炎の刺繍
緊張して震えそうになる手で人型に被せていた布を外した。作成にかなりの日数がかかった。反応を見るのが怖い。
アーウィン様は『すごいな』と声を漏らし、一歩体を引いて全体を眺めた。
「驚いた。こんなに素晴らしい衣装は、今までに見た事が無い」
侯爵夫人がお召しになるという、豪華なドレスの刺繍の図案として私が選んだのは炎の意匠だった。仕立て屋の旦那さんにお聞きした情報から、激しく猛々しい印象を得た。激しく強く美しく燃える炎。
ドレス全体を刺繍で埋めて欲しいという希望に合わせて、光沢がある白の布に負けないくらい強く輝く赤の糸を基本に『赤』だけで数十種類の糸と、他にもたくさんの色を組み合わせた。これをまとった奥方はきっと、炎を従えた女王のような風格が出るだろう。
「アーウィン様の炎のような髪と瞳を美しいと思っていました。いつか刺繍で表現したいと思っていましたが、少し近いものを作れた気がします」
太陽の下で輝くアーウィン様の髪は本当に美しい。アーウィン様は私の言葉に珍しく恥ずかしそうな顔をして少し赤くなった。
「あの、もうすぐ寒くなります。もしよろしければこちらを着て頂けませんか?」
私は後ろの台の上から黒のマントを取って差し出した。アーウィン様は、少し首をかしげてマントを手に取り広げた。
「これを俺に!」
肌寒くなって来たけれど、アーウィン様は冬の服をお持ちではない。マントを用意しようと思って思いついた。
「王都では、このようにマントの内側に意匠を凝らすのが流行だそうです。マントはおじ様が作ってくれました」
マントの内側に、侯爵夫人のドレスと同じような炎の刺繍を入れた。でも、もっと男性的で力強く、暗闇を照らすような熱く明るい炎。刺繍をしているうちに、ドレスよりマントの方に力が入ってしまった事は秘密だ。
どうしても、使ってくれる人を想像しながらの刺繍と知らない人への刺繍では、気持ちの入れ方に差が出てしまう。
アーウィン様は、とても嬉しそうな顔をしてくれた。
「こんな素晴らしい物をありがとう。とても嬉しい」
「アーウィン様のおかげで思いついた色合いですから、あなたに一番お似合いだと思って。拙いものですが、お使い下さい」
アーウィン様は、これまでも私が刺繍を入れた衣服を好んで着てくれた。美術館で解説をしてくれたり、図書館で美術書を選んでくれたり美術に造詣が深く、鋭い審美眼を持っていると思われるアーウィン様に褒めてもらえると安心する。侯爵夫人にも自信を持ってお渡しする事が出来る。
仕立て屋夫婦も完成したドレスを見て息を呑んだ。口々に今までの私の刺繍の中でも最高の出来だと誉めてくれる。
「後は、ご本人がお気に召して下さるかどうかですね」
私の言葉に、仕立て屋夫婦も緊張した顔で頷いた。
◇
しばらくは仕事が忙しくなりそうだ。侯爵夫人のドレスの刺繍に専念していた間にも、私への刺繍の注文は途切れなく頂いていたようだ。ご主人からもらった書き付け数枚にはびっしりと注文が書き込まれ、預かった素材も一度では運べないほど多かった。
「ガイデルのお母様から頂いたハンカチのお仕事もあるしね」
手持ちの糸が心もとないので、ヨーナを連れて町に買い物に行き、たくさん糸を買い込んだ。応対してくれた糸問屋の息子さんの顔を見てアーウィン様の『頭が悪そうだ』を思い出し、動揺してしまう。息子さんは今日も釣銭を間違えた。
帰り道、ヨーナの希望でアーウィン様がいる武術の訓練所に立ち寄った。
王都では男の子は必ずと言えるほど、どこかの訓練所に通うらしい。この国は常にどこかと戦争をしている。全ての国民が最低限の事だけでも出来るようにと国からも推奨されていて、どこの訓練所でも子供から大人まで、大勢が熱心に取り込んでいる。
アーウィン様が勤める訓練所は通りに面していて外から訓練の様子が見える。今までも買い物の帰りにヨーナと見学に寄る事があった。背が高く、鮮やかな赤い髪が目立つアーウィン様は、遠目からでもすぐに存在が分かる。ヨーナが嬉しそうに私に彼の姿を示す。
「見つけたー!」
小さい子達に剣の握り方と振り方を教えている。皆、真剣な顔をしてアーウィン様の実演を見て真似をしようとしていた。
「お姉さま。ヨーナも、やってみたいけど難しそうよね」
「そうね、私も小さい頃から王都にいたら、習いたいと言っていたかもしれないわ」
