私が間違っていたこと
家に着くと、仕立て屋夫婦とヨーナがいた。見知らぬ男性もいたが、アーウィン様のお知り合いのようで、二人で扉の外に出て行った。
「おじ様、おば様!」
仕立て屋夫婦が涙を流して迎えてくれた。私が奥さんに抱きつくと、きつく抱きしめ返してくれる。気が抜けて涙が溢れてきた。わあわあと泣く私の背中を、ご主人もなでてくれる。
「すごく怖かったの」
「良かった、どうなるかと思った」
「私があんな仕事を請けてきたばっかりに、本当に申し訳なかった」
泣きじゃくる私に横からヨーナが抱きついた。何も言わずに私に顔を押し付けている。
仕立て屋夫婦は侯爵家から戻った足で、領主様に助けを求めに行ってくれた。貴族の領主様なら、どうにか出来るかもしれないと考えたそうだ。領主様とガイデルは不在だったけれど奥方が話を聞いて、すぐに領主様に知らせを走らせると約束してくれた。
その後、訓練所のアーウィン様に知らせに行き、アーウィン様がすぐに家に戻った。私が出たのと入れ違いだったらしく、騒ぎを見ていた近隣の住民から馬車が出て間もないと聞いて追い掛けてくれたらしい。さっきまでいた男の人は、心配して来てくれた訓練所の人だった。
「侯爵家の使用人が、よくロイダを渡してくれたね」
「少し脅したら、すぐ渡してくれましたよ」
アーウィン様のとぼけたような口調に、私はさっきの出来事を思い出した。この人は本当に王子様だった。そして、私にとても怒っていた。
「ロイダと話したい事があります。申し訳ありませんが、今晩はヨーナを預かってもらえませんか?」
「分かった。そうだ、領主様にもロイダが無事に戻ったと知らせておかないとな」
私の服を掴んだまま渋るヨーナを抱き上げると、アーウィン様とヨーナは二人だけで小声で話した。二人は真剣な顔で、たまにちらちら私の顔を見ている。やがて、ヨーナはアーウィン様の腕から下りると私に向かって言った。
「お姉さま、アーウィンさまの言う事をしっかり聞いてくださいね。約束ですよ。お返事は?」
「え? 分かったわ」
ヨーナも、アーウィン様が怒っている理由に納得したのだろう。私は何を間違っただろうか。叱られる前にちゃんと考えておかなければならない。怖くなって涙も引っ込んでしまった。
仕立て屋夫婦とヨーナが去ると、私は緊張感に耐えられなくなった。
「お、お茶、入れますね」
「いらない。座って」
私はぎくしゃくと椅子に座った。テーブルの下で手をぎゅっと組み合わせる。
「君は今日、自分の身を守ろうとしなかった。俺はその事に腹を立てている」
(私の身を守る?)
