第3話

 翌日、朝支度をして登校するまでの間も、重々しい気配は瑛太の後を付いて回り、瑛太が教室に入ろうとしたところで、「それでは放課後」と言って消えていった。

 同棲初日から大きく機嫌を損ねさせてしまったことに、瑛太は頭を抱えて机に伏せる。


「うっす瑛太、生きてるか?」


 と、いつも通り亮平が前の席へ座り、軽い挨拶をしてくる。


「スーパー気疲れしてんな」

「はぁ、僕はどうすればいいんだよぉ」

「重症だな」


 亮平は他人事の様に笑った。

 どんな表情でも「キラーン」という効果音が似合う顔に瑛太は苛立ちを覚えながらも、顔を背けた。


「なぁ、瑛太が誰を好きになろうと止めるつもりは毛頭無いけどさ」


 打って変わって真面目な声になった亮平に、瑛太は耳を傾けた。


「今回は鬼月ちゃんのどんなとこが好きなんだ?」

「なんだよ、このタイミングで恋愛面接かよ」

「なんだ恋愛面接って……」


 瑛太は、どの口が……と思いつつも亮平の質問に答える。


「まだ好きかどうか分からない」

「は? なのに同棲してんのか?」

「だから色々あるんだって、事情がさ」

「……まぁいいや」


 亮平は気持ちを飲み込んで瑛太に続けさせた。


「でも、多分好きになると思う……なんて言うか、こんなこと言ったら失礼かもしれないけど……守りたくなる可愛さって分かる?」

「分かる」


 亮平は腕を組んで大きく頷いた。


「鬼月さん、家でも家事全般をこなすんだって……あの身体で……それを僕はぁぁ……!」

「で、なにをやらかしたんだ?」


 頭を抱えて嘆く瑛太に亮平は顔を引きつらせて尋ねた。


「鬼月さんの料理を目の前で吐いた」


 と、亮平が笑いとも絶叫ともとれる声を上げたところで、第三の声が瑛太に掛かった。


「――うわ、最低だね瑛太くん」


 瑛太が顔を上げると、長い黒髪を揺らしながら、ブレザー越しにも分かる巨乳の女子が気怠そうな表情で瑛太を見下ろしていた。

 下野しものカナメ。瑛太達のクラスメイトで亮平に次ぐ二人目の友達。サボり癖がある問題児だ。

 だが、顔もスタイルもよく、ひとたび登校すれば他学生からの注目の的になってしまう。瑛太の学校ではツチノコみたいな存在だった。


「カナメか、珍しいな」

「うん、亮平くんも久しぶり」

 カナメは屈託の無い笑顔で亮平へ手を振った。それを見たクラスの男子たちがどよめく。


「お、おう……久しぶり」


 だが、当の亮平はカナメと目を合わせようとはせず、気まずそうにした。


「何しに来たんだ? 明日雨が降ると困るんだけど」


 瑛太は亮平を尻目に、カナメへ皮肉を投げかけた。


「伊勢先生に呼ばれちゃってねー。ウチも来たくは無かったよ。てかナチュラルに失礼だな」


 カナメは言いながら瑛太の隣の席に腰を下ろした。


「でー? 瑛太くん、彼女が出来たんだって? ごめん盗み聞きしちゃった」

「彼女じゃないけどね」

「彼女じゃないのに同棲してんの? エロガキだなー瑛太くんはぁ」


 カナメは笑いながら瑛太の髪の毛をクシャクシャにした。瞬間、教室の全方位から刺すような冷たい視線が瑛太へ集中する。

 この殺気がカナメに近づいたことに対してか、同棲していることに関してか、瑛太には分からなかった。


「色々あってさ、僕も変だとは思ってるよ」


 余計なことを言って二人を危険に巻き込むのを避けるため瑛太は深くは話さなかった。


「まぁ、どんな理由があろうと女子が作った物を吐くのはダメだよね」


 カナメの指摘に亮平は便乗して笑った。


「文字通りゲロまずかった」

「そーやって本音を言うから女子にもモテないっていい加減に気付いたら? あと二日くらいしたらどうせエッチな誘い入れる気だったでしょ」

「て、テレパシー……?」


 瑛太の頭に二方向から呆れた手刀が落とされる。


「だって、あの子ナンデモするって言ってたし」


 瑛太は子供の様に抗議の視線で二人を見た。


「あんま鬼月ちゃんに無理させんなよ? 気の毒で仕方がないわ。こんな奴のどこがいいんだ」


 亮平が半目になって瑛太を睨んだ。


「ん? 鬼月……鬼月……え? 瑛太くんの彼女って、あの鬼月楓彩ちゃん?」

「カナメも知ってるんだ。あと彼女じゃないから」


 瑛太はカナメの方へ向いて意外そうな顔をした。


「少しだけね、新入生に片腕が無い子がいるって噂だけは聞いてたから」


 カナメは途端に無表情になり、数秒の間、瑛太の顔を見つめた。


「な、なに」

「いや? お互いに大変そうだなぁって思ってさ」


 カナメは意味ありげな笑みを浮かべると、担任の教師が入ってくるのと同時に席を立ち、先生に揶揄いの手振りをしてから教室から出ていった。

 悪目立ちするカナメをクラスの男子は緩んだ目で追っていたが、一部の女子たちからは嫉妬の視線を向けている。

 女子が人気者の亮平に近づけば敵が沸くのは、もはや自然の理だった。


「……なぁ、亮平?」


 カナメの姿が見えなくなり、教師が朝のHRを始めたところで瑛太は亮平に声を掛けた。


「なに?」

「お前もカナメといい加減ケリつけろよな。挟まれる僕の身にもなってくれ」

「……まぁ……そうだよなぁ」


 亮平は気の抜けた返事をする。

 だが、これ以上話題が掘り下げられることは無く、HRが過ぎていった。


 

