大きな仕事

「見てくれ、自信作だ」


 仕立て屋の旦那さんが広げたドレスは、今までに見た事が無いほど贅沢な品だった。高価な布を惜しみなく使っている。


「ここに、ロイダの刺繍を入れて欲しい」

「このドレスにですか!」


 触れるだけでも気が引けるようなドレスに私が刺繍を入れる。緊張で手が震える。


「侯爵家の奥方からのご注文なんだ」


 侯爵家。確か貴族の中でも頂点に位置するような立派な家ではなかっただろうか。時代によっては複数存在していたけれど今はただひとつだと学校で習った気がする。この国の貴族の頂点に君臨する圧倒的な存在。


「そんなすごい方からの注文を、おじ様は請けていらっしゃるのですね」


 とても現実の事とは思えない。ガイデルの家も、何だか爵位のような物を持っていると聞いた事があった気がするけれど、遥かに上の階級だ。


「我らが奥方様のドレスの刺繍をご覧になった侯爵夫人が、どうしてもとおっしゃっている。このドレスを私に発注して下さったのは、ロイダの刺繍あってこそなんだ」


 事前に仕立て屋の腕を確かめるように、普段のお召し物を何着か仕立てたそうだ。それに満足した上で今回の発注に至ったらしい。


「私の刺繍が失敗してしまったら、せっかくのおじ様の苦労が水の泡になってしまいます」


 怖くて仕方ない。でも旦那さんは弾けるように笑った。


「違うな、逆だ。ロイダの刺繍の腕のおかげで私は機会をもらえた。だから、刺繍が気に入られなかったとしても、私には何の損も無いよ。気負わずに普段の腕を発揮してくれたら十分だ」

「図案のご希望などはありましたか?」

「全てロイダに任せるそうだ」


 私は覚悟を決めて引き受ける事にした。散々お世話になった仕立て屋夫婦の役に立ちたい。


 私は旦那さんが知る限りの侯爵夫人の情報を教えてもらった。普段着の仕立ての為にお屋敷に何度もお邪魔したそうだ。庭の様子や部屋の調度などから好みを推測する。


(柔らかさよりも、激しい強さをお好みのようね)


 思いついた意匠がある。私は緊張しながらドレスを受け取った。


 それからしばらくの期間は、他の注文は断って侯爵夫人のドレスの刺繍に専念する事に決めた。思いついた図案を他の布で試して図案を修正する。また試して修正する、繰り返すうちに仕事部屋はドレスの図案と試した刺繍でいっぱいになった。


 半月程で何とか図案が決まった。ヨーナを学校に送り出し、いよいよドレスに手を付けようとしていた時だった。


――リン、リン。


 外の呼び鈴が鳴らされた。こんな時間の来客は珍しい。


(もしかして!)


 勇んで扉を開くと、果たしてそこにはガイデルの姿があった。


「ロイダ!」


 嬉しそうな笑顔は、以前よりも疲れが抜けて港町に居た頃のようだった。


「ガイデル、久しぶりね! リベスさんも、お変わりないようですね!」


 王都に移住してからはガイデル一人だけが顔を出し、家にも入らず少しだけ話して数分も経たずに帰る事が多かった。リベスさんまで一緒に来るのは初めてだ。


「今日は少し時間があるんだ。お邪魔していいかな」

「もちろんよ!」


 私は二人を通してお茶を入れた。二人は家を興味深そうに見回している。


「少し狭くなったけど、雰囲気は港町と変わらないな。家の中の香りが以前と同じだ。すごく落ち着く」


 ガイデルが懐かしそうに笑った。リベスさんも珍しく微笑みを浮かべている。いつもそっけなかった彼だけど、この家で多少は望郷の思いに駆られたのかもしれない。


「母から君の刺繍が社交界で評判になっていると聞いた。他で見ない意匠だし、繊細で丁寧な仕事がされていて特別なんだそうだ」

「ありがとう。そこまで褒めて頂けるような大層な物じゃないけど、とても嬉しい」

「それで、今日は仕事を頼みに来たんだ」


 ガイデルのお母様が開くお茶会で、私の刺繍が入ったハンカチをお土産にしたいそうだ。リベスさんが、無地のハンカチの束の包みを渡してくれる。


「図案は君に任せる。母の好みは分かるだろう?」

「ええ、お変りになっていなければ良いのだけど」

「母は、領地に居た頃も今も全く変わらない。父の方がここでの暮らしに参っていて、いつも母に励まされているよ。強い人だ」


 何となく想像できる。繊細で優しい雰囲気の領主様と、しっかりしたご様子の奥方様。穏やかで温かいガイデルがお二人の良い所を受け継いでいると領内でも評判だった。


「皆様、お変り無いようで嬉しい」


 今日は時間があるというガイデルの王宮での話を聞いたり、私の新しい暮らしぶりを聞いてもらった。お互いの話は全く尽きる事がない。


 リベスさんがガイデルにそっと耳打ちをして外に出た。恐らく戻る時間になったのだろう。


「ハンカチの刺繍が終わったら、どうやってお知らせしたらいい?」

「手紙をくれるか」

「分かった」


 港町に居た頃は、毎日のように顔を合わせていた。今は連絡をする為に手紙を送らなければならない。徒歩で歩ける近さになのに、ガイデルの世界はとてもとても遠い。


 ガイデルが扉に手を掛ける。


(行かないで)


 次にいつ会えるか分からない。ハンカチの刺繍が終わっても、誰かが受け取りに来るだけかもしれない。


「あの⋯⋯」


 思わず声が出てしまい、ガイデルが振り返る。ガイデルの視線がしっかりと私の視線を捕まえた。故郷の海を思わせる深い美しい青い瞳。


(私はこの人が好きだ。思い出になんて出来ない)


 ガイデルはわずかに瞳を揺らした後、きっぱりとした口調で言った。


「俺の縁談が進んでいる。決まれば次の春には結婚する」


 強い決意を感じる。ガイデルはもう、別の道を進み始めている。


「上手くいくといいね」


 泣いてはいけない。絶対に泣いてはいけない。それなのに、駄目な私は涙を流してしまう。


 ガイデルは目を逸らすと、私を強く抱きしめた。離れなければならないのに、私にはどうしてもそれが出来ない。我慢出来なくて彼の背に手を回し、私も抱きしめる。


 私は気が付いていた。ガイデルからはいつもの新緑の香りがしない。香水なのか石鹸なのか、彼からいつも感じていた懐かしい香りは違うものに変わっている。


 ここはもう港町ではない。


 しばらくしてガイデルは、私の肩を優しく押さえて体を離すと、振り返らずに扉を開いて出ていった。

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