花嫁を飾る刺繍
「ヨーナ、行くわよ。支度をしてくれる?」
「はあい、お姉さま」
ヨーナはふっくらした手で、自分のカゴに何やら色々と詰め込んでいる。私はカゴから転げ落ちそうな物だけ救出しようと横目で見ながら、自分のカゴの中を確認する。
「スカートが一枚と、上着が二枚、ハンカチが、いち、に、さん、四枚。揃ってるわね」
坂の上にあるこの家は町の中心から少し離れていて、多少の不便はあるけれど祖父母も両親もとても気に入っていた。庭から見える海は美しく、裏手の清流が流れる丘から受けられる恵みも多い。もちろん私も愛している。
ヨーナを促して戸締りをすると、二人で手をつないで仕立て屋に向かった。
仕立て屋夫婦は私の父の弟子にあたる人達で、父が亡くなった今では、私に刺繍の仕事を任せてくれる。人が減り始めたこの町でも、まだ食べていけるくらいの仕事はある。
空き家ばかりになった通りを寂しく思いながら坂を下る。以前は両端にぎっしりと店が立ち並び通りは歩き難い程の人で溢れていた。今日はお昼時だというのに、ちらほら知った顔を見るくらいだ。
「ロイダちゃん、ヨーナちゃん、こんにちは」
「こんにちは、雨が止んで良いお天気になりましたね」
「こんにちはっ!」
挨拶を交わしながら町の中心に差し掛かる。さすがにこの辺りまで来ると、行き交う人と肩が触れるくらいには混んでいる。
「今日は着いた船が多いのかもしれないわね」
「たくさん来たかなあ」
この港町は住人よりも船乗りの方が多い。町をふらつく人の中には船で問題を起こして放り出された人や、酒に溺れてそのまま居ついてしまった人など、柄の悪い人間もいる。住人が多い頃には屈強な若者が目を光らせていて大きな諍いは少なかった。住人が減るにつれて少しずつ事件は増えているらしい。
「警備の兵を増やしているが限界がある。町に出るときは今まで以上に気を付けるんだ」
ガイデルにも口を酸っぱくして警告されている。それでも生まれ育った場所なのだから、危ない所とそうじゃない所くらいは分かる。
私はヨーナの手を引いて仕立て屋の扉をくぐった。
「おば様、こんにちは!」
カウンターの奥で生地を断っていた奥さんが、私の声に振り返って笑顔をくれる。
「こんにちは、ロイダ、ヨーナ! ちょっとだけ待っててね」
私は頼まれていた品をカゴから出してカウンターに並べた。頂いていた注文を書き付けた紙を取り出して、品物が揃っている事を改めて確認する。ヨーナはしゃがみ込んで、自分のカゴの中をごそごそと探っている。
ジャキジャキと布を断つ音が響く。元は父の店だった。目を閉じると父がそこで働いているような気がする。布から漂う染料の少し尖った香り、窓から入り込む仄かな潮の香り、少し離れたパン屋から漂う香り。
「お待たせしたね」
目を開けると仕立て屋の奥さんが、にこにこと私の刺繍を確認していた。
「相変わらず、ロイダの刺繍は美しいね。同じ糸を使っても、どうしてもこんなに美しい色合いにならないんだよ。不思議だねえ」
刺繍の達人だった祖母から教わった技が多くある。奥さんにも伝えた事があるけれど、教えの通りにやっても同じようにならないと困っていた。そのおかげで仕事をもらえているのだから、私は父の手先の器用さを受け継げたのだろう。
「引っ越しの準備は順調に進んでいる?」
町のほとんどの人は隣の港町に移住した。移住に掛かる費用は国から援助してもらえるから、この一年の間に知り合いも友人もほとんど皆が去ってしまった。
仕立て屋夫婦は王都に行く事を選んだ。ガイデルの父である領主様は、住民がほとんどいなくなる領地の管理を隣の領主に委託して、王都の王宮で政治に携わると決まっている。領主一家の服を任されている仕立て屋も、この機会に王都に店を構えると決めた。そこに私も連れて行ってもらう。
