第2話

 一夜明けて、学校ではすぐに三階の空き教室が荒らされたことが話題に上がった。

 合わせて、瑛太のクラスでは美人な美川明日実が自主退学したことで、口々に言い合っている。

 瑛太は机に突っ伏して、クラスの喧騒に耳だけを傾けていた。


「おっす、瑛太。相変わらず死んでんな」


 瑛太が放つ負のオーラを突破して話しかけてきたのは中崎なかざき亮平りょうへい

 高身長、筋肉質の茶髪ながら、優男風の有体に言えばイケメンだった。

 野球部の次期主将で彼女候補多数。彼なりに悩みはありつつも、人生快走中の男だ。


「お前は一回、死んでくれ」


 というのが瑛太の率直な感想だった。


「ははっ、今は死にたくねぇな」


 瑛太の悪態を軽く受け流した亮平は前の席に腰を下ろした。


「今日、カナメは?」


 亮平は瑛太の隣の席へ視線を向けながら尋ねた。


「僕が知ってると思うのか? いつも通りサボりだろ?」


 亮平は「そうか」と薄っすらと安心したような表情を浮かべて、瑛太へ視線を戻した。


「で、瑛太はまた悩みごとか?」

「ちょうどいい、お前に聞きたいことがある」

「なに。昼飯は分けねぇぞ」

「一年生にさ、片腕が無くてバットケース持ち歩いてる子、いるだろ? あれ亮平のとこのマネージャー?」

鬼月おにつき楓彩かえでか」


 亮平が彼女の名前を知っていることに瑛太は驚きもしなかった。さすがは亮平というのが正直なところだった。

 亮平は呆れた表情で振り返って瑛太の机に肘を置いた。


「お前さ、美川先輩のことは残念だったけど、切り替え早すぎねぇか? 先輩とは良い感じだったじゃん、何があったんだよ」

「いや……僕もよく分からない」

「そっか、まぁ切り替えが早いのはお前の良いところでもあるか」


 と、亮平は無理やり納得して鬼月楓彩の話へ戻った。


「鬼月さんとはどういう関係なんだ?」

「別に野球部のマネージャーじゃないぜ? でもさ、野球に興味あるのかと思ってマネージャーに誘ったんだよ」

「で?」

「私が入ったら皆さんに迷惑がかかると思いますって、逆にこっちが気を遣われた」


 亮平は肩を竦めて笑った。

 瑛太が元々抱いていた印象通り、鬼月楓彩と他学生との間には距離があるようだった。

 彼女が背負っているハンディキャップと向き合うのには多少なりとも勇気が必要なのだ。

 などと考えている瑛太へ、亮平が心配そうな顔を浮かべる。


「なんだよ、黙り込んで」

「え、あぁ……」

「まぁ、止めはしないぞ。だけど、相手を悲しませるようなことだけはすんなよ」


 亮平はそう言って眩しい笑顔で瑛太の肩を叩いた。


「それ、お前の経験談か?」


 瑛太の指摘に、亮平は顔を引きつらせて項垂れた。


「お前って時々本当に鋭いよなぁ……」

「僕は亮平の恋愛相談に乗る気は無いからな」


 亮平のため息を最後に会話が切れる。

 朝のHRを前に朝練をしていた生徒たちが続々と教室の中に流れ込んでくるのを見ながら、瑛太は再び話しかけた。


「あのさ、亮平」

「今度は何だよ」

「鬼月楓彩さんと同棲することになった」

「ははっ、ウケる……」

「……」

「……マジ?」

 


 放課後、部活へ向かう亮平と別れた瑛太は寄り道することなく、昇降口にたどり着いた。

 昨日の事件から丸一日経っても、綺麗な美川明日実が怪物に豹変した光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。


「あ、上ヶ丘さん」


 瑛太は下駄箱から靴を取り出しながら、声のする方へ首をひねる。

 件の少女、鬼月楓彩がペコリとお辞儀をしながら出口に立っていた。膝元にはスクールバッグとパンパンに膨らんだトートバッグ、そして例のバットケースが提げられていた。


「別にこんなところで待ってなくてもいいのに、変な噂が立っちゃうよ?」


 瑛太が言うように、下校していく生徒たちからチラチラと見られていた。

 一つは片腕の無い楓彩に対する興味や疑問などの刺すような視線。二つ目は瑛太に対する冷ややかな視線だった。


「ここのほうが確実に会えると思ったので」


 と、楓彩は周りの視線をものともせず微笑む。


「なるほどね」

「今日から色々とお世話になります! 何かご要望などあれば何でも言ってくださいね」

「おっけ、まずは声のボリュームを下げてくれる?」


 瑛太と楓彩を見る視線がより強くなった。おまけに、ひそひそ声が至る所で聞こえ始めた。


「場所を変えよう」

「はい」


 楓彩は自分だけ別の世界にいるかのように元気な声で返事をした。

 


