関颯太・十月 第三水曜日
大学の最寄り駅について、電車を降りて腕時計に目をやる。一限の授業が始まる十五分前だった。
このままいつものペースで歩けばちょうど教室に着くころには良い感じの時間になるだろう。
水曜日の一限は、ずっと興味があったが手を出せていなかった内容の一般教養の授業だった。他の大学と比べたことがないから分からないけれど、僕の通う大学は三年生になっても一般教養をいくつか取らなくてはならなかった。
周りの友達はみな楽単がどうのこうのと言うけれど、僕は一年前友達に聞くまで「落単」と混合するくらいにはそういう単位の取り方に興味がなかった。
せっかく高い学費を払って授業を受けているのだから、自分が興味のある授業を受けずに意味なんてあるわけがない。表に出せば生真面目だと揶揄されて友情関係が壊れてしまいそうだったから、僕は意味もなく履修下手を演じるのだった。
スマホが振動して、誰かからメッセージが来たのが分かった。
歩きながらスマホを取り出して、ロック画面を見る。
『今日の夜会えない?』
可愛らしい水色のアイコンと、見慣れない名前の下にはそう書かれていた。
記憶を手探りで追って、ようやくどんな顔をしていたかを思い出す。
一昨日会った人とは違うんだったっけ、なんて思いながら僕は返信をどうしようか迷った。
今日の夜は、予定があると言えばあるし、ないと言えばない。
ただ授業後に、恋人とちょっとしたデートを予定しているだけだった。
特に前々から準備して楽しみにしていたわけでもなく、恋人との予定を断ろうと思えば断れた。
だがその日は何となく。
『ごめんね、会えないや。彼女と予定あるから』
すぐに既読がついて、返信を待つこともできたが僕はそうしなかった。
メッセージアプリを閉じて、通知画面で送られてきた返信を読む。
『そっか。分かった。もし彼女さんと別れた後に時間あったら、いつものホテルの近くで待ってるから』
理解のある女を演じ切れていない様子が、その通知から見て取れて、僕は少し気分が悪くなった。
授業は座席が決まっているわけじゃなかったが、何となくいつもと同じあたりに僕は一人で座っていた。
いつもと似たような空気。周りに座っている人たちにも、見覚えがあった。
ただいつもと少し違ったのは、開始直前に教室へ入ってきた見知らぬ女の子が隣に座っていたことだった。
別にみんながみんな、僕みたいにいつもと同じ席を望むわけじゃない。だが、できれば一人で誰にも邪魔されずに授業を受けたかった僕は、隣に知らない人が座ることがあまり良く感じられなかった。
その子の見た目はチャラそうで、いかにも大学生を満喫しているといったような感じだった。こういう子は大体どこかしらの飲みサーに入っていて、それなりに見覚えがあるものだと思っていたが、案外大学は広い。
見た目に反して真面目に授業を聞く彼女の横顔は端正だった。試行錯誤して研究したのだろうかと思えるほどに、メイクがうまかった。服装も、持ち物も、所作の一つすら、全て計算されているような。
思わず、教授の少し張ったような声色が教室に反響するまで、僕は見とれてしまった。
「じゃあ、周りの人と四人か五人のグループつくって、ディスカッションしてもらいます」
ため息をついてしまいそうになった。
別にディスカッション自体が億劫とか、そういうわけではない。ただこういう一般教養の、学生のモチベーションが全体的に低いような授業でそういうことをすると、確実に時間の無駄になるから。そしてまた結局僕が一人でどうにかする羽目になって、それでいて評価は分配される。何も良いことなんてない。
隣をちらりと見ると、彼女はその端正な顔立ちを崩すことは無かった。パソコンの画面とノート、教室の前の黒板を順番に見るようにしてただ一人で学問をしていた。
僕は声をかけることもできず、ただ彼女の横顔を眺めていた。
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