第18話
秋は掃除機をかけ終えると、綺麗になった床を眺めた。やっぱり掃除をした後の部屋は気持ちがいい。
掃除機を物置にしまい、再び美波の部屋へと入ると、秋はベッドに倒れこんだ。
スマホで時刻を確認すると、祝勝会まではまだ時間がありそうである。
そこで再び立ち上がると、一階に降りて今日の成果を確認した。秋は一日かけて家のいたるところを掃除したのである。短い間ではあったが、秋に初めて監視の目が無い暮らしを提供してくれた家だった。だから、せめて綺麗な状態で返せるようにと思ったのだ。
水回りや家具の裏まで念入りに確認したけれど、我ながらよく掃除できていると思う。
最後に玄関を見に行こうと、秋はリビングの扉に手をかけた。そのとき、昨日の優音の姿が浮かび上がってくる。昨日の出来事に関しては自分でもまだよく分かっていなかった。自分の気持ちを的確に言い表す言葉が見当たらない。でもどこか清々しさのようなものを感じているのは事実だった。
優音には幸せになって欲しい。彼女は必要以上に自分を責めていた。昨日の話を聞いて、秋はそう感じている。しかし、それを指摘するのは自分の役目ではないのだと達観している自分がいた。どうかこれから、良い人と出会って自分を受け入れられるようになって欲しい。ずっと隣にいて、寄り添ってあげられるような人を見つけて欲しかった。
悔しさや寂しさのような感情も当然抱えているけれど、秋はもうあきらめることが出来ている。もともと、諦めるのは得意なのだ。
今は切り替えて、祝勝会を楽しむことに神経を集中させよう。赤木は焼肉に行くと言っていた。秋は焼いた肉を食べたことはあるが、当然焼肉に行ったことはない。赤木によると、自分で肉を焼いて食べるらしいが、あんまり想像がつかなかった。素人でも、肉を上手く焼くことが出来るかどうかも不明である。
でも、だからこそ妄想は膨らんでいき、気づけば涎をたらしそうになってしまう。
そんなこんなで秋は玄関の確認も終えると、最後に家中の床を水拭きした所でちょうどいい時間になった。
秋は赤木に言われた通り匂いの付いても良い服装ということで、ジーパンにシャツというラフな格好に着替える。
そこでお腹が鳴った。それを合図に秋は部屋を出る。そして階段を降り、玄関を外に開いた。
視界に差し込んで来る夕日が、久しぶりのように感じられる。
周囲に警護係の人の姿は見えなかった。事前に家を出る時間は伝えておいたので、気を使ってくれたのかもしれない。
秋は家の鍵を閉めると、待ち合わせ場所へと向かって行った。
通学路の途中にある交差点に、赤木の姿があった。赤木はワイドパンツに分厚めのパーカーという格好である。夕方とはいえ、最近はかなり気温が高い。秋は半袖のTシャツで快適に過ごせるくらいなのに、暑がりの赤木が長袖を着てくるとは思わなかった。
でもクラスでの集まりということもあり、服装に気合が入っているのかもしれない。
赤木はスマホを眺めていたが、秋が近づくと気が付いて片手を上げた。
秋は美波の体を小走りで進ませる。
「体調は大丈夫か?」
赤木が聞いてきた。
「うん。一日休んだから、今はもう問題ないよ。ごめん、昨日のスポーツ大会いけなくて」
「謝るなよ。もともと二日目は美波の種目はなかったわけだし。結果的に美波のサッカーでの活躍もあり総合優勝できたんだから、誰も文句は言えねぇよ」
「そうだね。僕も、総合優勝できてうれしいよ」
それから秋は、赤木の案内で焼肉店へと向かった。辿り着いたのは、全国チェーンで学生の財布事情にも優しそうな食べ放題のお店である。
駐車場には、すでにクラスメイト達が何人か集まっていた。制服姿ではない恰好を見るのは初めての人が多く、服装が違うだけでこれほど印象が変わるのかと驚かされる。みんな、それなりにお洒落で、Tシャツで来てしまったことが悔やまれた。