私達がいた港町では、女の子が武術を習う習慣が無かったけれど、王都には女の子が通う訓練所も多くある。見ていると出来そうな気がしてくる。
二人で訓練を見ながら、カゴの持ち手を使って剣の握り方の練習をしていたら、アーウィン様が私達に気が付いて手を振ってくれた。私も手を振り返し、ヨーナは飛び上がって手を振った。
アーウィン様は子供達に何かを言うと、私達の方に駆けて来た。
「買い物の帰り?」
「はい、糸を買いに行ってきました」
私がカゴを掲げて見せると、アーウィン様は手ぬぐいで額の汗をぬぐった。上着無しでは寒い季節だけど、体を動かしていたその顔は汗ばんでいる。
「今日は幼い子達の相手をしているから、もうすぐ終わるんだ。少しだけ待っていてくれないかな、一緒に帰ろう」
「終わるまで、ここで見てる!」
「お待ちしていますね」
仕事を終えたアーウィン様と、ヨーナを真ん中にして三人で手をつないで家に向かう。お腹が空いたという二人から今日の夕食は何かと問われ、予定していた献立を伝える。好きな献立だとはしゃぐ二人を見て、食後のお茶は何にしようかと思いを巡らせる。
◇
「おじ様、これって!」
包みを開いた私は腰を抜かしそうになった。仕立て屋のご主人も青ざめた顔をしている。そこには見た事もないような大金があり、怖くなった私はカウンターの上に包みごと置いた。
「これは刺繍に対する代金だ。ドレスに対しては別に包んであった」
心臓が口から飛び出しそうなほど強く跳ねている。これほどの額を前にすると、嬉しさよりも恐ろしさを感じる。
侯爵夫人はどうやらドレスをお気に召したらしく、使いの人が包みをぽんと置いていったそうだ。その包みの中にドレスのお金と刺繍のお金が入っていたらしい。
「すみません、私、こんなに頂けません。確かに高価な糸をたくさん使いました。でも、これはあまりに多すぎます」
ご主人も頷いた。後ろで奥さんも両手を握り締めて頷いている。
「私らも、相場の料金だけ頂いて残りはお返ししようと思っているんだ。分不相応な利益を得てはならない。お師匠からもきつく言われていたよ」
彼らの師匠である私の父も欲が無い人だったと聞く。領主からの仕事も、町の人からの仕事も同じように、材料の費用にほんの少しの仕立て代を頂くだけで儲ける事は考えなかった。袖を通してくれた時の嬉しそうな顔が、一番の報酬だと言っていた。
たまに、特に気に入ったからと報酬に色を付けてもらえることがある。でも、それは手間賃に比べてもささやかで、素直に嬉しく受け取れる額だった。家が一軒買えそうなこんな額は、私達の常識の範囲を遥かに超えている。
「えっと、糸のお金と、今までと同じくらいの少しの手間賃だけ下さい」
「そうだね、そしたらこれくらいかな」
ご主人が、ほんの少しだけ取って残りを包み直した。
「それにしても、王都の貴族というのは恐ろしい世界に住んでいるねえ」
「本当に。申し訳ないですが、怖くてもう仕事を請けたくないです」
「失敗したら命でも取られそうだしな」
私達は港町の領主の温かい気さくさを思い出した。きっとここでは、ガイデル達のような貴族の方が珍しいのだろう。ガイデルもこの世界で苦労しているのかもしれない。
帰ってアーウィン様に、この出来事を話すと表情が曇った。
「金持ちの貴族だっけ? 気前がいいだけなら問題ないけど、金で人を動かす事を当然だと思っている人間だったら厄介だな。受け取らなかった事が悪い方に働かないといいけど」
「悪い方に働く事があるのですか?」
「自分達の金や力にひれ伏すのが当然だと思っていたのに、思い通りに行かないことを不愉快に思うような人間もいるんだ」
「そんな事を思う人が⋯⋯」
上手く想像出来ない。今までそういう人に出くわしていないのは幸せな事だろう。
「仕立て屋はもう返してしまったか?」
「あんな大金を持っているのが怖いから、すぐ返しに行くと言っていました」
「そうか。もしも、次にそういう事があったら返す前に俺に相談してくれ。仕立て屋のご夫婦にもそう伝えてくれるか?」
「はい、分かりました」
残念ながら、アーウィン様の嫌な予測は的中してしまった。
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