 深夜二時。

 肌寒い空気が流れる中、始発前の小田原駅前は寝静まっていた。

 高校生である瑛太と楓彩は私服に着替え、点々と歩き回っている人の目を気にしながら小田原駅前をの居酒屋や飲食店が軒を連ねる街を巡回していた。

 普段、部屋で着ているトレーナーで出てきた瑛太に対し、楓彩は上下ともに黒いジャージにショルダーバック、バットケースという、瑛太からすればロマンに欠ける服装だった。


「本当に現れるの? ここまで人がいなかったら、出るものも出ない気がするけど」

「だからこそです。狙いが一人だけなら姿を現しやすいでしょう……と思ったんですけどね」


 楓彩は不審そうにあたりを見回している。

 瑛太はため息を吐いて立ち止まり、道にあるベンチへ腰かけた。


「あのさ、補導されるだけだから帰らない?」

「おかしいですね……上ヶ丘さん、お腹空いてますか?」

「そんなに」


 瑛太の返答に、楓彩はムスっとした。


「やはりですか……上ヶ丘さんの食欲が無いと、エサとして機能しません」


 楓彩に言われた通り、瑛太は朝から何も食べずに腹を空かした状態で臨んでいたにもかかわらず、緊張が食欲を上回ってしまっていたのだ。


「変に緊張すると食欲が湧かないっていうか」

「そうなんですか? それは先に言っておいてください。では少しだけお腹に入れますか?」


 楓彩はショルダーバックを胸元へ回し、中からラップに包まれた黒い塊を取り出した。


「終わった後に、上ヶ丘さんの空腹が限界に来ると思っておにぎりを持ってきておきました」


 瑛太はおにぎりと呼ばれる黒い塊をじっと見つめた。


「ど、どうかしましたか?」

「いま、食欲が一気に失せた気がする」

「どうしてですかっ!」


 頑なにおにぎりを拒み続ける瑛太に楓彩はムスっとした表情を浮かべて深いため息を吐いた。


「ですが、困りましたね……出直しますか?」

「食欲を沸かせればいいなら、今思いついたこと試してみて良い?」


 瑛太はスマホを取り出して横に持ち、動画を再生し始めた。楓彩は背伸びをして横からスマホの画面をのぞき込む。


「何です? これ」


『はい、今回の食材はこちら! 伊勢海老、ということでね、今回はこちらを捌いていくっ!』


「魚とか捌いて食べる動画」


 瑛太はスマホの画面から目を離さずに答えた。


「そのままですね」

「まぁ、これ見てると高確率でお腹が空く」

「そうなんですか? 一見解体しているだけに見えますが」

「それが本来の料理ってもんでしょうが」


 瑛太の反論に楓彩は再び口を尖らせた。


「では、食欲が湧いてきたら教えてください」

「了解」


 楓彩は瑛太から離れ、電柱に背中を預けて目を閉じた。

 数分後、瑛太のスマホから微かに揚げ物を作る心地良い音が流れ始めた時、異変は起こった。

 瑛太が不意に顔を上げると、先ほどまで人影すらなかった道に点々と黒い靄の様な物が立ち始めていた。


「……鬼月さん」


 瑛太の声に楓彩はゆっくりと目を開け、周囲を見渡した。


「え、もうですか? てっきり数時間はかかるものかと……」

「いや、この動画の破壊力がすごくて」

「なんというか、さすがは上ヶ丘さんですね」


 あきれ顔を浮かべる楓彩に対し、瑛太はそこはかとなく恥ずかしさを覚えながら、咳払いをした。


「では、私の後ろに」


 直ぐに楓彩の目付きは鋭くなり、バットケースを足に挟み、右手でジッパーを開いて日本刀の柄を露出させた。


「この中に親玉がいるの?」


 瑛太は取り囲まれる前に、楓彩の側へ移動し、次々と現れる黒い靄を見つめた。

 黒い靄は街灯が照らす光に当たると、実態を見せ、それぞれが人の形を成してゆっくりと歩み寄ってくる。


「おそらく眷属でしょう」

「眷属って……」

