関颯太・十一月 第一火曜日
『ごめん、ちょっと遅れるわ』
友達にメッセージを送って、僕は返事を見ずにスマホを閉じる。一緒に歩く恋人は、左手に絡みつくようにして時折僕の顔を見て笑っている。
「奈々美ごめん、そろそろ行かないと」
「もう?」
「うん、ごめんね」
本当はもう遅れているけど、なんて言う必要のない真実は飲み込んで、僕は笑顔を貼り付けた。
奈々美は、僕の恋人は一般的に言葉を選ばず言えば要は都合のいい女だった。
僕と一緒に居る間は、彼女のことしか見ない、彼女に尽くす、その代わり他ではお互いに何をしようと一切咎めない、黙認する。恋人関係なんてただの口約束に過ぎないけれど、僕と奈々美にとってそれは契約とかに近いものだった。
恋人がいるだけで、お互い都合のいい時がある。僕はそれを利用したい。彼女は「僕」というステータスを手に入れることができる。実に合理的で、都合が良かった。
どこをとっても非の打ちどころがなかった僕の、ダメな部分を黒く塗りつぶしてくれるのは彼女の存在だった。
今日、デートの後に合コンに行くことも、彼女はきっと知っていた。予定があるとしか伝えていないけれど、彼女はきっと、知っていて、それで黙認してくれていた。
合コンでどんな女とお酒を飲もうが、そのあとその女の子とどうなろうが、次のデートで僕が彼女の彼氏を演じるだけで、彼女にそれらを咎める権利はない。
僕が合コンに参加している間、逆に彼女が何をしていても、同じように僕に彼女を咎める権利もなく、黙認しない意味もなかった。
煩わしいものを全て取り去った利害だけの関係は心地よくて、世間一般的には違うかもしれないが恋人とはそういうものだと僕と彼女は割り切っていた。
日を重ねるごとに冷たく寂しくなる夜風が頬を擽って、身震いする。まだそんなに遅い時間でもないと言うのに、辺りは不安を煽る暗闇に包まれていた。
隣を歩くのがあの子だったら、少しは寒くなくなるのかなとそんなことが頭に浮かんで、突然頭に現れたその姿に困惑する。
恋人の手が、酷く冷たく感じられた。
恋人と別れて一時間も経たない頃、友人から送られてきた情報を頼りに僕はとある居酒屋に来ていた。
集合時間からは既に二十分ほど過ぎている。
店員に断って、友人の姿を探す。
今日の合コンは同じ大学の、別学部の女の子たちとらしく、友人が所属しているサークルからお互い集めて飲みに行こうという話になったらしい。
もしかしたら、どこかで見たことのある人が来るかもしれない。中には俺がどんな奴か知っている人もいるかも。そう思ったが、特段それが何か足を運びたくなくなる理由とかになることは無かった。
どうせ酒が回ってきたら、口の軽い友人がいつも何故か自慢気に僕のことをべらべらと喋る。
そんな性格の大学生のもとに集まるやつらだから、その事実があるからと言って僕を嫌悪する人は今までいなかったし、むしろ「だから安心できる」と言われて一夜限りの関係を持った女の子だって何人かいた。
それでも、今日の僕はあまり合コンに乗り気ではなかった。
誘われたから仕方なく来たけれど、一軒だけでいいかなとそう思っていた。
もちろん、まさか恋人とのデートを邪魔されたから、なんてそんなわけはない。
分からないが、ただ、何となく。いつも通りのことを考えていると、頭の隅にあの子の顔が浮かんで、それが取れないのが気持ち悪かった。
ぐるりと一周見回して、それでも友人の姿は見当たらなかった。
スマホを取り出すと、友人からメッセージが一件。席の場所の説明だった。どうやらまだ酔いは回ってないらしい。こいつは弱いくせによく飲むから、少し不安だった。
メッセージを読んで、言われた通りの場所に行くと見知ったメンツがいた。
「あ、やっと来た。颯太! 遅いぞ!」
友人が手をぶんぶんと振って屈託のない笑顔を見せる。相変わらず恥ずかしいやつだ。
もう一方の友人も片手を上げていて、俺は何も言わずにそれに返す。
「ここ座れここ!」
バンバンと自分の隣を叩きながら、まだ席まで距離があるのに大声で言う。
料理の並んだテーブルが目に入って、自分が座るべきであろう席の前によく飲みの席で飲んでいる酒が置かれているのを見る。
変なところで気が回るんだよなと思って、僕はそのまま女の子たちの方に視線をやった。
世界が止まった気がした。
全身から汗がぶわりと噴き出したのが分かった。
空調の涼しい風が嫌に敏感に感じ取れて、客の出す音の一つ一つすら聴き取れるような感覚がした。
男三人と、女三人。
ありふれた合コンの風景。
容姿の整った、それでいて遊び心を忘れていないような、手放しで美人だと褒められるような女性が二人。
そしてその横には一際目を引くようなきれいな女性が一人――
そこに居たのは、しずくさんだった。
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