松下しずく・十月 第三水曜日

 少しだけ、起きるのが遅くなってしまって、朝の準備が後ろ倒しに、教室へ着くのも授業が始まるギリギリとなってしまった。

 普段ならこんなことにはならないのに、と少しだけ悔やんで、私は今にも鳴りそうになるお腹を誤魔化すためにきゅっと口を結んで授業に没頭した。

 大学生になってこんな見た目になって、よく意外だと言われるが、私は大学生にしては真面目な方らしい。

 こうして一般教養の授業でも自分がやりたい好きな授業を取って、毎回必ず出席して真面目に授業を聞き、課題ももれなく提出する。

 これだけの、普通のことが、多くの人はできないらしい。

 自分が稀有な存在だと気づいて、私は誇らしさよりも先に周りに対する嫌悪感を抱いてしまった。

 だからと言って、他人に自分と同じ程度の真面目さを要求するつもりはない。

 この三年間で好きになった同じ大学生の人たちも、みな真面目と言うには程遠かった。むしろ、きっと自分ができないようなことを平然とこなして、それでいて充実していそうなのが羨ましかったのだろう。

 別に、そういうところで好きになったわけではないけれど。


 いつもと違う席に座って、いつも通り授業を受けた。

 毎週座っている場所に座らなかったのは、そこに先客がいたのもあるが、それでもあえてここを選んだのには理由があった。

 隣に、先輩に似ている、真面目そうな人が座っていたからだ。

 あ、似ているな、と思った瞬間、もう私はその人の隣に腰かけていた。

 真面目に授業を受けているふりをして、私は授業中もその人の横顔をちらちらと気にした。とても一言では表せないようなきれいな顔だった。目鼻口がはっきりとしていて、肌は透きとおるようだった。かと言ってアクセサリーをちゃらちゃらと付けたりはせず、控えめなピアスと細くシルバーに光る指輪を一つだけ。

 指輪は、女の人に貰ったのかな、と考える。

 授業はとても真面目に受けている様子だった。私のように、話は聞いているものの実はそこまで真面目なわけではないというのもあるかもしれないけれど、とにかく外から見ただけだととても真剣なその眼差しが、自分に向けられたらどうなってしまうのかと考える程だった。

 真面目そうだったが、同時にだらしなさそうでもあった。

 それこそ、彼女が何人もいそうな。一昨日駅ですれ違ったようなああいう綺麗な人と、一夜限りの関係を持っていそうな。

 だからと言って、それが私の中でマイナス評価に繋がるのかと言われればそうではなかった。きっと、誰しもそういうところがある。

 彼に気が付かれそうになって、咄嗟に授業に意識を戻す。

 ちょうど、教授の話が一段落したところだった。教授はパソコンから離れて少しだけ間を置くと、数秒だけ迷うような仕草をして言った。

「じゃあ、周りの人と四人か五人のグループつくって、ディスカッションしてもらいます」

 どきりとした。隣の彼が気になったけど、もし目が合ってしまったらと思って、誰に見せるわけでもないのに演技をした。


 あれよあれよと言う間に何となくのグループができていた。彼と私、それから近くにいた男の子二人と女の子一人。どうやらそこの三人は友達だったらしくて、私たち二人が入れてもらった形になった。

 意図せず、三対二のような構図になる。

 だが、三の方は最初の挨拶をさっさと済ませるとディスカッションなんて始めるような雰囲気ではなかった。すぐに何か駄弁り始めて、私と彼は蚊帳の外、といった感じだった。

 声をかけようかなと一瞬だけ迷って、すぐにやめた。

 どうせ言ったところで聞かないだろうし、面倒くさがられるだけだ。それに――

「松下さん、でいいかな? 僕たちで話し合っちゃおうか」

 彼の少し困ったような笑顔は、私の心臓を掴んで離さなかった。

 いや、いやいやいや。違う。先輩に似ているだけだ。自己紹介の時から思っていたが、今の言葉で確信した。

 彼は、先輩と声も似ていた。生き写しなんじゃないかと思ってしまうほどに。もちろん、話し方とか所作とか、細かいところで違うのは当たり前だが、目の前に居れば先輩に見つめられているんじゃないかと勘違いするほど。

「あ、うん。苗字だと堅苦しいし、下の名前でいいよ。しずくって呼んで。私も颯太君、でいいよね」

 なるべく意識しないように、私はテンプレートのようなセリフと一緒に笑って見せた。

 彼が少し、目を逸らしたように感じた。

「分かった。じゃあ、しずくさんって呼ばせてもらおうかな」

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