やがて人数が揃うと、全員で店内へと流れ込んでいく。予約をしっかりしていたようで、スムーズに席へと案内された。三十人近い人数がいるため、座敷の部屋一つが貸し切り状態となる。六つの机に、それぞれ仲が良いメンバーで固まって座った。
秋はサッカーに出ていたクラスメイトと同じテーブルに着く。赤木は秋の目の前に座った。
秋は注文を赤木に任せ、やがて飲み物が到着したところ乾杯をすることになる。
クラスメイト達の間で誰が乾杯の音頭を取るのかという探り合いが始まった。みんな近くの人と誰が良いか推薦し合っているが、意見がなかなかまとまらない。
やがて、今回のスポーツ大会で一番活躍した人が乾杯の音頭を取るべきだという意見でクラスが団結した。
その直後、みんなの視線が美波へと集まるのを、秋は感じた。
「えっ」
秋は助けを求めるように、赤木の方を見た。しかし赤木は、クラスメイトの声を代弁するように大きな声で言う。
「確かによ、一番激戦区のサッカーで準優勝出来たのは美波のおかげだよな」
それに、多くのクラスメイト達が頷くのが見えた。みんなグラスを片手に掲げ、美波の方をじっと見ている。
美波は戸惑いつつ、小声で赤木に聞いた。
「何て言えばいいの?」
すると赤木は腕を組んで考えこんだ。
「そうだな、とりあえずこういうのはノリと勢いが大事だ。例えば、お前らのおかげで優勝できて最高だぜー、って叫べば何となる」
赤木は我ながら名案だというように頷いた。
「本当に?」
「あぁ、乾杯の音頭ってのはそんなもんだ」
そこで秋は仕方なく美波の体を立ち上がらせる。より一層期待の目を向けられていることに、緊張してしまう。
秋は一度深呼吸をすると、自身のコーラを高く掲げた。大事なのはノリと勢い。そうやって自分に言い聞かせて、大きく息を吸い込む。そして吸い込んだ息を何倍にもして吐き出すように、秋は叫んだ。
「お前らのおかげで優勝できて、最高ぜぇぇーーー‼」
直後、空気が凍り付いた。みんな目をぱちくりさせて、美波を見ている。ただ一人赤木だけが、うぉーと叫び声を返した。
秋はその瞬間、頼るべき人を間違えてしまったことを理解する。何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が火照り始めた。秋は今ほど施設に戻ってしまいたいと思ったことはないかもしれない。
早く座りたいのだけれど、みんなの視線はまだ美波を捉えたままである。
そこで秋は仕方なく、蚊の鳴くような声で呟く。
「か、かんぱーい」
自分でも驚くほど弱々しい声だった。だが、クラスメイト達は安心したように、
「かんぱぁーい‼」
と返し、直後それぞれのテーブルで和気あいあいと話し始める。秋はやっとほっとして、席に着くと赤木を睨んでみた。
しかし赤木はまだ腕を組んでいて、自らが生み出した乾杯の音頭の名案ぶりにひたっているようである。
秋の中で、いつか赤木を何かしらでこき使ってやることが確定した。
そんな大事故を引き起こしたものの、無事に祝勝会がスタートする。
次々と運ばれてくるお肉を、主に赤木が中心となって焼いていった。なんともいえない、食欲をそそるような匂いがあたりに充満し始める。肉を焼く小気味が良い音と、クラスメイト達の笑い声が合わさってとても楽しい雰囲気が作り出されていた。
やがて、焼けてきたお肉を赤木がみんなの小皿に分け始める。美波の皿にも、程よい色合いのカルビが置かれた。
秋はそれを恐る恐る箸で掴むと、特性だというタレにつけて口に運ぶ。直後、刺激的な旨味が口の中いっぱいに広がっていくのを感じる。施設の中では、稀に高級なお肉を食べる機会があった。しかし、そのお肉とは全く違う美味しさに、秋は一瞬で心を奪われてしまう。高級なお肉は、味わって食べなきゃとプレッシャーを感じたのを覚えている。しかし、目の前のお肉はそんなことを考えていることさえ煩わしくなるような、本能的にがっつきたくなる味だった。
