頼りない姉妹
女性が向かっていた方角にしばらく進むと分かれ道に出た。彼女はまだ震えが残る声で家は右だと言う。
「もう大丈夫なので、下ろしてください」
体の震えは止まっているが、まだ目に涙が溜まっているし顔色もひどく悪い。大丈夫だとは思えない。家まで送るしかないのだから、大人しく抱えられてくれればいいものを。
「のんびり歩いてると、あいつが追い付いてくるんじゃないか?」
少しだけ意地悪な気持ちで言うと、恐怖に強張った顔で俺の背中の向こうを確認しようとする。彼女はまた震えだしてしまった。
(まずいな、脅かし過ぎたか。ずいぶん素直な気質なんだな)
大切に育てられた箱入り娘といったところか。高価ではなさそうだが清潔で丁寧に整えられた身なりをしている。上手くいけば、この子の両親に感謝されて一夜の宿を得られるかもしれない。
坂道をしばらく上ると、また彼女が下ろして欲しいと言い出した。
「まだ幼い妹がいて、心配を掛けたくありません。何も無かったように帰りたいのです」
「ご両親は?」
「両親は数年前に亡くなって、今は妹と二人です」
予想が外れた。こんな頼り無い女性と幼子の二人だけで暮らしているというのか。俺は彼女を下ろしてやった。何とか自分の足で立っている。
辺りを見回すが、明かりの灯った家がほとんど無い。これでは何かあったとしても助けを求められないだろう。
(何だ?)
奇妙な気配を感じる。こちらの様子を窺うような複数の気配。
(彼女を監視しているのか)
ひょっとして事情がある高貴な家のご令嬢なのか。振る舞いには品性を感じるし、あり得る話だ。しかし、監視が俺に対して働きかける気配は無さそうなので、様子を見る事にした。
「この町は、ずいぶん人が少ないんだな」
「港の閉鎖が決まって、多くの人が新しい町に移住してしまいましたから」
「なるほどな。だから、噂に聞いていた賑わいとは違ったわけだ」
港の閉鎖。今までの違和感が腑に落ちた。港の貿易量を考えると、恐らく近隣の港と統合して異国との貿易をそこに集中させる事にしたのだろう。
(大陸側で戦をしていたはずだ。海側で武器の流通経路を確保するつもりか)
俺の国とこの国は友好関係にある。そして、この国が大陸側で小競り合いをしている国とも友好関係にある。最終的には和平交渉の仲立ちをする事になるだろう。
思いを巡らせていると、彼女が俺の顔を心配そうに覗き込んだ。
「もし、お時間よろしければ、少しだけ家にお寄り頂けないでしょうか。何かお礼をさせてください」
(この女は何を考えている! つい先ほど危ない目にあったばかりじゃないか)
呆れ果てて腹立ちすら感じる。見ず知らずの男を女性だけの家に招き入れるつもりなのか。確かに先程は彼女を助けた。しかしそれだけで家に招くほど心を許すなど愚かな振る舞いだ。監視がいるから安全だと踏んでいるのか。
(違うな、この女は監視に気が付いていない)
しかし、すがるような目を見ると断り難く、つい承諾してしまった。
「そうだな⋯⋯、じゃあお邪魔しようかな」
彼女は嬉しそうに笑った。
俺は頭を巡らせる。幼い妹もいるというのだ。怖がらせないよう、軽い優しい調子を装おうか。逆に胡散臭いだろうか。
(本当に面倒な事に関わってしまった)
彼女はハンカチで顔を拭い、服の乱れを直して汚れを払う。
「髪の毛も、かなり乱れてるよ?」
試しに軽い調子で声を掛けてみる。警戒するだろうか。しかし、彼女は恥ずかしそうに手で梳いて髪を整える。
「ありがとうございます。あの⋯⋯私はロイダと申します。よろしければ、お名前をお聞かせ頂けませんか?」
さっきまで泣いていたのに、もうにこにこと笑っている。目を惹く美人ではないが、可愛らしい愛嬌のある顔立ちをしている。つられて、こちらも笑顔になる。
「俺はアーウィンだ」
「改めまして、危ない所を助けて頂きまして、本当にありがとうございました。あの⋯⋯妹にはこの事は」
「分かってる。言わないよ」
ロイダは気持ちを切り替えるように深呼吸をしてから、家の扉を開いた。
「ヨーナ、ただいま! 遅くなってごめんなさいね」
「わああああああーん」
栗色の髪をなびかせて、小さな女の子が部屋の奥から駆けて来てロイダに飛びついた。ふっくらした手で姉に懸命にしがみついている。
(エルウィンと同じくらいだろうな)
俺の弟は七歳になったところだが、恐らく同じ年頃だろう。王子として厳しく躾けられたエルウィンが、こんな風に泣きわめく事はない。子供らしい素直な振る舞いを微笑ましく感じる。
「遅かったの! ヨーナ怖かったの。窓がガタガタしたから、狼が来たと思ったの!」
どうやら狼を怖がったらしい妹をロイダは宥めている。扉を開けてすぐに台所があった。中央に大きめのテーブルがある。その奥にいくつかの部屋が続いているようだ。
(へえ、平民の家はこんな風な作りなのか)
自国でも平民の家の中にまで入った事がない。きちんと整頓されている。ロイダは几帳面な性格なのだろう。
「!」
外で感じた監視するような気配が、戸口からこちらの様子に聞き耳を立てているのが分かる。
(確実に、監視対象はこの姉妹だな)
退治した暴漢の仲間とは思えない。訓練された兵のように思える。
何となく推測できた。何者か知らないが、この二人がここで暮らす事を危ぶみ警護をしているのだろう。ロイダが見知らぬ男を招き入れた事を警戒して様子を窺っているようだ。
「お姉さま、泣いた? ヨーナ分かるの。泣いたでしょう」
ヨーナと呼ばれた女の子の大声に、思考から引き戻されて姉妹に目をやると、姉は嘘が上手ではないようで見るからに狼狽えている。外の監視が聞き耳を立てているのが分かる。
(隠密行動には慣れていない様子だな)
まあ、王宮を警護する兵士達とこの辺りの兵士達では力量が違いすぎるだろう。比べるのは気の毒だ。家の中の様子を見る限り事情がある高貴な家の令嬢という線も無さそうだ。色々と推測すると興味深い。
「嫌だわ、私はもう大人よ。外で泣いたりしないわ」
「来週の誕生日までは、子供じゃない。ヨーナ、ちゃんと知ってるんだから。お姉さま、絶対に泣いた。何かあったの? 狼がいた?」
監視に対して、俺がこの子達に害意が無い事は知らせる必要があるだろう。俺は戸口の人物によく聞こえるように大きな声で言った。
「君の姉さんは、道で転んでしまったんだよ」
「きゃあ!」
妹は後ろにひっくり返りそうなほど驚いて俺を見上げた後に、姉の足にしがみついた。
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