 神奈川県小田原市。

 瑛太達が通う高校は国道一号線と酒匂川が交わる場所にあった。

 西湘バイパスを流れる車の音とその奥から押し寄せる潮騒を左に聞きながら、瑛太と楓彩は住宅街の中を歩いていた。

 しきりに荷物を重そうに持ち直す楓彩を右後ろに見ながら、瑛太は声を掛けられず、微妙な距離感が隔てていた。


「上ヶ丘さんって学校では結構、噂になってますね。色々な女性の方と関係を持っているとかで」

「あーうん」


 楓彩は純粋な興味の視線を瑛太へ向けた。瑛太は逃げるように興味もない住宅の外壁を眺めていた。


「まぁ、ほとんど上手く行かなかったけどね」

「そうですか」


 楓彩はやけに弾んだ声で言った。

 しばらくの沈黙を挟んで、瑛太が思い出したように口を開く。


「あのさ、鬼月さん?」


 瑛太は右後ろで歩く楓彩へ向かって半身になって話しかけた。


「ご家族は同棲なんて許してくれたの?」

「はい、お父さんは快く許可してくれました」

「……」


 瑛太は、どんな親だよ……と思ったが、思うだけに留めておいた。


「まだよく理解してないんだけど、なんで僕なの?」


 振り返った瑛太の顔を楓彩はキョトンとした顔で見上げた。


「えっと、上ヶ丘さんはタマホウシに狙われやすいというのは、昨日お伝えしましたよね?」

「そんなこと言ってたっけ?」

「もう、自分のことなんですから、しっかりしてください」


 楓彩は口をへの字にした。


「どういう理由かハッキリしませんけど、上ヶ丘さんはタマホウシに狙われやすい体質なんです。恐らくは貪欲なんだと思われますけど」

「あれ、いま悪口言われた?」

「今この瞬間もタマホウシは上ヶ丘さんのもとへ集まっています」

「ま、マジ?」


 楓彩は動揺する瑛太をよそに、視線を上空へ向け、瑛太も釣られるように目を上へ向ける。

 無数のカラスが瑛太と楓彩を取り込むように電線から見下ろしていた。


「タマホウシの姿は様々です。どんなものでも、欲を持つ生物であれば、寄生してしまいます。宿主の気付かないうちに脳細胞を乗っ取り、欲望を吸いつくし、身体をも書き換える。もとは地下から現れた細胞生命だと聞いています。それ以上は分かりません」


