新天地への旅
あの丘を越えたら王都が見える、そう言われて仕立て屋夫婦も私とヨーナも馬車の窓にしがみついた。馬の歩みと共に坂の向こうに広がったのは、端が見えないくらい広い広い町だった。
「お姉さま、王都って大きいのね。ヨーナ、少し怖い」
「でも、こんなに建物が多い町なら、狼が出なくて安全じゃないかしら」
「そうね、そうね!」
ヨーナを宥めたものの私自身、憧れの王都を目の前にして気持ちの高ぶりよりも恐怖を感じていた。それは大人達も同様のようで、仕立て屋夫婦も馬車に同乗している建築家の一家も窓にしがみついたまま口を開かない。
「さすが、国の首都だけあって広いね」
アーウィン様だけが寛いだ様子で背もたれに寄り掛かって、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。
「アーウィン様、想像していたよりも、もっとずっと大きくて飲み込まれそうです」
「探検したら楽しそうじゃないか。家の片付けよりも探検を優先しようよ」
アーウィン様の軽い調子の声に、仕立て屋夫婦も建築家の一家も表情を緩めて、口々に丘の向こうに広がる町の感想を言い合った。
「アーウィンさんは、こういう大きな町に慣れているのかい?」
「今までどういう町を見て来た?」
皆の質問に、今までに見た事がある大きな町の話をしてくれる。私達は皆、夢中になってその話を聞くうちに、王都に感じた恐れを忘れて期待で胸が膨み始めた。
住んでいた港町を出発してから、もうすぐ一か月になる。王都に移住する町の住人は全部で百人程いる。領主様に率いられた大人数での旅はとても楽しいものだった。何しろ旅の費用は全て国が出してくれる。こんなに遠い場所への移住でも、港の閉鎖に伴う補償として支払ってもらえる。
最初に港の閉鎖を知らされた時には、町に暴動が起こりそうな不穏な空気が流れた。領民が納得できる条件を国から引き出し、皆の気持ちを鎮めてくれたのが領主様だ。私達は心から領主様を慕っている。
一向のほとんどは旅行が初めてで、各地を見物しながら生涯に一度の大旅行のつもりで楽しんでいる。
もちろん、私もヨーナも領地を初めて出た。見る物全てが珍しく、分からない事だらけだ。ヨーナは常にアーウィン様を質問責めにしている。
「アーウィンさま、どうしてあの川の水は、あんなに青い色をしてるの?」
「あれは、⋯⋯恐らく鉱物の影響じゃないかな。あの山肌を見てごらん、あの辺りの岩は緑がかった色をしているだろう。ああいう緑がかった石や白い石が川底に多い事、水が綺麗に透き通っている事、そういう条件が重なって空の色を美しく映えさせる」
ヨーナに帳面に控えさせて、王都に行ったら図鑑を調べてみようと誘っていた。実は私も知りたい。王都には図書館という本や図鑑がたくさん読める場所もあるそうだ。学校の図書室とは比べ物にならないくらい大きいらしい。
アーウィン様は何でも知っている。私達が慣れない所で戸惑ったり判断に迷う時にも、さりげなく助けてくれる。ヨーナと私だけではなく、一緒に旅をする周りの人達もいつの間にかアーウィン様を頼りにするようになっていた。
仕立て屋夫婦の誤解も解けないまま、周りは私とアーウィン様を国籍が違うから結婚できない夫婦として扱う。アーウィン様に詫びると『本当の家族みたいで楽しいじゃないか』と面白がってくれた。
発つ前、ガイデルにアーウィン様も王都に一緒に行く事になったと告げた時、彼は少し驚いた様子を見せたけれど賛成してくれた。身元を証明する書類を持たないアーウィン様の為に手続きを約束してくれた。次いで、仕立て屋夫婦の誤解を告げた時には少しだけ嫌そうな顔をしたけど、それも受け入れてくれた。
「この先、今までと同じようには気に掛けてやれない。せめて仕立て屋と一緒に暮らして欲しかったけど、君はそれも嫌なんだろう。だったら、しっかりした大人が誰かいてくれた方が安心だ」
「私はもう大人よ!」
ガイデルは呆れたような顔をする。
「しっかりした、と言っただろう。俺から見たら君は頼りなくて危なっかしい。本当は、表立って君達を支援出来る立場にしてくれるのが一番嬉しいけどな」
私が俯くと、そっと頭を撫でてくれた。ガイデルは誕生日の後も、変らぬ態度を取ってくれた。聞き分けのない私なんて彼に見放されても仕方ないと思っていたのに、その優しさは私を苦しめる。今からでも遅くないから申し出を受けろ、頭の中で唆す声が聞こえる。
「あの男は、腕は立つし悪い人間では無いと思う。君が惚れるんじゃないかという事だけが心配だ」
ガイデルの言葉に思わず笑ってしまった。彼もまさか本気で言ったわけではないだろう。
「冗談が過ぎるわ。あの方は本の中から抜け出て来たみたい。最初は精霊かと思ったくらいよ。不思議な方よね」
「本の中から出て来た精霊か! 確かにな。作り物みたいに容姿が整っているし、浮世離れしているな」
そんな話が出来たのも、旅立つ前までだ。ガイデルをはじめ領主のご一家は気さくに町人と接してくれるけれど、私達は皆、身分を弁えて一線を画す。人目がある所では、私も決してガイデルに気安い振る舞いをしない。ヨーナにも幼い頃から言い聞かせて来たので、幼いなりに弁えている。
町の入り口に着いた。衛兵が領主様が渡した書類を手に、馬車の人間を一人ずつ確認する。アーウィン様の身元を質されないか心配だったけれど何事もなく終わった。ガイデルが約束通り手続きをしてくれたようだ。
私達がいた町の門番とは違う、兵士らしい厳めしい姿を恐ろしがってヨーナはアーウィン様の陰に隠れている。その様子を見て衛兵は温かい笑顔を向けてくれた。
「ようこそ、王都へ。あなた方の新生活が幸運でありますように」
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