正義を司るはずの

「妹がいるんじゃなかったのか」


 使用人が厳しい声で家の中を覗き込む。


「仕事の邪魔になりますから、知人に預ける事に致しました」

「そうか」


 使用人は私の刺繍道具が入ったカゴをちらりと見ると、馬車に乗るように言った。ヨーナが気がかりでもう一度家を振り返ると、急げと言わんばかりに背中を何度も小突かれた。痛くて息が止まりそうになる。


「申し訳ありません」


 使用人は大声で御者に出すように告げると、もっと奥に行けと乱暴に小突いて私を奥に押し込む。扉が閉まると同時に馬車が動き出す。


 狭い所に、この使用人と一緒にいる事が怖い。気に障る事をしてしまって、また小突かれたら嫌なので、じっと下を向いて動かないようにする。


 王都の道は馬車の通行が多い。頻繁に止まって何かを待つ様子もあり、それほど速くは進まない。私からしたら、人間が走った方が早いのではないかと思う。馬車にこの使用人と一緒に乗っているのも嫌だけど、侯爵夫人の屋敷に到着するのも嫌だ。


(いっそのこと、馬車がひっくり返って周り中が大混乱になったら、今日は中止にして家に帰してくれるかもしれない)


 そんな事を考えていたからだろうか、馬の嘶きに続いて馬車が大きく揺れて止まり、私は座席から転がって前の壁に額をぶつけてしまった。


「痛ったーい!!!」


 隣を見れば、若い使用人も頭をぶつけたらしく、口汚く罵っている。外でも誰かが言い争う声がする。


「何だ、どうしたんだ!」


 使用人が扉の鍵を外して開こうと手を掛けた所で、先に馬車の扉が開き彼は『うわあっ!』と大声を上げていなくなった。


(???)


 使用人が飛び出した入り口から、見慣れた赤い髪が見える。


「アーウィン様!!」

「おいで!」


 強く輝く赤い瞳に包まれて時が止まる。どうして、どうしていつも、この人は私が助けを必要とする時に現れるのだろうか。


(やっぱり、炎の精霊なの?)


 アーウィン様は馬車の中に両腕を伸ばして私を引っ張り出すと、しっかり抱えてくれた。そのまま馬車を背にして歩き出す。急いで来てくれたのか、汗ばむ熱い体から強い鼓動を感じる。その熱に、私の中で冷たく固まっていた恐怖が一気に溶けて消える。ここは、アーウィン様の腕の中は、どこよりも安心出来る場所。


「待て!」


 引きずり出されて地面に転がっていた使用人が大声を上げた。


「侯爵家の馬車にこんな狼藉を働いてただで済むと思っているのか!」


 立ち上がり、私を抱えるアーウィン様の腕を掴む。


「触るなっ!!!」


 辺りに響き渡る鋭い声に、男が怯んで手を離した。見上げたアーウィン様の顔は今までに見た事が無いくらい厳しく、赤い瞳が炎のようにゆらめいている。


 燃え上がる髪と瞳。この世界で一番美しく私の心を震わせる色。あの炎の刺繍では駄目だ。私はまだ、この美しい赤を表現しきれていない。


 御者が腕をさすりながら馬の奥から歩いて来て使用人の横に立ち、アーウィン様の顔を憎々し気に睨みつける。


「お前、こんなことをしてただで済むと思うなよ」

「お前なんか、すぐひっ捕まえてやるからな!」


 騒ぎを聞きつけた衛兵が、周りの人をかき分けながら足音荒くやって来た。侯爵家の人間に乱暴をしたのだから、ただでは済まないだろう。私は怖くなって、アーウィン様の腕から下りようと身をよじった。


「アーウィン様、下ろしてください! 私は大丈夫ですから行って下さい。捕まったらきっと大変な事になります」

「君は黙ってるんだ! 言いたい事はたくさんある。でもそれは後だ」


 焼き尽くされそうな瞳で叱責され、何も言う事が出来なくなった。


 たちまち衛兵達に取り囲まれる。使用人と御者は競うように衛兵達に、アーウィン様の所業を訴える。隊長格と思われる衛兵が厳しい顔をして私達に向かった。


「この者達は、お前が走っている馬車を無理やり止めて、侯爵家の客人を連れ去ろうとしていると言うが真実か」

「馬車を止めたのは真実だが、この女性は侯爵家の客人ではない。私の家の者だ」


 アーウィン様の堂々とした振る舞いに、衛兵がたじろいで態度を改める。

 

