第4話

 同日。

 日が昇り、街が起き始めた頃には小田原駅前の商店街で地面陥没というニュースが、小見出しではあったが全国的に報道されていた。

 原因はガス爆発や、地盤の劣化、様々な憶測が並べられていたが、誰一人として少女が怪物と戦っていたという話はしなかった。

 この三日間の出来事がまるで夢であったかのように、瑛太は呆然とニュースを見ていた。


「腹……減ったな」


 瑛太はよろめきながら立ち上がり、冷蔵庫を開ける。

 異臭によって反射的に冷蔵庫から遠ざかった。


「臭っ」


 恐る恐る中身を除くと、複数の皿に乗った暗黒物質が作り置きされていた。


「まったく……どうやって処理すんだよこれ」


 ため息を吐きながら、他に食べられるものを探したが、瑛太の冷蔵庫に入っていた全ての食材が暗黒物質に変えられており、瑛太は目を丸くした。


「テロだろこれ」


 だが、瑛太は怒りを感じなかった。

 冷蔵庫の前で膝を突き、目に染みる異臭の中で込み上げる涙をこらえようと口をきつく結んだ。


「何の役にも立たなかったな……」


 別に役に立とうと思ったわけでは無かった。はじめて彼女の戦闘を見た時から瑛太には付いていける自信は無かった。

 それでも、片腕だけで得体の知れない何かと戦い、必死に生きている彼女の足手まといになってしまったという事実が瑛太の肩に重く圧し掛かった。


「何が守りたいだ……!」


 膝から力が抜け、冷蔵庫の前で項垂れた。

 ただ、吐き出した言葉が憎かった。


『続きまして速報です。神奈川県小田原市で相次いで行方不明者届けが出され、今朝から二十名もの行方不明者が――』


 瑛太は耳に入ってきた声で顔を上げ、テレビの前に戻った。


『警察は今朝から捜索を開始するとともに事件の可能性も視野に入れ、捜査を進めています』


 瑛太には犯人が誰であるか一瞬で分かった。それと同時にまたしても心臓を鷲掴みされる苦しい感覚に襲われる。

 警察が動き出したら被害が拡大する……楓彩が言っていた言葉だ。

 事件解明に直結する情報を持っている人間が自分だけだという事実を知った瑛太の膝は震えていた。

 蛇睨まれたウサギの様に冷や汗をかいて硬直していると、ガラステーブルにおいてあった瑛太のスマホが鳴り、通知が表示された。


『今日学校サボりか?』


 亮平からのメッセージだった。

 スマホに表示された時刻を確認すると、既に朝のHRが始まっている時間だった。

 こんな時に学校へ行っている場合ではないと、亮平へサボる旨を伝えようとしたが、不意に楓彩の言葉が脳裏を過り、文字を打つ手を止めた。


伊勢いせ先生……」


 伊勢いせまこと。学年主任だが、楓彩の言葉が正しければ、タマホウシの存在を認知している人間の名前だった。



 理由を得た瑛太は楓彩が残したバットケースを持って学校へ向かった。

 誰も居なくなった昇降口で瑛太を待ち受けていたのは、白衣を着た長髪パーマで鋭い目つきの男、伊勢真だった。

 伊勢は全てを把握している様子で瑛太を化学準備室へ招き、瑛太は何も言わず頷いて後を付いていく。


「伊勢先生、全部知ってたんですか?」

「今は過ぎたことを話している場合じゃないだろ?」


 手狭で埃っぽい化学準備室はダンボールや人体模型で散かった実験台が置いてあり、薬品の匂いで満たされた落ち着かない空間だった。

 瑛太は鞄とバットケースを実験台の上に置き、伊勢と向かい合うように腰を下ろす。


「このままだと警察を含め、一般人にも被害が拡大する」

「そこは鬼月さんから聞いています」

「その鬼月は『』に食われた……で間違いないな?」

「ぐら?」

「業界用語みたいなものだ。気にするな」


 楓彩が食われたことが事実であると分かると、伊勢はため息を吐いて、頬杖を突いた。


「面倒なことになったな」

「他に戦える人はいないんですか?」

「欲求を持たない人間なんて他にいると思うか? 赤ん坊でももっと貪欲だぞ」


 伊勢は再び深いため息を吐いた。


「欲求を持つ人間が奴らに触れたらそれだけで侵食されて終わりだ。侵食されない鬼月じゃなきゃ……」


 瑛太は伊勢の言葉を聞きながらとある可能性があることに気がついた。伊勢も同様に言葉を止めて、瑛太の方を向いて目と口を大きく開いた。


「「もしかして、まだ生きてる?」」


 伊勢と瑛太の声が重なる。


「いやでも、侵食されてないにしても、あんなのに喰われて無事でいるかどうか……」