私にはヨーナがいる。アーウィン様だって分かっているはずなのに。
「自分の身を守る前に、私はヨーナを守ります。侯爵家は、私の常識の通じない恐ろしい世界に思えました。あの子を巻き込んではいけないと思って行動しました。自分の事を考えるのは、あの子が安全だと思えてからです」
「違うだろう? なぜ、その恐ろしい世界から自分も一緒に逃げる事を考えなかった。ヨーナだけじゃなく、自分も一緒に逃げる方法を考えればいいだろう」
「私も? ⋯⋯でも」
私だって出来るなら逃げたかった。そんな簡単に出来る事のように言われても、あの時には思いつかなかった。ヨーナを守るのが精一杯だった。
「でも、何だ。言ってみろ」
二人で逃げる方法、本当はあの時に少し考えた事があるけど、言いたくない。怒っているアーウィン様をますます不快にさせてしまうかもしれない。
何か違う事を言ってくれないか期待してみたが、アーウィン様は私の言葉の続きを待っている。もう怒らせているのだから、今さら隠しても仕方ない。覚悟を決めた。
「私が逃げたら、仕立て屋のご夫婦が責められるでしょう。もしかすると、私の刺繍を紹介した領主様の奥方にもご迷惑が掛かるかもしれない。でも、少しだけ、アーウィン様を頼ってみようとは思ったのです」
アーウィン様になら迷惑をかけて良いと思ったわけではない。それは本当だ。
「侯爵家の人はここの裏口は見張っていませんでした。そこから出れば訓練所までは捕まらずに行けると思ったのです。アーウィン様なら、追手が来ても絶対に負けないと思います。でも、侯爵家には人がたくさんいるでしょう。武器を持って束になってかかってきたら? 追手を傷つけた事が罪になってしまったら? そんな迷惑はさすがに掛けられないと思ってやめました。一人で侯爵家に行く事を選びました」
結局同じ結果になった。衛兵に囲まれて、アーウィン様は隠していた身元を明かす事になってしまった。
「ごめんなさい、巻き込もうとして。⋯⋯いえ、結局巻き込みました。申し訳ありません」
私のせいで巻き込んだ。迷惑を掛けたくなかったのに。
アーウィン様は大きくため息をつくと、テーブルの上に手を出した。
「ロイダ、手を出して」
なぜか、アーウィン様の表情は怒りよりも悲しみが強いように見える。言われたまま手を重ねてみと、そっと両手で包まれた。思ったよりも優しい手つきだった。
「俺は、君を家族のように思っている。何度も言ってきたが、覚えているか」
もちろん覚えている。まだ一緒にいてくれるんだ、聞く度に心強くなる温かい言葉。
「はい、何度も言って頂きました」
「家族が不幸な目に遭っているのに、俺が笑って過ごせると思うか? 面倒がって助けないと思ったか?」
(思うわけがない!)
頼ったら必ず助けてくれるだろう。分かっている。でも、そんな事をしてはいけない。厚意に甘えすぎてはいけない。
「一緒にいる間は、家族のように思って頂けるかもしれませんが、あなたは、いつか遠くに行ってしまう方だから。甘えすぎてはいけないし、私には一人でヨーナを守る覚悟が必要です」
「君は、俺の質問に答えていない」
手の温もりとは反対に、苛立った厳しい声。
「俺が家族を助ける事を厭う人間だと思うのか? 一緒に暮らしてきた君達の事を平気で見捨てる人間だと思っているのか?」
私はやっと理解した。アーウィン様はこの事に一番腹を立てている。私はアーウィン様を信頼するのが怖かった。少しでも迷惑だと思われると想像しただけで心が挫けそうだった。
臆病な私は信頼して頼るより、恐ろしい未来を耐える事を選んだ。それをアーウィン様は怒っている。
信頼しろと言ってくれている。涙が溢れて来た。
「思いません。頼れば、きっと助けてくれます。今日も助けて頂きました。今までも、困った時には助けてくれました」
「何度でも言うが、俺は君とヨーナを家族だと思っている。甘えて、頼って欲しい。君が俺を頼らずに、一人で犠牲になろうとした事に腹が立ったし、信頼されていなかったと感じて悲しかったんだ。それを分かって欲しい」
温かい手を確かめる。信じて良かったんだ、臆病な自分の行動を心から後悔した。
「はい。アーウィン様が怒っていらっしゃった理由が分かりました。私が間違っていました、ごめんなさい」
アーウィン様はやっと表情を緩めて、テーブル越しにハンカチで涙を拭いてくれた。本当に心配してくれたのだ。その温かい気持ちが伝わって来る。拭いてもらっている間も涙がこぼれてしまう。
「次は気を付けろ」
(次?)
私は考えないようにしていた事に向き合う。
「アーウィン様、ご自分の国に帰りますよね」
「そうだな。居場所がばれてしまっただろうし、迎えが来るだろうな」
アーウィン様は、椅子の背に寄り掛かって天井を見つめた。
ドン、ドン、ドン。
扉が叩かれた。
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