこり笑って挨拶を返してくれる。港町だけあってよそ者には寛容なのだろう。
「すまんなあ、ロイダちゃん。今はこの値段でしか分けられないんだ」
「構いません。流通が減っているので、おじさんも手に入れるのにご苦労されているんじゃありませんか?」
「そうなんだ、聞いてくれよ――」
理髪店の親父は、彼女が求めた『いつもの』石鹸が、どれだけ品薄になってしまっているかを熱心に語った。聞く限り、以前の倍近くの値段になっているようだ。
俺は船にいた時に、身に付けていた物を売って幾ばくかの金を作っていた。俺が使う物なのだからと支払おうとしたが、ロイダは自分が払うと聞かない。ふわふわしているが変なところで頑固だ。仕方なく甘えることにした。
「何だ、兄ちゃん。仕事してないのか?⋯⋯まあ、今は新しい仕事は見つかりにくいな。ロイダちゃんは、しっかり仕事もしているから、今は甘えさせてもらうんだな」
変な同情をされてしまう。ロイダは大した稼ぎはありませんよ、とにこにこ笑っている。ヨーナは棚の隅にあった置物を熱心に観察している。
ロイダ達も含めて、まだこの先も町を出る人間は多いだろう。更に暮らしにくくなる事は想像できる。
(この町に残る者だっているだろうに)
港を統合したいという国の思惑は理解できる。しかし人は土地に根付くと父が言っていた。その土地で周りの人間と縁を繋ぎ文化を築く。それを無視して数字や文字から読み取る情報だけで人々の生活を動かしてはならないと教わった。
だから俺の国で、水害を防ぐための河岸の整備に多大な困難があると知った時には、迷わず国の資金を投入させた。水害の被害を受ける人間を違う土地に移す方が遥かに簡単で費用の負担も軽いという試算は受け取っていた。しかし、その土地を守りたいと言う領主と領民の訴えを優先した。父はその判断に何も言わなかった。
この国の為政者は、そこまで考え抜いてこの政策を実施したのだろうか。
俺はうら寂しいこの風景を、戒めとして心に刻んだ。決して自分はこんな風景を作り出したりしない。
人が減っているとはいえ、市場にはまだ賑わいがあった。見慣れない物が多く並び心が躍る。
「なあ、あれは何だ?」
子供のように質問を続けてしまったが、ロイダは嫌な顔ひとつせず丁寧に教えてくれた。ヨーナが教えてくれる事もある。自分の国で町に出ると皆が畏まってしまう。質問をすると相手がひどく緊張するのが気の毒で、必要最低限の質問しかしないようにしてる。こんな風に、心おきなく好奇心を満たせる機会は少ない。
ロイダは、俺が特に興味を持った食材は家に帰ったら料理にすると買ってくれた。昨日の料理も、今朝の料理も美味しかった。期待に胸が膨らむ。
せっかくなので、料理をしている所も見学させてもらった。ロイダは恥ずかしがったけれど、手際よくトントンと野菜を切る。俺とヨーナにも手伝いをさせてくれた。
(学習の一環で料理を作った時は、慌ただしいし教師はくどくど細かい事を言うし、全く楽しくなかったな。本当はこんなに楽しい事だったんだな)
王宮の厨房では大勢の人間の為に大量の料理を作る。見学した事があるが、数十人の人間が真剣な顔をして追われるように作業をしていた。『作業』であって、楽しんでいる様子は全く無かった。
彼女にかかると、料理も掃除も洗濯も楽しみの一部として行っているように見える。いつもにこやかで、眺めている俺と視線が合うとふわりとほほ笑む。
昨日出会ったばかりなのに、もう何年もこうやって一緒に過ごしているように感じる。この家に来てからの俺の顔には、作らずとも自然に笑みが浮かぶ。王宮に居る頃は、一日の大半を不快な気持ちを抑える事で過ごしていた。
平民は、こんなに心が穏やかで温かな気持ちで暮らすものなのか。
(この国の政治か、領主の手腕か。それとも⋯⋯この姉妹のおかげなのか)
「少し仕事をしますね」
夕食後に、ヨーナの文字の練習に付き合ってやっていると、ロイダが遠慮がちに言い出した。
「構わないけど、何の仕事をしてるの?」
ロイダは寝室の隣の部屋から大きな木箱と布の束を持って来た。丁寧に拭いたテーブルの上に乗せると、作業をしている途中だと言う布を開いて見せてくれた。
「刺繍か!」
「はい、祖母に教わって生業にしています。仕立て屋が私に仕事を紹介してくれます」
「君の服の刺繍は、自分で施した物なのか?」
「これは、とても時間が掛ったんですよ。一番のお気に入りです」
彼女は少し恥ずかしそうに赤くなると、立ち上がってワンピースの裾をつまんで広げて見せた。一見すると裾に向かって緑色に変化する染色した布に見えるけれど、実際には細かく木々に生い茂る葉の刺繍を施してある。配色が見事だ。
「まるで絵画のようだな」
昨日、暴漢に狙われるロイダに気が付いたのも、彼女のワンピースに咲く美しい花の鮮やかさに惹かれての事だった。美しい衣装を見慣れている俺でも、これほど繊細な刺繍は見た事がない。
「この国では、こういう刺繍が多いのか?」
「いいえ、あまりありません。特別な秘密の技があるわけじゃないんです。地道な作業ですから、面倒で好まない方が多いのでしょうね」
俺は他の刺繍も見せてもらった。型となる図案がある程度はあると言うが、同じ図案だと言う刺繍を比べても、配色や刺繍を入れる位置によって雰囲気が随分と変わる。
(ロイダには、芸術的な素養があるのかもしれないな)
聞いてみたが学校で一通りの芸術を学んだだけで、本物の芸術に触れる機会は無かったようだ。美術館を訪れた事も、美術書を開いた事も無いらしい。もったいない事だと思う。
「お気に召したのなら、シャツに何か刺繍を入れましょうか」
「頼む!」
意匠はロイダに任せる事にした。俺にどういう刺繍が似合うと思ってくれるのか想像するだけでも楽しい。
昨晩のように入浴を済ませた後、頭をタオルで拭こうとして止めた。昨日拭いてもらった時の心地良さを思い出す。優しい彼女は嫌な顔をしないはずだ。少しだけ緊張しながら、水を滴らせたまま彼女の前に座った。
「まあ、びしゃびしゃですよ」
彼女はタオルを受け取ると、優しく大切なものを扱うように、俺の頭から水を拭ってくれた。最後にぽんと両肩に優しく手を乗せてくれる。その後、ヨーナの世話を焼く様子を見ていて、俺とヨーナが全く同じ扱いをしてもらっている事を知った。
夜眠る時には、ヨーナにねだられてロイダが子守歌を歌った。柔らかい歌声を聴きながら、俺もうつらうつらとする。
(ロイダとヨーナを守ってやろうと思っていたはずなのに、逆じゃないか)
俺はヨーナと同じように、ロイダに守られているようだ。それを受け入れる事は、甘く心地良かった。
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