その後秋はトングを借りて肉を焼いてみたり、サイドメニューを吟味したりと焼肉を最大限楽しんだ。
そして食べ放題の時間も終盤に差し掛かったころである。
「アイス取りに行こうぜ」
赤木がそう言って立ち上がった。秋も美波の腰を浮かせてそれに続く。
座敷の部屋を出ると、空気感が一気に変わった。他のお客さんたちも盛り上がってはいるが、美波のクラスのような純粋な明るさはあまりないように思われる。秋はそれが少し誇らしかった。
アイス食べ放題のコーナーに向かう途中、秋はそれとなく焼肉に来ている人を観察してみた。たいていはカップルか友達同士で来ていると思われる若者がほとんどである。だがなかには、店内にも拘らずニット帽にサングラス、そしてまだ料理が来ていないからかマスクをつけている夫婦らしき中年の男女もいた。
面白いなぁと思いつつ歩いていると、美波の体はアイスのコーナーまで辿り着く。さっそく赤木は色んな味のアイスをカップに詰め込み、虹色を作っていた。
秋はバニラと抹茶の二色に留めておく。しかしそのとき、秋のカップに銀色のトングが差し込んできた。
「せっかく食べ放題なんだから、こういうのは食べたもんがちなんだよ」
そう言って赤木に、チョコレートとブルーベリー味のアイスを追加され、美波のカップには四色の半球がせめぎ合っていた。
アイスで口の中をリフレッシュした後、赤木がラストオーダー直前に頼んだお肉をなんとか胃の中に放り込み、焼肉は無事終了した。
秋は満腹で、すぐには動けそうにない。だが、不満は全くなかった。こんなに食べたのは久しぶりだが、とても幸せな時間だったように感じる。
そして祝勝会の終わりが姿をちらつかせ始めて、寂しさのような感情が沸き上がって来た。秋はこの時間をもっと味わっていたい気がしたけれど、注文用のタブレットに残り時間がカウントダウン形式で表示され始める。
やがてその数字が三分を切った所で、それとなくクラスメイトの一人が立ち上がった。それを合図に、みんなそれぞれ帰りの支度を始める。秋もそれに倣って席を立った。
クラスの代表にお金を渡して店を出ると、もわっとした熱気が頬を包む。赤木は食べているときもずっと分厚いパーカーを羽織っていて、今では額に汗を浮かべていた。
やがてクラスメイトが全員店から出てくると、祝勝会は解散となる。みんな、別れのあいさつを交わしながらそれぞれの帰路へと散っていく。空はもう完全に暗くなっていた。
そこに赤木がやって来る。
「俺たちも、そろそろ帰るか」
「うん」
そうやって秋は返事したけれども、本当はまだ帰りたくなかった。そこで秋は言う。
「ちょっと散歩がてら、遠回りして帰らない?」
「おう、いいぜ」
赤木はすぐに承諾し、二人は家とは反対方向に向かって歩き始めた。大通りの脇にある細い歩道を二人並んで歩く。
「炎、ありがとう」
秋は気が付けば、声を出していた。
「なんだよ、いきなり」
「いや、なんとなく感謝を伝えておこうと思って」
もうこれで会うのは最後になるかもしれないとは言えなかった。もし言っていたら赤木はどんな反応をしただろうか。想像すると、ちょっと笑いそうになってしまう。
照れくさくて誤魔化してしまったが、赤木には本当に助けられてばかりだった。秋が外の世界で友達を作れたのも、サッカーの楽しさをしれたことも全部赤木のおかげなのだ。今もこうして心の中の炎が燃えていて、笑っていられるのは赤木が薪をくべてくれたからである。
やがて二人は脇道へとそれた。そこは住宅街のようで、左右には一軒家が並んでいる。車の音に交じり、どこからか水の音が聞こえてくるため近くに川があるのかもしれない。
脇道に入ると、車どおりもなくなり、街灯の数も減ったため静かで暗い道がずっと続いていた。