 楓彩は説明しながら、足を止めて、おもむろに手にしていた荷物を地面に置いた。


「でも、なんで急に? 最近はそんなのに襲われなかったけど」


 やはり荷物が重かったのだろう、と思った瑛太は彼女の荷物に手を伸ばそうとした。

 だが、楓彩の手が瑛太の目の前に伸びて瑛太を静止させた。


「ん?」

「分かりません。追々調べようとは思ってます」


 次の瞬間、瑛太の目の前を横切った一羽のカラスが楓彩の手に掴まれる。

 けたたましい鳴き声を上げながら、黒い翼をバタつかせてもがき始めた。


「知られていないだけで、全国では原因不明な失踪事件や事故が多発しているんですよ」


 と、柔らかい表情のままカラスを握り潰した。

 ギョッとした瑛太に呼応するかのように、カラスたちは一斉に羽ばたいて飛び去ってしまった。


「ですが三年前を皮切りに、タマホウシは何故か、ここ小田原市を目指して少しづつ移動を開始したんです」


 握り潰されたカラスはしばらく痙攣したあと、次第に泡へと変わっていき、空気中へ霧散した。

 瑛太は殺伐とした光景を黙って見届けていた。


「私は去年から調査のために小田原市にやってきました。ビックリしましたよ。まさかあそこまでタマホウシを寄せ付ける人間がいるとは思ってもいませんでした」


 と、楓彩は瑛太を見上げて微笑む。バカにしている様子でも関心している様子でもない表情に、瑛太は困惑する。

 逃がすように楓彩の左袖を見た。


「……それはそうと、先輩が自主退学っどういうこと?」


 瑛太は思い出したように尋ねた。


「恐らく伊勢いせさんの手回しでしょう。我々としてもパニックは避けたいところなので」


 楓彩は汚れた手を振りながら笑顔で話した。

 瑛太は伊勢という名前を聞いて少し驚く。

 伊勢いせまことという男性教諭は瑛太たちの学年主任であり、素っ気なくはあるが、ある程度の支持を持っている先生だった。


「上ヶ丘さんが狙われていることを教えてくれたのも伊勢さんですよ?」


 そんな身近な存在に守られていたことに、瑛太はまた驚愕する。


「僕はこれからどうなるの?」

「私がタマホウシを退治するので、上ヶ丘さんにはエサになってもらいます」

「ははっ、屈託の無い笑顔」

「大丈夫です、上ヶ丘さんの身は私が守りますから。絶対安全です。そのための同棲です」



 瑛太は住宅街の中に建つアパートで一人暮らしをしていた。

 玄関と台所が直結しており、奥に広がる五畳の間取りは一人で暮らすのに適した広さだが、二人となると少々手狭さを覚える空間だ。

 もともと、ベッドやガラステーブルで半分を持っていかれているのに対し、部屋の中央にはソファクッションが鎮座しており、より窮屈になっていた。


「まぁ、少し狭いけど」


 瑛太は楓彩を座らせるためにソファクッションを慣らした。


「よかったらこれに座って」

「失礼しますね」


 と、荷物をソファクッションの脇に置いて、腰を下ろした。


「あっ」


 楓彩は沈みながら短い悲鳴を上げた。

 直ぐに目を丸くしてソファクッションを指で突き始める。


「どう? 座り心地は」

「すごいです。なんだか落ち着いて……はっ! これはダメなやつです! 人をダメにするやつです!」


 楓彩は緩みそうになった表情をキリっと引き締めて起き上がろうとした。


「ふんっ……あれ? よっ!」


 手足を揺らしながら腹筋運動を始めた楓彩を瑛太は笑い堪えながら見下ろす。


「何してんの?」

「お、起き上がれません」

「そんなに気に入った?」

