関颯太・十月 第四水曜日
何となく、先週と同じ席に座った。後ろにいたあの三人組は相変わらず授業中だと言うのにひそひそと話していたが、隣にあの子が座ることは無かった。
授業が始まる直前にぐるりと教室を見回したけれど、広い教室の中で彼女の姿は見つからなかった。
もしかしたら死角にいたかもしれないし、たまたままだ来ていなかっただけかもしれなかった。それでもたった一度、グループディスカッションで一緒になっただけの彼女をわざわざ追う必要は無かった。
諦めて目の前の授業に集中しようと思っても、教授の話は右から左へ流れていくだけで集中なんてできるわけがなかった。
なぜ彼女を追ってしまうのか自分でも分からなかった。
彼女は優秀だった。平均的な大学生以上くらいには遊んでいそうな見た目とは裏腹に、授業を真面目に聞くその姿勢にも、ディスカッションでの発言や共に行った作業にも、彼女の勤勉さは潜んでいた。
最初は、ただ優秀な友人に対する感情と同じだと思った。
だが、そうでもないようだった。
マッチングアプリで知り合った女の子と寝ているときも、恋人を抱いている時ですらあの子が脳裏にチラついた。
優秀な人間が隣に居れば、その人に対する感情は妬みとかに近いものだった。尊敬しつつも、その才能を羨み、同じようになりたいと思った。彼女に対する感情はそれとは別だったのだ。
彼女に会うのだと思って、いつもつけているアクセサリーを取った。服装を、いつもより少しだけ軽いものにした。
何故かは、分からない。
ただ、朝、起きて、彼女のことが頭に浮かんで、気付いたらその通りにしていた。
バレたくなかったのかもしれない。自分の本性が。
隠したことのない本性が彼女にバレるのは時間の問題だった。それでも、足掻きたくなったのは、なぜだろうか。
授業が始まって十分ほどが経った頃。教室の後ろの方のドアが開く音が聞こえた。
教授はちらりと視線をやることすらなく、淡々と授業を続けていて、僕も気にすることなんてなかった。
足音がして、こちらに近づいてくるのが分かった。普段なら気にも留めないはずのその音が、自分の鼓動と重なった。
ガタリと椅子を引く音がして、隣に彼女が座ったのが分かった。
思わず隣を見てしまいそうになって、何とか踏みとどまる。
なるべく音を立てないように気遣いながら、彼女は準備を始めた。
僕の感覚が正しければ、この教室は後ろの方だって、今見えている前の方だってそれなりに座席が空いているはずだった。それなのになぜわざわざ自分の隣を選んだのか。くだらないことが頭を支配する。
彼女が準備を終えて授業を聞き始めたタイミングで、ちらりと視線を隣にやった。
視界に移ったその姿は、先週とは少しだけ違った。
まとめられていた髪の毛は下ろされていて、丁寧に仕上げられたメイクは薄く粗も見えた。服も昨日と同じなんだろうと思えるような、ところどころ皴が付いた様子だった。
鼓動が早くなるのが分かった。胸を締め付けられるような感覚。呼吸をすることすら苦しい。
自分の体のことのはずなのに、何も分からずただ苦しかった。
彼女の姿は、いつも僕の家から帰っていく女の子たちの姿とそっくりだった。
真面目に授業を受ける彼女の姿は美しかった。ノートを走る細くしなやかな指。それが残す文字の一つ一つすらも。
ノートを取るのに下を向いて、時折垂れる髪の毛を手で耳にかける。その右手の薬指はシルバーのリングが光っていた。リングなんて、位置を覚えて付けている人の方が少ないだろう。それでも僕は、そのリングの位置が頭にこびりついて仕方なかった。
「いやお前それは……」
授業終わり、友人と二人で飲みに行く約束があって、僕は思わずその日の出来事を話した。あまり言いやすい内容ではないことは確かだが、相手がもう何年も一緒に居る友人で、それにお酒も入っていたから、思った以上に簡単に口からこぼれたのだ。
友人は呆れたような表情でそう言ってから、途中で笑って、言うのをやめた。
「なんだよ」
「……あーいや、何でもない。大変だなそりゃあ」
友人はおかしな笑みを浮かべていたが、あえてそれに突っ込む程の気力は無くて、言及することはしなかった。
いや、もしかしたら、あの後に続く友人の言葉が、心のどこかでは分かっていて、それを聞きたくなかったからなのかもしれない。
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