「生きてる」


 伊勢は瑛太の弱音を一蹴した。


「タマホウシは人を殺すことは無い。。それにグラは鬼月を食べた時、何か言ってなかったか?」

「……たしか、不味いって」

「やはりな、タマホウシは意外とグルメだからな、鬼月はグラに侵食されず、どこかに弾かれているかもしれん」


 伊勢の話を聞くにつれて、瑛太の顔に光が灯り始める。


「だが、問題はお前が刀を持っていることだな」

「え?」

「いくら鬼月と言えど人間だ。血は出るしスタミナは消費する。あいつの場合はハンデもデカい。おまけに、グラは異物を全力で排除しようとするだろうな」


 伊勢は難しい顔をしてと実験台に置かれたバットケースを交互に見つめた。


「良いか? 上ヶ丘」

「はい?」

「時間の問題だ。鬼月の生き死にはお前が握っている」

「は? なんで僕? 伊勢先生がどうにかしてくれんじゃないの⁉」

「出来るならどうにかしている。お前は鬼月に選ばれたんだろ? なら何かあいつにも策があるはずだ」

「え、えぇ……」


 希望は見えたが、瑛太の顔は不安一色に染まった。

 というのも、瑛太の身体を縛り付けていたのはタマホウシに対する巨大なトラウマだった。


「あんなのを見た後でまた戦いに行けって言うんですか?」

「誰が戦えと言った」

「え」

「喰われに行け。で、侵食される前に鬼月を見つけてどうにかしろ。その刀があればあいつも打開できるかもしれん」


 伊勢は「以上だ」と言って立ち上がった。


「伊勢先生は何すんの?」


 瑛太は顔を引きつらせながら尋ねた。


「こっちはこっちでやる事がある。今騒ぎになっている行方不明者をどう言い訳するか考えなきゃならん。難しいことは大人に任せておけ、若ぇもんはがむしゃらに命でも張ってろ」


 伊勢はそう言い残して希望に満ちたにやけ顔を浮かべて準備室から出ていった。


「あんたそれでも教師かよ……」


 瑛太が教室に入ったのは昼休みになってからだった。

 遅刻をして誰かに声を掛けられることも無く自分の席に座って頭を抱える。


「なんだ、やっと来たと思えばこの世の終わりみたいな顔して」


 前の席で野球部連中と談笑しながら昼食を摂っていた亮平が、腰を捻り瑛太に声を掛けてきた。


「マジで終わらせてやろうか」

「勘弁してくれ」


 瑛太は亮平の爽やかなキョトン顔を見てさらに深いため息を吐いた。


「なぁ、別に鬼月ちゃんが悪いって言うわけじゃないけどさ? 瑛太には無理なんじゃないか? お前日に日に顔色が悪くなってんぞ」

「あ?」

「いや、気を悪くしたら申し訳ないけどさ、やっぱり互いに負担だと思うぞ?」

「正論かぁ……今は勘弁してくれよ」

「瑛太が逃げたところでオレは責めないぞ?」

「別に逃げたいわけじゃ……」

「また恋愛相談でもなんでも乗ってやるからさ。元気出すところから始めようぜ?」


 亮平は背後の野球部員に話しかけられながら、「ちょい待ち」と言って瑛太から目を離すことは無かった。


「お前さ、僕のこと結構好きだろ」

「まぁな、面白い奴だとは思ってるよ」

「ったく……自分の恋愛もままならねぇ奴が相談とか言うな」

「ははっ、これは手厳しい」


 瑛太と亮平は互いの顔を見て軽く吹き出す。


「気を遣ってもらって悪いけど、まだ続けてみるよ」

「そうかい」

「うん。鬼月さん、僕に迷惑かけるだろうからって、お詫びに『なんでも』するって言ったんだよ」

「なんでもって、なんでもか?」

「意味は分かって無いだろうけどね」

「……まさかお前」


 真面目な顔をして考え込んでいる瑛太に対して、亮平は身を乗り出した。


「まだ鬼月さんに『なんでも』をしてもらってない」

「うわクズだなぁ。でも、んなことだろうとは思ってたけどな」


 罵る亮平の顔は楽しそうに笑っていた。

 瑛太もまた亮平に笑顔を返す。


「ほら、取り合えずこれでも食えよ。なんも持ってきてないんだろ?」


 亮平は甘食とあんぱんを瑛太の机に置いてきた。


「甘い奴ばっかじゃん」

「瑛太なら文句もお礼も言わずに食うだろ?」

「……」


 瑛太は菓子パンを包むビニールに手を伸ばそうとしたが、伸ばした手を握りしめて留まった。


「いや、今日は遠慮しておく」

「食欲無いのか?」

「いや、あってもらわなきゃ困るんだよ」

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