「しかし、侯爵家の馬車に乗っていた女性を連れ出しているのですから、侯爵家に理があるように思えますが」

「この娘は侯爵家のご子息の妾として迎えると決まっている。誰であろうが、もう侯爵家のものだ。こんな男のたわ事に耳を貸すな!」


 使用人が衛兵に訴えかける。衛兵が戸惑ったように私を見る。


「子息の妾だって? 本人が承諾したというのか。意思に反して連れ去るような真似が正しい振る舞いだと言うつもりか」


 アーウィン様の静かな声に怒りが含まれている事が分かる。逆らえない威圧感、背筋が震えるような冷たさ、衛兵達が息を呑んだ。明らかに隊長格の衛兵は判断に迷っている。


「お、俺達は侯爵家の人間だ。馬車の紋章を見れば分かるだろう! 何か文句があるなら侯爵家に言うんだな!」


 御者は衛兵を押しのけるようにして、アーウィン様に抱えられた私の腕を掴もうとした。


「触るなっ! もう二度とは言わんぞっ!」


 辺りにビリッと緊張が走った。衛兵が怯むほどの声音に、御者は腰を抜かしたようにへたり込んだ。


 しかし隊長格の衛兵は歩き出そうとするアーウィン様を『待て』と制止した。


「どちらの言い分が正しいのか、今ここでは判断がつかない。私達としては、無理に馬車を止めたあなたを制止する他ない」

「人を拐かす輩に理があるというのか? この女性が侯爵家に行く事を望んでいるように見えるのか?」

「いや、あの⋯⋯」


 衛兵は口ごもる。でもアーウィン様を行かせるつもりもないようだ。


「申し訳ないが、あなたを拘束させてもらう」


 隊長格の言葉に、衛兵たちが隙間なく私達を取り囲み腰の剣に手を掛けた。


「アーウィン様、私行きますから。今ならまだ許してもらえるかもしれませんから!」


 アーウィン様は不快そうに視線を私に向けた。


「黙っていろと言ったな?」

「ひっ!」


 アーウィン様じゃないみたいだ。私は石のように固まってじっとした。アーウィン様は衛兵を見渡し深く息をついた。


「どちらに理があるか、身分で判断するのか。⋯⋯腐ってるな」


 そして私に向かって『立てるな?』と確認すると地面に下ろした。


「お前、こっちに来い」


 アーウィン様は取り囲む衛兵の向こうにいる隊長格に向かって鋭く告げた。醸し出された威圧感に負けた隊長格はその声に従って、ふらふらと歩み出た。その間にアーウィン様は首元に手をやって何かを引き出した。


(ペンダント?⋯⋯違う、指輪だわ)


 鎖に通して首に下げていたらしい指輪を取り出し隊長格に見せた。


「仮にも王都の衛兵なら、近隣国の国章くらい分かるだろう」

「――! あなたは一体!」


 隊長格の顔が一気に真っ白になった。青くなった唇が震えている。


「私はサジイル王国の第一王子、アーウィン・サジイルだ」

「は、は、ははっ! 大変なご無礼を!!」


 隊長格が地面にひれ伏した。衛兵達も慌ててその姿に倣って地面にひれ伏す。指輪と名乗りだけで信じるのは、アーウィン様から醸し出される空気が常人とは明らかに違うからだろう。貴人に接する事も多い衛兵達には、嘘では無い事が分かるのだと思う。


「王子? この男が?」


 侯爵家の使用人と御者は、あっけにとられた顔をしてアーウィン様を見つめている。


「お前達、さっさと侯爵家の使用人と馬車を屋敷まで送り返せ! この方達には指一本触れさせるな!!」


 這いつくばったまま隊長格が指示すると、衛兵達は慌てて起き上がって指示に従った。納得出来ないのか、使用人と御者はいつまでも口汚く罵っていたが、やがてそれも聞こえなくなった。


 長時間、道をふさいでしまっていた。隊長格は起き上がると私達を道の端に誘導した。その横を慌ただしく他の馬車が通り過ぎて行く。残った衛兵が、文句を言う御者達に頭を下げて詫びている。


「大変失礼致しました。まさか、こんな高貴なお方とは思わずご無礼を⋯⋯」


 くどくどと謝る隊長格を、アーウィン様はうんざりした顔で追い払った。家まで送ると言うのを断って、私達は家に向かった。


(本当に王子様だったんだ)


 驚きよりも納得する気持ちの方が大きい。今日は色々な事がありすぎた。全て夢で、目が覚めたら侯爵夫人のドレスがまだ真っ白な頃に戻っていたらいいのに、現実を離れてぼんやりと思う。

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