ぶつけられた決意

 日が傾き始めている。町を歩く人はほとんどいなくなっている。アーウィン様は、ずり落ちて来たヨーナを抱え直した。


「ところで、俺も踏み込んだ事を聞くけどガイデル殿は、君と結婚したがっているんじゃないの? それに、君の方も彼を想っているように見える。関係が進まないのは身分が理由?」

「えっと⋯⋯」


 アーウィン様から見ても、ガイデルと私の間に特別な感情があると分かるのだろう。私は言葉を選びながら説明した。


「この国では、ガイデルのような貴族と、私のような平民は結婚出来ません」


 妾の制度があること、ガイデルはそれを申し出てくれているけれど、私が断っている事を伝える。アーウィン様は大きく息をついた。


「この国の法律は身分に対して厳しいんだな」


 アーウィン様の国では、結婚に身分の制約が無いそうだ。もちろん、身分違いの結婚は歓迎されない事も多く、場合によっては風評と戦う覚悟が必要になるそうだ。


「それでも、二人で乗り越える事は出来る」


 もし結婚が許されていたとしたら、想像を巡らせてみる。それでもきっと、私は断っただろう。私に領主夫人が務まるとは思えない。


「一方通行の想いで構わないのです。王都に行ったら今までのように会えるかどうか分かりません。それでも、たまにガイデルの顔を見る事が出来て、元気に暮らしている事が分かるなら、それで幸せです」

「そういうものか?」


 アーウィン様は腑に落ちないという顔をして、ずり落ちてきたヨーナを抱え直した。



 ヨーナの誕生日ならともかく、自分の誕生日を盛大に祝うつもりはない。いつもと同じような夕食を済ませて、三人でのんびりとお茶を飲んでいた。いつもと違うのはアーウィン様が丘で摘んできてくれた花を飾った事くらいだ。


 ガイデルと護衛のリベスさんが来たのは、すっかり日が暮れて、そろそろ湯殿の支度をしようという時間だった。


「済まない、遅い時間になってしまった」

「ガイデルさまだ!」


 朝以外にガイデルがこの家に顔を出すことは滅多にない。ヨーナが喜んで飛びついた。


「ヨーナ、これをどうぞ。姉さんの誕生日だから、特別に美味しいものを焼いてもらったんだ」


 ガイデルが甘い香りが漂う包みをヨーナに手渡した。ヨーナはきゃあきゃあ喜んで包みを持って飛び跳ねる。


「ちょっと姉さんを借りるよ」


 ヨーナに声を掛けたけれど全く聞いていない。ガイデルは私に目でついて来るように合図すると家の外に向かった。私はアーウィン様が軽く頷くのを見てガイデルに続いた。


 今日は風が強い。空を見上げると細かい雲が流されているのが分かる。ガイデルは庭を抜けて丘を少し上った。少し開けた場所まで進むと眼下に広がる海を眺めた。私もその隣に並ぶ。海面に映る月が大きく揺れている。


「成人、おめでとう」


 ガイデルが海を向いたまま静かに言う。今のガイデルの瞳は、海に映る月よりも強い光を宿しているように感じる。この瞳に捕まってしまったら私は自分を制する自信がない。私は避けるように海に視線を戻した。


「ありがとう」


 風が周りの木々を大きく揺らして葉の音を立てながら走り抜けていく。波の音がいつもよりも大きいと感じる。


「君が成人するのをずっと待っていた。ロイダ、俺は、どうしても君と一緒になりたい。でも君は受け入れてくれない。――だから考えた」


 ガイデルの緊張した硬い声が気になる。いつもの申し出じゃないのだろうか。


「もしも、俺が家を捨てたら、それなら俺と一緒にいてくれるか?」

「そんな!」


 恐怖のような感情が背筋を走った。


「だめ! やめて、駄目よ!」


 ガイデルの袖にすがりついた。手が震えて鼓動が早くなる。こんなことは絶対に駄目だ。


「あなたが、立派な領主になる為に努力してきた事を知ってる。この地を離れる事にはなったけど、王宮で全ての民が健やかに暮らせるように力を尽くすと言っていたじゃない!」


 私は政治の事を何も知らないけれど、ガイデルのお父様が治めるこの領地で私も皆も健やかに生活してきた。領主様を悪く言う声はほとんど聞かなかった。その領主様と、それを間近で見て来たガイデルなら、王宮でも国民の為になる働きをすると信じている。


「お願いだから、そんな決断をしないで」

「だったら!」


 ガイデルが私の瞳をまっすぐに射抜く。


「どうすれば君と一緒にいられる? 生涯、妻を持たないと誓う。それならどうだ?」

「やめて、お願い。あなたは家を継がなければいけない。私とあなたは絶対に一緒になれない。諦めて」


 ガイデルには兄弟がいない。彼が家を未来に繋がなければならない。共に家の繁栄に力を尽くせる妻を持たなければならない。


 それは私には絶対に出来ない。


「嫌だ、諦めたくない。無理だ。君は俺の事を愛しているだろう?」


 聞かないで欲しい。答えたくない。顔を背けたのに、両腕を強く掴まれて覗き込まれる。逃げる事を許してくれない。


「なら、違う聞き方をしよう。俺の事が嫌いか?」

「嫌いじゃない」

「俺よりも好きな男がいるのか?」

「――いない」

「だったら!」


 肩を引かれ強く抱きしめられた。痛いほどに力が込められる。首筋に熱い息がかかる。


「頼む、ロイダ。君が望む方法を選ぶから。俺はどうしたらいい?」


 私もガイデルと一緒になりたい。ずっと一緒にいたい。心からそう思う。でも妾になる事を受け入れたら、私はきっと私ではなくなってしまう。


 醜く奥様に嫉妬する私、そんな私を疎むようになるガイデル。あるいは、結婚するという彼を引き留める醜い私。それとも、奥様に心を移して私をもてあますガイデル。どれも想像したくない。それはガイデルと私が望む未来ではない。そうならないように自分を律する自信がない。試みて失敗する事が怖い。


 いつか失うなら、最初から手に入らない方がいい。


「懐かしい思い出として覚えていて欲しい。それだけでいい」


 私が絞り出すように言った言葉が聞こえなかったかのように、ガイデルは力を緩めてくれない。いつも彼から漂う新緑の香りが私を包む。全てを委ねてしまいたくなる香り。大好きな香り。


「嫌だ、俺には無理だ」

「お願い、ガイデル」

「頼む、頼むから、受け入れてくれ」


 ガイデルは私を抱きしめたまま身動きをしない。彼の強い鼓動を感じる。


 どのくらい経っただろうか。ガイデルはゆっくり身を離した。振り仰いだガイデルの瞳はうるんで揺れていた。悲しそうな顔で私の頬に手を伸ばしてそっと触れた。


「君を愛してるんだ」


(私も愛している、心から愛してる)


 絶対に口に出してはいけない。私は頬に添えられた手に自分の手を重ねてガイデルの温もりを確かめる。離したくない。


 そっと彼の手を離した。


「戻りましょう」


 ガイデルはそれ以上は何も言わなかった。


 私は期待している。王都に行って今までのように会えなくなったら、少しずつ時間が私達の間を冷やしてくれると。

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