品物が手に入らない町

「ねえ、アーウィンさまは、どこの国の王子さまなの?」


 ヨーナの質問に内心で手を打った。色々と気になるけれど聞きにくいと思っていた。


「あはは、俺は王子じゃないよ。ヨーナが知らないくらい遠い遠い国から船に乗って来たんだ」

「船で? そんなに遠いの?」


 アーウィン様は、お茶の器を置いて考えるように視線をさまよわせた。


「そうだな、遠かったなあ。すごく、すごく遠かったよ」

「どうして、この港で船を下りたの?」

「海に飽きたんだ。それにほら、ずっと船に乗ってると臭くなるだろう?」


 ヨーナがきゃあきゃあと笑う。


「アーウィンさま、とっても素敵なのにとっても臭かった!」

「そんなに?」


 二人で仲良く笑う。


 アーウィン様の赤い髪はとても深く美しい色で、この国ではあまり見かけない。髪と瞳が見慣れない色なだけではない、他の人とはどこか違う空気を纏っている。


(何が違うんだろう)


 驚くほど顔が整っていることだろうか。それとも、砕けた振る舞いの中に見え隠れする上品さのせいだろうか。年齢はガイデルとさほど変わらないように見える。ヨーナの扱いに驚くほど慣れている事も気になる。


 今朝、父が残した試作の服の中から何着か選ぼうと寸法を合わせて、かなり体を鍛えている事も分かった。達人と言われているガイデルと剣を交わしていたくらいだから、かなりの腕前なのだろう。ただの平民とは思えない。


(やっぱり、どこかの貴族かお金持ちのご子息だ。もしかしたら、国にご家族がおありなのかもしれない)


 とにかく、この家に居る事に違和感を感じるくらいに浮世離れした方だ。出来る限り不自由をかけないよう、気を配って身の回りのお世話をした方が良さそうだ。


「アーウィン様、しばらくこの家にいらっしゃるのでしたら、今日は身の回りの物を買いに行きませんか? ここには使い古しのものしかありませんから」


 食器は家族共通で使っていた物しか無いし、身なりを整える道具も父が残した物だけだ。育ちが良さそうなアーウィン様は他人が使った物では気分が悪いだろう。


「お姉さま、今日はお仕事しなくていいの?」


 ヨーナの不思議そうな顔に笑顔で答えた。


「もうすぐ引っ越しをするから、大掛かりなものは引き受けられないでしょう? 小さな物ばかりだから、まとまった時間が無くても出来るのよ」

「ヨーナ、お引越し嫌だなあ」


 それには曖昧に笑って誤魔化すしか出来ない。


「それなら、この町を見て周りたいんだけど案内をお願いしてもいいかな」

「はい、喜んで」


 私が掃除や洗濯などの家事を済ませる間、アーウィン様がヨーナと遊んでいてくれると言う。


「ご面倒をお掛けして、申し訳ありません」

「俺の身近にヨーナと同じ年頃の男の子がいたんだ。小さな子と遊ぶのは慣れてるよ」


 元気いっぱいの男の子に比べると動きは少ないけれど、口が達者だ。幾分か不安は感じたものの、家事に集中できるのは正直に言って助かる。私は、アーウィン様が匙を投げたくなる前に家事を終えられるよう、頭の中で段取りを組み立てた。



 町を歩くと店も住人も減ったと改めて思い知る。開いている店でも品物の流通が減っていて希望の物が揃いにくい。


「申し訳ありません。ほとんど選べませんでしたね」


 何かを買おうと思っても、品揃えが無くて選ぶ事が出来ない。在庫していれば幸いと選択肢が無く購入する事になる。


「アーウィン様がお住まいになっていた町は、大きい所でしたか?」

「ここと比べると、かなり大きいと言えるな。近くにあった港町の貿易額は、この港の全盛期の額に比べて数倍はあった」


 この港も数年前には相当に賑わっていた。ここと近隣の町しか知らない私は、その数倍もある賑やかさを全く想像出来ない。


 文化や習慣がどれほど違うのか分からないけれど、アーウィン様は町も店も興味深そうに観察している。市場に差し掛かかると、より一層目を輝かせた。


「なあ、あれは何だ?」


 見慣れない野菜や果実が多いようだ。私は一つずつ説明した。特に興味を持った食材は購入して今日の夕食に使う事にする。


「アーウィン様の国とは、採れる物が全然違うのですね」


 アーウィン様は苦い顔をして少し笑った。


「どうだろう。俺は厨房とは縁が無く育った。こういう物を学問の観点では学んでいるけれど、食材として並んでいる所を見る機会は無かった。案外、俺の国と同じ物が並んでいるのかもしれないな」


 家に戻ると、買って来た食材の調理過程を見たいと言う。調理人のような手際では作れないと断ったけれど、どうしてもと言うのでヨーナと一緒に見学してもらう事にした。


「すごいな、面白いな!」

「お姉さま、すごい!」


 ただ野菜を切っただけだ。何をしても喜んでくれるので嬉しくなって、いつもより調理を楽しんだ。二人にも手伝ってもらって、笑いながら夕食の支度をした。


 夕食後、ヨーナの文字の練習をアーウィン様が見て下さるというので、私は近くで刺繍の仕事をする事にした。


「君の服の刺繍は、自分で施した物なのか?」

「はい、そうです」


 今日のワンピースには森の木々を刺繍してある。一見すると裾に向かって緑色に変化する染色した布に見えるけれど、実際には細かく木々に生い茂る葉の刺繍を施してある。


「これは、とても時間が掛ったんですよ。一番のお気に入りです」


 アーウィン様が見たがるので、他の服の刺繍も見せた。あまりにうらやましがるので、父の試作品から選んだ白いシャツに刺繍を入れる約束をした。柔らかい葉をあしらった意匠が似合いそうだ。その中に、アーウィン様の髪のような深い赤を咲かせたらどうだろう。頭の中にどんどん図案が湧き上がってくる。


(少しだけ海の印象も入れたいな)


 私は完成したシャツを纏うアーウィン様を想像した。彼の美しさに負けない優雅で華やかな刺繍に仕上げたい。


「楽しみにしているね」

「私も、楽しんで作りますね」


 その日の入浴後、アーウィン様は頭をびしゃびしゃに濡らしたまま、私の前に座った。屈託ない笑顔を見ていると、私がお世話をするのが当然だと言う気がしてくる。


(やっぱり、ヨーナがもう一人増えたみたい)


 三人で寝台に寝転び、ヨーナのために子守歌を歌ってやると、アーウィン様とヨーナの二人はすうすうを寝息をたてた。


 家族が増えたようで嬉しかった。

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