秋と赤木は特に喋る話題もなく、黙って歩き続ける。でも気まずさは全くなくて、むしろ周囲の風景も相まり、エモーショナルな時間が過ぎ去っていくのを感じた。
「あのよ」
そのとき、赤木が唐突に美波に話しかける。
「何?」
「先生とかとも話して、そろそろ言ってもいい頃だと思うんだけどよ………」
赤木は足元を見ている。何かに躊躇して口籠っているということは何か言いにくいことなのだろうか。
「その、ずっと黙っていて申し訳なかったが、ずっと言うなって斎恩先生に釘を刺されていたから、そこは許してほしい」
いったい赤木は何を言おうとしているのだろうか。彼がこれほど何かに言い淀んでいる所を秋は見たことがなかった。秋はそれとなく赤木を観察してみる。
赤木はずっと下を向いたまま、遠くを見ているように思えた。その表情は決して柔らかくはない。薄い街灯の光に照らされて、その表情には黒い影が浮かんでいる。
そのとき後ろから車がやって来る音がして、秋は美波の体を端に寄せた。その車はかなりスピードを出しているらしい。タイヤがコンクリートに擦れる音が、次第に大きくなってきた。
危なっかしいなと思いつつ、秋は美波の体を振り返らせる。すると、車の正体は自販機に入れるペットボトルを運ぶための小型トラックだった。
小型トラックは、F1を目指しているかのように猛スピードで秋たちに向かってくる。
赤木も異変に気が付いたのか、二人して足を止め出来るだけ住宅側に身を寄せた。
やがて小型トラックが美波達を通り過ぎようとした頃、キーッと甲高い音が静かな住宅街に響き渡る。その音と同時に、小型トラックが急停止し、運転席と助手席のドアが勢いよく開いた。
そのとき赤木が隣で叫んだ。
「逃げろっ!」
秋もそこでようやく状況を理解する。トラックから降りてきたのは、作業着姿の二人組だった。
秋は慌てて美波の足を動かそうとする。しかし、作業着の男の方が素早かった。美波は二の腕をがっちりと掴まれてしまう。
秋はそのゴツイ手を引き離そうとするけれど、その度に男の指が強く食い込むだけだった。
赤木ももう一人の、作業着姿で頭に白いタオルを巻いている男と格闘している。作業着の男は赤木に容赦なく蹴りを入れていた。しかし赤木は適度な距離を保ち、冷静にそれを交わしている。やがて男は蹴りから拳に攻撃手段を移したが、赤木は頭を逸らし相手のストレートを冷静に避けきった。
赤木はなかなか格闘のセンスがあるようである。その構え方やフットワークから赤木が素人ではない事は、秋にも分かった。
それに対して秋は、さらに手首までもがっちり相手に掴まれてしまい、腕をひねり上げられる。電気椅子とは違う、感じたことのない痛みを覚えたが、とっさに足の裏で相手の鳩尾あたりを思いっきり蹴った。喧嘩をしたことのない美波の蹴りがどれくらいの威力だったかは分からないが、男が一瞬腕の力を緩める。
その隙に秋は捻じれていた美波の腕を戻し、相手の手から引き抜こうとした。
しかしもうちょっとの所で相手の手に力が戻る。秋は腕を後ろに引っ張りながら、相手の脛や腹に蹴りを入れていく。しかし、相手は全て見えているようで、当たってはいるけれど効いている感覚は全くない。
そんなこんなで、秋と筋肉質な作業着の男との美波の腕の引き合いは膠着状態に入った。やがてジンジンと引っ張られている腕の筋肉が内側から痛み始める。
「やべっ」
そのとき、赤木の方から声が聞こえた。ふと、視線をそちらに向けると赤木はこっちを見て突っ立っている。何がやばいんだと思った直後、美波の腹に鈍痛が走った。そしてすぐに、肩がコンクリートを打つ鈍い音がする。
赤木と闘っていた頭にタオルを巻いた男が、美波に蹴りを入れたのだ。秋は自分が蹴られたことを理解するのに数秒かかった。
男は赤木をすぐに倒せないと判断すると、美波の方に加勢してきたのである。
タオルを巻いてない方の筋肉質な男が言った。低くがさついた声である。