「ち、違います! はまっちゃったんです!」

「ははっ、鬼月さん可愛いね」

「笑ってないで助けてください!」


 続けていたら泣き出しそうな楓彩を見かねた瑛太は心惜しい気持ちを押さえて、手を差し述べた。


「ソファクッション……恐ろしいです」


 引っ張り起こされた楓彩は一言呟いた。


「楽でいいと思うけど」

「そうですけど……私はこれ嫌いです」


 楓彩はそう言って頬を膨らませ、床に正座した。


「上ヶ丘さんも座ってください。これからのことをお話しなければなりません」


 瑛太は楓彩に向き直ってソファクッションに腰を下ろした。


「……これからか」

「上ヶ丘さんのためにも、このまま座して待つわけにはいきませんので、作戦をお伝えします」

「まぁ、僕の家が戦場になるのも嫌だし」


 楓彩は右手で器用にスクールバックを開けて、中から模造紙を取り出して、ガラステーブルの上に広げた。

 描かれていたのは簡易的ではあるが、小田原市内の地図だった。所々にメモのような文字が掛かれており、三ヶ所に星マークが描かれている。


「タマホウシにも社会性があります。この地図はここ二年でタマホウシを種別化し、分布したものになります」

「種別化?」

「はい、大きく分けて三種類。食欲、睡眠欲、そして性欲に分類します。各種類には統率する親となる存在がいるので、これを叩きます」


 と、楓彩は地図上の星マークを指さした。


「じゃあ、僕は親玉をおびき出すためのエサってわけ?」

「はい。上ヶ丘さんに夢中になっているタマホウシを私がこの国王丸くにおうまるで斬りつけます」


 と、楓彩は脇に置いてあったバットケースに触れる。

 豹変した美川明日実と戦い、とどめを刺した日本刀だ。

 昨日の光景がフラッシュバックし、瑛太は冷や汗を流した。


「その刀、普通のとは違うの?」

「はい。タマホウシは欲を吸い取るというのは先ほどお話しましたよね? この刀はそんなタマホウシの細胞が練り込まれています」

「へ、へぇ」


 瑛太は自慢気に話をする楓彩を遮らないように、適当な相槌を打った。


「欲の塊であるタマホウシを切りつければ、確実に致命傷を与え、殺すことが出来ます。まぁ、人間が触れたらたちまち廃人になりますけどね」


 笑顔で怖いことを言い放つ楓彩。

 瑛太は無言で不安な視線を楓彩の顔、左肩へ向けた。


「不安なのは分かります。けど、協力してくれたら私のできる範囲でお礼もします」

「お礼って?」

「上ヶ丘さんが望むものを極力差し上げようと思いますが……金銭などでも構いませんので」

「いや、お金は別に……」

「それでは私に何かできることがあれば」

「それも……」


 瑛太は再び楓彩の身体を見て、言おうとしていたことを飲み込んだ。

 楓彩は瑛太が気まずそうに口を閉じたのを見て表情を曇らせる。


「あの……やっぱり不安ですか?」


 左袖を掴んで呟いた。瑛太から目線を外し、模造紙に視線を落とす楓彩を見て、瑛太は取り繕うように身を乗り出した。


「あっ……いや、その……」


 だが、かける言葉が見つからなかった。

 数秒の間、互いに気まずい空気を味わった。


「ま、まぁ、何かやって欲しいことや、欲しい物があったら、言ってください。私、なんでもしますから!」


 と、楓彩は微笑みを浮かべて、話を続けた。

 なんでも、という楓彩の言葉が瑛太の脳内で何度も再生された。色々な妄想が膨らむ瑛太だったが、楓彩の左袖が視界に入るたびに幻想に靄が掛かり、楓彩に対して生まれた劣情を振り払った。