(ガイデルと離れなくて済む。たまに会える)
仕立て屋が領主一家と一緒に王都に行く、私も連れて行ってくれると聞いた時には、その事が一番嬉しかった。ガイデルの妾になる事は出来ないけど、離れるのも辛かった。今までのような接し方は出来なくても、たまに顔を見れたら十分に幸せだ。
「もう、準備はほとんど済んでいます。身の回りの物は少ないですし、あとは祖父母や両親の思い出の品が少しと、刺繍の道具くらいしか荷物はありません」
来月の今頃は王都にいるはずなのに全く実感が湧かない。
「うちの分と合わせても荷馬車一台で足りそうだね。来週辺りから少しずつここに持っておいで」
「はい、ありがとうございます」
子供がいない仕立て屋夫婦は、私とヨーナを娘のように可愛がってくれている。王都で一緒に暮らそうと言ってくれたけれど、さすがにヨーナが騒がしすぎて申し訳ない。近くに小さな家を借りる予定だ。
引っ越しの細かい計画と、新しい刺繍の仕事の話がひと段落したので、お暇しようとした時だった。
「おかみさん!」
若い女性が店に飛び込んで来た。目を真っ赤に泣きはらし声が震えている。
「ジュディさん、どうしたの!」
いつもの朗らかな小間物屋の看板娘らしくない様子に、奥さんも私も驚いて駆け寄った。
「これ、私、こんな風にしてしまって」
ジュディさんが握りしめていた布を奥さんに手渡した。
薄手の真っ白な布には見覚えがある。先月、金糸と銀糸で刺繍を入れた大判の布だ。婚礼衣装の上から羽織ると聞いていた。
真っ白だった布には、無残な泥汚れがべったりとついている。
「明日が待ちきれなくて、つい取り出して羽織ってみたの。風で飛んで庭に落ちて――」
ジュディさんは泣き崩れた。泥の汚れは落ちにくい。どんなに頑張っても花嫁衣裳として輝くほどの白さは取り戻せない。
奥さんは険しい顔で奥の部屋に駆け込んで行った。奥さんはきっと代わりになる布を探しているはず。
ジュディさんは明日と言った。私は記憶の中から、作業時間が掛らない割には布を華やかに飾れそうな図案を選び出す。手持ちの糸を頭に浮かべる。
「ジュディさん、婚礼場所はどこ? ここを何時に発つ予定?」
ジュディさんが、はっとした顔をして私にすがりつく。
「もしかして、発つまでに何とかしてくれるの?」
「きっと奥さんは布を用意してくれるはずよ。私は、あなたの出発までに出来るだけ華やかな刺繍をする。だから発つ時間を教えてくれる?」
ジュディさんは、ここから少し離れた町の名を言った。そこの神殿での式に間に合うよう、もう少ししたら発つ予定だったという。
「でも、直前に駆け込めれば大丈夫だから⋯⋯今夜中に発てば間に合うと思う」
「あったよ! 今すぐ大きさを整えて端を処理するから」
奥さんが真っ白な布を持ち裁断台に向かった。
(今はまだお昼を回ったくらいよね⋯⋯何とか出来そう)
「ジュディさん、待っててね。あなたの花嫁衣裳に合う、素敵な刺繍をするから。ほら、早く涙を止めないと式の時に顔が腫れてしまうわ」
頷くジュディさんにハンカチを手渡すと、少しだけ微笑んでくれた。
私は大急ぎで仕上げてもらった布を奥さんから受け取ると、ヨーナを急かして走って家に戻った。
「ヨーナ、お願い。さっきのお姉さんに、素敵なお嫁さんになって欲しいの。私が刺繍をしている間、一人で大人しく出来る?」
ヨーナも、大泣きしていたジュディさんを心配していたようで、緊張した顔をして頷いた。
「ご本読んで待ってる」
「ありがとう」
私は仕事用の部屋に籠ると、集中して作業を始めた。
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