初めての船旅

「わあ、早いはやーい!」

「岸から見ている時には、ゆっくりのんびり進んでいると思ってたのに!」

「二人とも、落ちるなよ?」


 波を切り裂くように進む船足は早く、港町で育ったのに大型船に乗った事がなかった私とヨーナは興奮して大はしゃぎしてしまった。仕立て屋夫婦は二人そろって船酔いが酷いらしく船室でぐったりと横になっている。


 アーウィン様は、はしゃぐ私たちとは対照的に、日を追うごとに暗い顔つきになっていく。


「やだなあ、絶対に叱られるんだよ」

「泣きたくなったら、ヨーナがなぐさめてあげるね」

「アーウィン様が戻られて嬉しいという気持ちの表れですから⋯⋯」

「でも、嫌なんだよ。そうだ、二人も一緒に叱られてよ」

「ヨーナ、叱られるの嫌!」

「無茶を言わないで下さい」


 船には、サジイル王国の方は使者が数人程しかいない。ここではまだ今まで通りのアーウィン様として接する事が出来るけれど、サジイル王国に着いたら態度を改めなくてはならない。ヨーナにもしっかり言い聞かせてある。


「大丈夫。ガイデルさまと同じでしょう?」


 ヨーナはガイデルに対する態度をちゃんと使い分けていた。アーウィン様についても同じだと理解出来ているようだ。


(とはいえ、領主様よりもずっとずっと身分が高い王子様ですもの。どれだけ丁寧な態度を取ればいいのか分からないわ)


 自国でも王族なんて遠目にすら見た事がない。侯爵夫人だって、目を逸らし続けたのでお顔を拝見しなかった。着いたら、サジイル王国の言葉や礼儀作法などを教えてくれる先生を付けてくれるそうだ。先生に聞いて、真剣に学ばなければならない。


「見えた。いよいよだな」


 サジイル王国の港が見えた。私とヨーナは手を繋いで、新しく生活する国をしっかりと見つめた。



 船を下りたアーウィン様は、今まで町を歩いていた時とは違って『王子』の顔になった。立ち居振る舞いも表情も今までと全く違う。好奇の視線にさらされた私は、どんな顔をして良いのか分からず出来るだけ無表情を心掛けて歩いた。ヨーナも大人しく真似している。


 仕立て屋夫婦は、あまりアーウィン様との接点を知られない方が暮らしやすいだろうとの配慮で、私達が下船して落ち着いてから、新しく暮らす家に向かうそうだ。二人が生活に困らないように手助けをする人にも、船で紹介されていた。


「しばらく会えないけど、元気でね」

「辛い事があったら、すぐに私達の所に連れてきてもらうんだよ」


 仕立て屋夫婦は、別れ際まで私達の心配をしてくれた。


「おじ様とおば様も、無理をなさらないで下さいね」

「ヨーナ、すぐに遊びに行くね」


 夫婦は船酔いでよろよろしながらも瞳が希望に満ちている。その笑顔を見ていると私の中の不安も希望に置き換えられるような気がした。


 町は全盛期の故郷ですら足元にも及ばない程に賑わっていた。今までいた王都より人も建物も多く、でも港町らしい雰囲気もある。この国は海を背に大陸からの侵略に備えて国土を整えていて、この港町が首都にあたるそうだ。


「お姉さま、とっても賑やかね」


 ヨーナがこそっと言う。私は潮の香りがする町に親近感を持った。馬車で行くよりも町の様子を感じた方が良いだろうと、アーウィン様は歩いて王宮に行く事を選んだ。大勢の出迎えに囲まれて、ぞろぞろと隊列を組んで王宮に向かっている。


「建物の感じは、あまり違わないのね」

「うん、うん。ヨーナ、お引越し前の町みたいで好き」

「そうなの、私も潮の香りがして落ち着く」


 私たちの小声の会話が聞こえたのか、前を歩いていたアーウィン様が振り返って嬉しそうに言う。


「気に入ってもらえて良かった。君達が育った、あの港町に近い空気を感じるだろう?」


 恐らく船でやって来た異国人も多いのだろう。聞こえて来る言葉も、目に付く看板や立て札も共通語ばかりだ。言葉の心配も無さそうで胸を撫でおろす。


「あそこが王宮だ」


 言われて視線を上げて思わず足を止めてしまった。


(大きい、大きすぎる)


 まだ少し距離があるけれど、広大な敷地の奥にそびえ立つ宮殿は私が今までに見たどんな建物よりも大きいと思う。自国の王宮は高い塀に囲われていて、恐らく上半分くらいしか見えていなかったけれど、厳めしく重々しい近寄りがたい雰囲気が漂っていた。


 比べてこの国の王宮は塀が低く、奥まで続く美しい庭がよく見える。意匠を凝らした建物は優美で庭も含めて柔らかい印象を受ける。


「君達がいた国とは雰囲気が全然違うだろう。戦争で首都まで敵に踏み込まれた事がある国と、この国のように戦争とは縁が薄い国では、王宮の役割も少し違う」


 アーウィン様の説明によると、私達がいた国の王宮は敵の襲撃に備えて最後の砦のような役割があったらしい。戦が無いこの国では守りよりも、民と共に暮らすという開いた印象を持てる王宮を目指しているそうだ。


 でも、近寄りがたいという点では自国の王宮と全く変わらない。とても私たちが足を踏み入れて良い場所だとは思えなくて、ヨーナの手を握り締めたまま足がすくんでしまった。ヨーナも口をぽかんと開けている。


「あの、やっぱり私達、仕立て屋ご夫婦の家に行ってもいいですか」

「駄目」

「でも、あんな所に私⋯⋯」


 動悸が激しくなって汗が出て来た。


「俺の結婚相手として来てくれるって、約束したじゃないか。一緒に王宮に行かなきゃ駄目だよ」

「でも⋯⋯」

「俺が叱られたら慰めてくれるって言ったじゃないか」

「でも⋯⋯」


 アーウィン様は大きくため息をつくと、少し考えるそぶりを見せた。そして、にやりと笑う。


「なら、こうしよう」


 私とヨーナの手を離して無理やり私達の間に入り、両手で私とヨーナの手をつないだ。周りがどよめくのが分かる。


「な! ちょっと!」


 平民として暮らしていた今までとは状況が違う。人前でこんな振る舞いが許されるのだろうか。周りの視線を感じて、一気に顔が熱くなる。アーウィン様は狼狽する私を見て面白そうに笑うと、私達の手を引いて歩き出した。


「ほら、行くよ」


 こんな事なら、黙って大人しく付いて行けば良かった。私は深く後悔した。ヨーナは手を引かれながら、まだ口をぽかんと開けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る