「まず、私たちの目標はここです」


 楓彩の指が一つ目の星を差した。

 瑛太は気を取り直して模造紙に注目する。


「……駅前じゃん」

「はい、小田原駅前にある商店街や遊戯施設、ここでは時々人が忽然と姿を消すという噂があります」

「噂なんだ」

「表向きは。……ですが、確実に人は消えています」


 瑛太は難しい顔をして楓彩の話に質問を挟んだ。


「じゃあなんで騒ぎにならないの? 人がいなくなったら警察は動くでしょ」

「はい。警察が動き出します。ですが、警察が動けば被害は拡大します」


 楓彩はキッパリと瑛太の言葉を切り返した。


「私の、私たちの役目は警察が動く前に、騒ぎの元凶であるタマホウシを討伐することです」

「なんで? 警察に任せちゃダメなの?」

「警察の方にも『欲』はありますから。少しでも欲がある人間はタマホウシに太刀打ちできません」


 瑛太は楓彩の発言に疑問を覚え、そのまま尋ねた。


「鬼月さんには欲ってないの?」

「そうですね……無いと言ったら自信はありませんけど……あまり欲しがらないようにしています」


 どこか不自然に感じた瑛太だったが、疑問が形にならず、口を閉ざして視線を逸らした。


「話を戻しますが、私も三人以上を守れる自信はありません。ですから……」

「はいはい、僕がエサになって被害を極力小さくしようってね」

「言い方は悪いですが、その通りです。ですが、上ヶ丘さんであれば他を寄せ付けない貪欲さで、犯人をおびき出せると私は踏んでいます」


 褒めている雰囲気で楓彩は瑛太の顔を自信ありげな笑顔を浮かべたが、瑛太は全く嬉しくなかった。


「はぁ……不安すぎて腹が減ってきた」

「ふふっ、では今日からお邪魔になるので、私が何か作りましょうか?」


 瑛太は「悪いよ」と断ろうとしたが、既に楓彩はやる気に満ちた表情を浮かべていた。

 楓彩は優雅に立ち上がり、トートバックの中からエプロンを引っ張り出した。


「鬼月さん、料理できるの?」

「はい、家では私が家事全般をこなしているので、可能です」

「そ、そうなんだ?」


 ますます楓彩の家事情が気になる瑛太だった。

 楓彩は慣れた手つきでエプロンを着ると「冷蔵庫、失礼しますね」と冷蔵庫を開いた。


「ふむふむ……タマゴがあれば何でもできますね」


 冷蔵庫の中からタマゴや野菜を取り出すと、自身に満ち溢れた表情で台所に立ち、フライパンを手に取る。

 瑛太は同世代の女子が制服姿でキッチンに立つ姿を見て、人知れずロマンを感じていた。

 と同時に、楓彩のたくましい横姿に感激さえ覚えていた。


「なんだかんだ、同棲最高かも」


 程なくして調理が始まり、楓彩は迷いなくフライパンの上で食材を躍らせる。


「で、何を作ってるの?」


 瑛太の質問に対して、楓彩は微笑みを返す。


「楽しみにしていてください」



 数分後、楓彩は自信ありげな笑顔でテーブルの上に皿を置いた。


「で……何を作ったの?」


 皿の上には得体の知れない何かが乗っかっていた。

 生物が焦げたような刺激臭が漂っており、先ほどまで形を成していたタマゴや野菜は跡形もなかった。


「タマゴと野菜の炒め物です!」

「『痛めつけ』物じゃなくて?」

「お父さんからは好評を頂いてますよ?」


 瑛太は暗黒物質と楓彩の笑顔を何度も交互に見た。

 臭いと見た目は酷いが、味に一縷の望みを掛けて、瑛太はドロッとした塊を箸で持ち上げる。


「い、いただきます」


 口に入れた瞬間、瑛太は舌が焼き切れるような苦みに襲われ悶絶した。


「ぶほっ! ゲホゲホっ! オエェェ!」


 息をするたびに口の中に広まる異臭がより一層吐き気を催させる。

 こんな反応をしては失礼だと、分かっていても押し寄せる吐き気を押さえることが出来なかった。

 片腕で料理をしている彼女が頑張ってくれたから吐けないという気持ちと、今すぐに吐き出したい気持ちのが鎬を削っていた。


「か、上ヶ丘さん?」


 不安そうな表情をする楓彩の顔に瑛太は申し訳なさを覚えたが、


「ごめん鬼月さん、これマジで無理オエェェ!」


 楓彩の料理は瑛太の本音と胃の中の物を容赦なく吐き出させた。



 その後、泥の様に重苦しい空気が流れる中、ハンバーガーをデリバリーして夕食を取った。

 瑛太は台所に残された暗黒物質の処理をどうしようかと考えながら、ハンバーガーをリスの様に頬張る楓彩の横顔を見つめる。

 瑛太は生まれて初めて心底詰まらなさそうにハンバーガーを頬張る女子高生を見た気がした。


「あのさ、鬼月さん?」

「なんですか」

「えっと……そうだ、タマホウシの親玉を叩くのはいつ行くの?」

「明日の夜です。ですから、明日は満腹状態にならないように気を付けてください」


 楓彩は冷ややかな声音で言った。


「え、なんで?」

「上ヶ丘さんはエサですので、極力食欲を増大させた状態で臨みます」

「な、なるほどね……」


 先ほどよりも更に重い沈黙が瑛太にのしかかり、楓彩の無言が反論を許さなかった。

 その後も何度か質問をしようとしたが、楓彩は素っ気ない態度を取り続け、気が付けば就寝の時間になっていた。

 楓彩は瑛太が風呂から上がった時も歯を磨きながらテレビを見ている時も、石造の様に正座したまま、動かなかった。

 同棲初めての夜、寝る準備に差し掛かった時も瑛太と楓彩の間には大きく厚い壁が立っており、瑛太が感じていたロマンは微塵も残っていなかった。


「えっと……鬼月さん、ベッド使う?」

「結構です。寝込みを襲われる可能性もありますから、上ヶ丘さんは寝れるときに寝てください」

「鬼月さんは寝ないの?」

「はい」


 楓彩は瑛太の心配をよそにバットケースを傍らにリビングの入り口で正座し、静かに目を閉じた。

 楓彩が目を閉じた瞬間から、部屋の中をピリピリとした産毛が逆立つような殺気が漂い始める。針金一つの物音でも今の楓彩は立ち上がって刀を抜くと、瑛太は息を呑んだ。


「ごめん、やっぱ怒ってる……よね?」


 瑛太の質問に、楓彩は無言を返した。

 その後も少しの間、楓彩の返答を待ってみたが、返ってくるのは沈黙ばかり。


「……」

「……」

「……」

「いや寝れるかっ!」


 戦々恐々としたのも数十分の事で、ベッドの上で横になっている内に眠気は増大していき、返って楓彩が作り出した静寂が瑛太を安眠へ誘ったのだった。

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