「おい、やりすぎるなよ。こいつは丁寧に扱えとの指示だ」
それにタオルを巻いている方が答えた。こっちは若そうな声である。
「いいのさ。雇主に言われたのは、ターゲットは殺すなということだけだ。多少傷つけても問題ない」
そう言うとタオルの男は、倒れこんだ美波の腹を踏みつけた。再び鈍痛が走り、美波は声にならない嗚咽を漏らす。
そこに赤木が走ってきて、タオルの男にタックルを仕掛けた。男は倒れこみはしなかったものの、美波から足が離れ、数歩先まで赤木に押し込まれてしまう。
そして、赤木対タオルの男の第二ラウンドが始まった。赤木は重そうなパーカーを羽織って、汗をかいている。それにも関わらず、彼は軽快なステップを踏んでいた。
そこで筋肉質な作業着男が美波に手を伸ばし抱え込もうとする。その手を秋は振り払い、必死の抵抗を見せた。
美波の腹部はまだ痛みが引いておらず、呼吸がしにくいけれど、不思議と体は秋の思い通りに動いてくれる。秋は寝転がった状態で、男の脛を集中的に蹴った。最初の方はなんともなさそうにしていた男だったが、やがて美波の蹴りを嫌がるように足を逸らし始める。
秋は今がチャンスだと思い、もう一度正確に狙いを定めて脛を蹴った瞬間に、筋肉質な男の手を避けつつ立ち上がることに成功した。だが、逃げ出すよりも一歩先に男の手が伸びてきて美波のお腹を抱え込むように掴む。
男は相変わらずの腕力で美波を引き寄せようとするけれど、足に力が入っていないのは明らかだった。秋は焼肉で蓄えたエネルギーを呼び起こし、必死に踏ん張る。すると徐々にではあるが、体が前進し始めた。
このままいけば振り切れる。秋はそう確信して、さらに足に力を込めた。
「ったく、このままじゃ埒が明かねぇ」
美波の前方で赤木と闘っているタオルを巻いた男が、声を上げる。すると美波の後ろからも声がした。
「こっち、も、このまま、じゃ、やばそうだ」
筋肉質な男は足に力を入れるので精いっぱいのようで、言葉がとぎれとぎれである。
そのときだった、美波を押さえつける力がするりと抜けて、体が前方へと投げ出される。ついに筋肉質な男が限界を迎えたようだった。直後、ドサッと床に男が倒れこむ音が背後から聞こえてくる。
「おい、大丈夫か」
そう言って、タオルを巻いた男は後ろを振り返った。その瞬間、赤木の素早い蹴りがタオルを巻いた男の脇腹を直撃する。一瞬の隙をついた早業だった。
タオルを巻いた男は、その蹴りが効いたようで片膝をつき体を丸める。
「今だ!」
赤木が美波の方を向いた。秋は頷くと、赤木の横を通り、走り始める。
「こうなった、ら、仕方、ねぇ」
タオルを巻いた男がわき腹に手を当てながら、息を切らしつつも言った。
「おい、それは使うなって命令では?」
それに対し、筋肉質な男はようやく立ち上がって言う。秋の耳にも会話は届いたけれど、「それ」が何を指すのか考えている暇はなかった。ただ必死に、美波の足を動かすことしかできない。
その直後、背後から荒々しい声が聞こえてくる。
「邪魔だ、小僧」
声の主はタオルを巻いた男のようである。どうやら赤木が、美波を追って来ようとする二人を足止めしようとしてくれているらしい。
「そっちは本命ではないでしょう?」
そのとき、筋肉質な男の声が風に乗って聞こえてきた気がする。その声は先ほどまでの温和な雰囲気とは違い、狩りをする肉食動物のような声だった。
「あぁ、そうだけどよ………」
その声の変わりように、タオルを巻いた男も驚いたようで、戸惑いつつ言葉を返した。
「なら、殺してしまっても問題ないな」
不気味な声が、美波の耳に届いた。それを聞いて、タオルを巻いた男が肯定の相槌を打ちながら笑い声を上げる。
その直後、二発の轟音が静かな夜の住宅街に鳴り響く。
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