「食欲に囚われ、タマホウシにされた人たちです。タマホウシは欲の大きさと身体の大きさが比例しますから……」

「この中にはいない……」

「その通りです」


 楓彩は説明しながら足に挟んだバットケースから抜刀し、切っ先を重々しく持ち上げて上段へ構えた。

 抜け殻となったバットケースは瑛太へ預けられ、楓彩は一歩前へ前進して腰を落とした。

 皮と骨だけになった人型のタマホウシたちが、何かを求めるようにうめき声をあげ、手を伸ばしながらこちらへ近づいてくる。

 全てのタマホウシが瑛太だけに注目し、磁石に集まる砂鉄のように楓彩のことは見ていなかった。


「待てよ? タマホウシにされた人たちってことは、元は人間ってこと?」

「今はもう違います。弔いは心だけに留めて、解放してあげます」


 楓彩は表情一つ変えずに言った。

 人間の成れの果てを目の当たりにした瑛太は戦慄する。


「上ヶ丘さんはそのまま動かないでください」


 楓彩が鋭く呼吸をした瞬間、旋風が巻き上げ、楓彩の姿が眩む。


「うおっ!」


 瑛太は思わず身を屈め、タマホウシたちの首が刎ねられていく光景を見た。まるで、風が刃となってタマホウシたちの間を駆けていくようであった。


「すげぇ」


 一刀一刀が鮮やかにタマホウシの首を薙いでいく姿に瑛太から驚嘆の声が漏れる。

 瑛太の周りを二週ほど疾走して戻ってきた楓彩が、風を巻き起こして静止した。

 街路樹が騒めきたて、辺りを静寂が包む。


「今日は外れですかね」

「あ、そうなの?」

「撤収します。食欲を押さえてください」

「無茶言うな」


 静寂の中、吹き抜けた風が瑛太と楓彩の産毛を逆立たせた。

 瑛太と楓彩は会話を止め、風が吹いてきた暗闇へ視線を送る。


「……なんだ、今の」

「すごい気配ですね」


 いつになく低くなった楓彩の声に、瑛太の鼓動が早まる。

 街灯は灯っているのに、地面や建物が変色していくように黒へ染まっていく光景に、瑛太は目を疑った。

 やがて、影は瑛太たちの足元まで侵食し、商店街の街は黒に飲まれてしまった。


「ま、マジかよ」


 瑛太の右足が一歩下がったその時、影の中から先ほどよりも大勢の眷属が現れ、群衆となって向かってくる。


『美味そうなのがいるな……』


 暗闇の中から瑛太と楓彩を覆いつくすような、老獪じみた声が響き渡った。


「え」


 前方、進行するタマホウシたちの足元で二つの眼光がユラユラと揺れている。

 得体の知れない何かが、水面下でこちらを凝視していた。


「あなたが親玉ですね」

『小娘……お主は我慢強いようじゃな。澄ましていても腹の虫がうるさく聞こえるわい』


 嘲笑の声が腹の底に響く。


「お、鬼月さんお腹空いてたの?」

「空いてませんっ!」


 今にも殺しにかかりそうな眼圧で睨まれた瑛太は肩を竦めてさらに一歩下がった。


「そ、そんなに怒らなくても」


 楓彩すぐに刀を上段へ構え、右足を引き、踵を持ち上げて地面につま先を突き立てた。


「あなたがこの街を食い荒らしている犯人で間違いないですね?」

『儂を討つ気か? その寸足らずな身体で』

「問題はありません。あなたは私には勝てませんので」


 楓彩の放つ殺気がピリピリと瑛太の肌を刺した。


『かっかっかっ……若いな――もう遅いわい』


 影の中で揺れる眼光が消えると、瞬時に瑛太と楓彩の足元に移動してくる。


「なっ!」

「――上ヶ丘さんっ!」


 楓彩は叫びながら瑛太の胸を突き飛ばし、自身は軽やかに跳躍した。

 瑛太は仰向けに吹き飛ばされながら、影の中から跳躍する巨大な鯉の姿を目撃する。

 周りに立ち並ぶ建物と比較しても鯉の大きさは非常識で、大型トラックくらいであれば一口で飲み込めるであろう巨体が、上空へ逃げた楓彩に迫った。

