王宮からの迎え

 ドン、ドン、ドン。


 侯爵家の人がまた来たのかもしれない。乱暴に扉が叩かれる音に、胸がぎゅっと痛くなる。アーウィン様は、目で私を制すると立ち上がって扉に向かった。


「遅い時間に申し訳ございません!」


 開いた扉の向こうにいたのは衛兵だった。昼間に見た衛兵よりも身ぎれいな様子から職位が高い人物に思える。


「アーウィン・サジイル殿下をお迎えに上りました」

「何だよ、誰がどこに連れて行こうって言うんだよ。大体さ、この家には呼び鈴があるんだ。乱暴に扉を叩くなよな」


 普段のアーウィン様の口調だ。王子らしくない口調と不機嫌そうな声に、衛兵の顔に戸惑いが浮かぶ。


「王宮にご案内するよう申し受けております」

「明日行く。逃げも隠れもしないから、今日はここにいさせてくれ。そうだな、昼頃に俺の仕事場に迎えに来い。ほら、仕事を休むなら代わりを頼まないとならないし、こんなに急に言われても無理だ」

「仕事でございますか」


 衛兵にしてみたら、一国の王子がこんな庶民の家で仕事をして暮らしている事が信じられないのだろう。偉い衛兵なら給金も高い。この人の方が私達よりも良い暮らしをしているはずだ。胡散臭そうな目で家の中を見てから、大人しく引き下がって帰って行った。


 アーウィン様は、テーブルに戻ると『邪魔するなよな』と大きくため息をついた。


「サジイル王国は知っているか?」

「はい、港町にいた頃に、サジイル王国から来る船を多く見かけました。この国と関係が深いと学校で習いました」

「その通りだ。俺は、そのサジイル王国の第一王子だ」

「家出と言うのは?」


 アーウィン様は苦い顔をした。


「本当だ。王位を継ぐにあたり、乗り越えられない問題があって逃げた。誰にも何も言わずに国を出て、すぐに君達に出会った」

「では、半年以上も行方を知らせていないのですか」

「ここからサジイル王国まで、早馬を飛ばすか船で知らせを出すか、早くても往復で十日はかかるだろう。あんなにすぐ、王宮から迎えが来たと言う事は近隣国に手配書が回っていたんだろうな」

「手配書!」

「まったく大げさだよな」


 アーウィン様は不満そうだけど、第一王子が行方不明になったのだから、周りは必死に探しただろう。この国が不当に拘束していたと思われたら、外交問題にだってなりかねない。王宮がすぐに迎えを寄越したのも当然だ。


「では明日、王宮に行って、そのままサジイル王国にお戻りになるんですね」


 いつか別れの日が来る覚悟はしていた。でも、ついさっき家族だと言ってもらったばかりなのに早すぎる。止まった涙がまた溢れてくる。


「泣くな」


 アーウィン様は、立ち上がるとテーブルを回って私の横に座って涙を拭いてくれた。


「事態はそう簡単じゃない」

「え?」

「衆前で馬鹿どもが『侯爵家』を連呼したんだ、今日の事は王都中で噂になるだろう。侯爵家は体面を汚されたと思うだろうな」


 あの時、大勢の人が見ていた。口さがない人々が面白おかしく吹聴する姿は容易に想像できる。


「俺がこの国にいるうちは、彼らは君に手を出さないだろう。でも、俺が去った後はどうなると思う?」

「体面を保つために、私をまた連れて行こうとしますか?」

「もしくは、逆らった者に対する見せしめとして、もっと酷い事を考えるかもしれない」


 仕立て屋のご主人から聞いていた激しく猛々しい奥方の印象を思い出す。息子の妾などという彼らなりの誉れある立場ではなく、牢獄のような所に閉じ込めるかもしれない。下手をすると命を奪われるのかもしれない。


(ヨーナも道連れになる)


 寒くて体が震えるのに、嫌な汗が出る。やっぱり私が大人しく侯爵家に行けば良かった。


「ロイダ」


 アーウィン様の声に目を上げると、優しく微笑んでくれる。


「ほら、もう一度手を出せ」


 言いながら私の手を取って、両手を包み込んでくれる。それだけで安心できる。温もりが全身に伝わり震えが止まる。


「王都にいるのは危険だ。それは分かるな? そうすると選択肢は二つだ」

「はい」

「一つは、ここを離れて違う土地に逃げる」

「元の港町は⋯⋯駄目ですよね」

「侯爵家も体面にかけて探し出すだろう。君達を王都から追い出して満足するような連中だとは思えない。そうなると、相当遠くに行く必要があるし、生涯、怯えて暮らす事になる」

「はい」


 決して光が差し込まない暗い森で、濃い霧の中を進むような未来。想像したくない。アーウィン様は選択肢が二つあると言った。


「もう一つはどんな選択肢ですか?」

「俺と一緒に、サジイル王国に来い」

「え?」


 私の手を握る力が強くなる。燃え上がる熱い瞳から、強く真剣に私とヨーナを心配してくれている事が分かる。


「俺の『特別な存在』だと公言して正式に国籍を変えれば、もう誰も君達に手出し出来ない。国同士の関係を考えると俺の名前は十分君達を守れるはずだ。サジイル王国に行った後だって、少し生活は変わるだろうが今まで通り家族のように過ごせる」

「特別な存在ですか?」

「サジイル王国では、正式に王位継承者として認められた後に妻を選ぶ事になっている」

「はい」

「今まで逃げ続けて来たから、俺はまだ王位継承者として認められていない。しかし、君達と過ごして決意を固める事が出来た。国に戻ったら王位継承者になる儀式を受けて、君を妻として選ぶ」

「はあ」

「俺の国には妾を持つ制度はない。妻は一人だけだ。だから安心して結婚相手としてサジイル王国に来てくれ」


 王位継承者、妻、結婚相手、言葉が頭に入って来ない。首をかしげて、ぼんやりする私に、アーウィン様は少し苛立ったような顔をした。ふいに頭の中で『妻』と『結婚相手』という言葉が意味を持つ。


「アーウィン様と私が結婚するってことですか? 」

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