まるで家族のような

 翌朝から、ガイデルは少し早い時間に来るようになった。アーウィン様と剣の稽古をする事にしたらしい。二人は剣の使い方が違うらしく、お互いの剣術が気になるので教え合うことにしたと、熱心に稽古している。


 ガイデルと護衛のリベスさんは、朝食を取らずに朝早く来るので、うちで朝食を食べて頂くようになった。長い付き合いだけどガイデルと食事を共にするのは初めてだ。子供の頃は一緒に遊んでいても、身分が違う私だけは違う所に呼ばれて食事を頂いた。


(ガイデルの家の方は良く思っていないでしょうね)


 もうすぐ引っ越しをして生活が大きく変わる。その混乱に免じて、今だけ目こぼしされているのかもしれない。


 ガイデルとリベスさんがいるからと言って特別な食事は用意出来ない。それでも、ガイデルは美味しいと喜んで食べてくれる。ヨーナはすっかり懐いたアーウィン様と大好きなガイデルが一緒にいるものだから大はしゃぎで、食べるよりおしゃべりに夢中だ。


 両親と祖父母がいた頃を思い出す。この家で過ごす最後の時間が賑やかになった事が心から嬉しい。


 その日の帰り際、ガイデルは遠慮がちに小声で私に言った。


「誕生日おめでとう。今日の夜、会いに来てもいいか? 執務が終わった後だから少し遅くなるけれど話をしたい」


 妾になって欲しいという申し出を思い出して、少しだけ胸が苦しくなる。でも会えるのは嬉しい。


「ありがとう、待ってるね」


 微笑んで頷くとガイデルは立ち去った。その会話が耳に入っていたのか、アーウィン様が問う。


「誕生日なの?」

「はい、やっと成人になりました。後見人の許し無しで、色々な事を決められるようになりました」

「後見人って?」


 私の後見人を仕立て屋の旦那さんが務めてくれている。長年手入れをして状態が良いこの家は、引っ越しを機に人に譲る事になっている。その売買や手続きで、かなりお世話になった。


 今日からは一人で決められる。言い換えると一人で決めなければならなくなった。私の決断はヨーナの運命も左右する。本当は少し怖い。


 この国の後見人の制度を説明すると『俺の国にも似たような制度はあるな』と呟いていた。


「来週の半ばには、ここを発つ予定です。アーウィン様は、この後どのようにされますか」

「そうなんだよな⋯⋯」


 アーウィン様は、庭で熱心に草を引っこ抜いているヨーナを眺めた。しばらく黙った後、ぽつりと一言だけ言った。


「決めてない」


 それ以上は踏み込んではいけない気がした。私は何も言わずに朝食の片付けに取り掛かった。



 仕立て屋夫婦に、今日まで後見人としてお世話になったお礼をしに行くと、初めて会ったアーウィン様に二人はとても驚いた。


「まあまあ、何て均整が取れた立派な立ち姿!」


 奥さんは巻き尺を持って、アーウィン様の寸法を測り始めた。旦那さんも、ぐるぐると周りを歩きながら、どんな服が似合うか考え始めている。アーウィン様は苦笑いしながら、それを受け入れている。


 アーウィン様がうちで暮らす事になった経緯を説明すると、二人は青い顔をして心配してくれた。


「だから、ヨーナと一緒にうちで暮らしなさいって言ったのに」

「あんたのおかげで、ロイダが無事に済んだ。本当にありがとう」


 旦那さんがアーウィン様の手をしっかり握りしめて続ける。


「王都に行った後も二人で暮らすと言うんだ。いくらロイダが成人したと言っても傍から見たらまだ子供みたいなもんだ。治安が悪くないとは聞いてるけど本当に心配でならない。あんたからも、俺達と一緒に暮らすように言ってやってくれないか」


 アーウィン様は、迷うように私とヨーナに視線を巡らせた後に、はっきりした口調で旦那さんに言った。


「実は、私も王都に行こうと思っています。私の剣術の腕はこの国でも通用するようです。王都には訓練所も多くあり、師範になるような人物も多く必要とされていると聞きました。仕事を見つける事は出来るでしょう」

「え!」


 私は驚いてアーウィン様を見た。王都でも一緒に暮らしてくれるのだろうか。


 アーウィン様は私の考えを読んだように悪戯を仕掛けるような笑みを浮かべる。


「引き続き、ロイダとヨーナの家に世話になろうと思っています」


 奥さんが『もしかして!』と叫ぶ。


「あんたたち、そう言う事なの?! まあまあ! あんた、異国の人だけど結婚は出来るの?」


 奥さんは私とアーウィン様の仲を誤解したようだ。私は慌てて誤解を解こうと説明したけれど、旦那さんまで私達の仲を決めつけてしまった。


「いいじゃないか、ロイダ、そういう事にしておこうよ」


 アーウィン様が耳元でこっそり言う。どうやら面白がっているみたいだ。アーウィン様が不快じゃないなら、誤解は追々解けばいいだろう。


 私達は、来週の引っ越しについて細かい事を打ち合わせてから帰途についた。


「踏み込んだ事を聞いて申し訳ありません。アーウィン様は家に戻らなくてよろしいのですか? あなたはガイデルのように名のある家のお方じゃないのですか?」


 帰り道、私は勇気を出して聞いてみた。眠ってしまったヨーナをアーウィン様は抱え直す。


「うん? そうだな。本当は戻らなきゃならない。でも⋯⋯戻りたくないんだ。実は家出中でね」

「まあ、それではご家族はずいぶん、心配されているのでは」

「恐らくね」


 アーウィン様の軽い口調や振る舞いは見せかけだと思う。笑顔の裏でいつも周りを鋭く観察して適切な振る舞いをしている。いい加減な人には見えないから、それなりの事情があるのだろう。


「かなり心配はしてるだろうけど、しばらくは大丈夫だ」 

「あの⋯⋯戻る気になるまで、私達と一緒にいて頂けるのですか?」


 思わず飛び出してしまった言葉を後悔する。こんな縛り付けるような言い方は良くない。アーウィン様も、少しだけ驚いたような顔をした。


「一緒にいたいと思われてる、そう受け取っていいの? 本気にするよ?」


 アーウィン様は優しい。ガイデルや仕立て屋夫婦と同じように、私が頼りなくて心配してくれているだけで、本当は王都にまで来るつもりじゃ無かったのだろう。でも、私がそれを気にしないよう気遣ってくれている。


でも。もし本当に来てくれたなら。


「一緒にいて欲しいです。⋯⋯一人でヨーナを守らなければと思っていて、でも本当は少し不安で。アーウィン様が来て下さってから、私はぐっすり眠れるようになりました」

「今まで眠れなかったの?」


 アーウィン様が妙に真剣な顔で聞く。


「強盗も増えていると聞いていましたから、少しの物音でも目が覚めてしまっていました。アーウィン様は強いですから、どんな悪い人が来ても安心です」


 最初に助けてもらった時に一撃で男を伸していた。剣を帯びていない状態でも家に入り込んだ暴漢を素手で倒してくれそうな安心感がある。


「任せてくれ。強盗が来ても、ヨーナが怖がる狼が来ても、俺が一撃でやっつけてやろう」


 軽く笑った後、アーウィン様は足を止めた。つられて足を止めた私をしっかりと見る。


「俺も君達に救われているんだ。一緒にいたいと言ってもらえて嬉しい」


 たぶん、優しい嘘だろう。でも少しだけ、本当の気持ちだったらいいなと思う。


 私達は目を合わせて笑い合い、また歩き始めた。

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