 欲の大きさと身体の大きさが比例するという楓彩の言葉に則るのであれば、目の前にいるのはこの世の食欲の権化だろう。

 楓彩は空中で痩躯をよじり、一回転した勢いで刀を水平に振るった。

 交わった刃と鱗が火花を散らし、楓彩の身体はコマが当たって弾け飛ぶように、大口を回避する。

 その後、激しく回転しながら落下し、楓彩は地面をバウンドした後、瑛太の近くで体勢を立て直して静止した。


「大丈夫⁉ 鬼月さん⁉」

「大丈夫です……ですが、マズいですね」

「え?」

「あの鱗、硬すぎて刃が通りません」


 と、無表情で地面の中へ戻っていく鯉を見つめながら言う楓彩の額を鮮血が伝う。

 鋭利な背びれが見え隠れし、楓彩を挑発するように地面の中を魚影が漂っている。


『食欲とは生物の生存本能、それを否定することはできんよ』


 男性の年老いた声が地の底から響き渡る。


『じゃが小娘……お主は痩せていて美味しくないな……何者だ』

「鬼月です」

『鬼月? かっかっかっ、生き残りがまだおったか……疾く失せろ』


 直後、鯉の背後を歩いていた有象無象が一斉に跳躍し、雨の様に瑛太と楓彩へ降り注いだ。

 楓彩は瑛太の周りをまわりながら眷属たちを切り払う。

 一歩でも下手に動けば楓彩の刃、もしくはタマホウシの毒牙に切り刻まれるという重圧が瑛太の身体を強張らせた。


「上ヶ丘さん! 一時撤退します! 相手の戦力を見誤りました」


 楓彩は刀を振りながら叫んだ。


「撤退って、どこへ!」


 瑛太の叫び通り、四方八方は眷属たちが取り囲んでいた。だが、瑛太にはそのすべてが瑛太ではなく、楓彩へ群がっているように見えた。

 途端に、悪寒が瑛太の髄を震わせる。


「鬼月さ――」


 瑛太が事態に気づかず戦い続けている楓彩を呼び止めようとしたその時、大型の眷属が繰り出したミドルキックが、楓彩の無防備な左脇腹を捉える。

 嫌な音をたてながら楓彩の痩躯は付近のシャッターへ打ち付けられた。


「――かはっ!」


 体勢を崩した楓彩へ駆け寄ろうと瑛太が一歩踏み出すと、再び足元で眼光がユラユラと輝き始めた。


「マジ……か」


 ゆっくりと、だが、着実に瑛太の足が地面へと埋まっていく。


『お主は欲深いな』


 しわくちゃな笑い声が瑛太の内臓を揺るがし、心臓を鷲掴みにした。

 暗闇の底から大口が迫る。

 逃げ出そうと足に力を入れたが、自分を中心に広がる影を前に逃げ道など見つかるはずもなかった。

 地中の奥底から迫りくる振動が強くなった瞬間、瑛太の背中が小さな手に突き飛ばされる。


「――え」


 地面が大口によって消え去る刹那、瑛太が見たのは何かを叫びながら手を伸ばす楓彩の姿だった。

 直後、巨大な鯉が跳躍し、楓彩の姿を攫う。


「は?」


 轟音と共に鯉は地面の中へ消えていき、すぐにヒレが姿を現す。


『んがぁぁ! なんだこれは! 不味い!』


 瑛太はただ茫然と、巨大な鯉が喚き散らしながらのたうち回っている姿を見つめていた。


『失せる……失せてしまう……食欲がぁぁ』

「お、鬼月さん……?」


 困惑する瑛太をよそに、鯉は影の中へ逃げるように戻っていき、漂っていた重圧が嘘のように消え去った。

 それから数秒で明け方の静けさが商店街を包み込んだ。


「いや……え、鬼月さん?」


 立ち上がろうとした瑛太の足が無造作に転がっていた日本刀を蹴る。

 日本刀を拾い上げ、確かに重みを感じながら、再度周囲を見回した。


「鬼月さん」


 ただ、瑛太の声だけが静かな空気を揺らした。

 戦闘の爪痕だけを残して、街は朝を起き始めていく。

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