第11話
勝夜の乱入により一騒ぎあったものの、美波の方はスポーツ大会に向けて、順調に準備が進み始めた。
そこで秋は、意識を美波から雫に移す。雫の方の三組は、五組とは違ってスポーツ大会は楽しむ方針に決まったことは確認済みだ。そのため三組は五組のように真剣に作戦会議をしている人は少なく、みんな参加する種目が決まると、友達と雑談を楽しんでいた。
雫もついさっき種目が決まり、それを書記係に報告をして席に着く。すると、先に種目が決まっていたのであろう優音が話しかけてきた。
「何にしたの?」
「ソフトバレーかな。他の二つはガツガツしそうなイメージだけど、ソフトバレーなら楽しめそう」
「ほんと⁉私もソフトバレーにした。あーでも男女別だから一緒には出来ないか」
「そうだね」
優音は相も変わらず屈託のない笑顔を向けてくる。秋は雫の顔を優音の方へと向けた。すると、目が合ってしまう。優音は雫と向かい合うとさらに笑みを強めた。
しかし秋は何と声を掛けたら良いのか分からず、しばらく無言で見つめ合うことになってしまう。
次第に恥ずかしくなってきたのか、頬を赤らめた優音が慌てて視線を逸らした。そして嚙みそうになりながら、早口で言う。
「里奈ちゃん、すごく可愛いよね」
「里奈ちゃん?」
「ほら、前で書記頑張っている女の子」
そう言われて秋も視線を教壇の方へと向ける。すると里奈ちゃんは、真剣な眼差しで紙を覗き込みシャーペンで何やら書き込んでいた。確かに言われてみれば可愛くないわけではないけれど、優音がなぜ突然そんなことを言い出したのか分からない。
秋は何と返すのが正解か分からず、再び不穏な沈黙が流れる。すると、途端にクラスの喧騒が耳に入るようになって、楽しそうなクラスメイトの声にプレッシャーを感じてしまう。
優音も同じようなことを思ったのか、彼女は唐突に立ち上がると、黒板の方へと歩いていった。
秋は内心寂しさを感じたけれど、何事もなかったかのようにスマホを取り出し、意味もなく画面をスクロールする。
やっぱり、外の世界で暮らした経験の浅い自分は変なのだろうか。気が付けば秋はそんなことを考えてしまう。
やはりみんなは自分と話していても、楽しくないのだろう。自分も赤木のように周囲を盛り上げられるようになるにはどれくらいの期間が必要なのだろうか。それとも、あれは一生かかっても自分には無理なのかもしれない。
とにかく今は、優音と気まずい空気のまま終わってしまった事が悔やまれる。
「ねね」
そんなことを考えていたとき、耳元で急に呼びかけられて秋は慌てて雫の顔をそちらに向けた。すると、いつの間にか優音が戻ってきていて、手に何かのケースを持ってそれを雫にアピールする。
「例の里奈ちゃんから借りてきました」
優音はそう言うと、ちょっと自信満々に胸を張って見せる。
「せっかくだから、トランプでもしようよ」
そう言って、優音はケースから束になっているカードを取り出した。
その瞬間、沈んでいた心が跳ね上がるのを感じる。まるでヒーターの電源をつけたかのように、胸の中が温まっていく。
秋は、視線をトランプに向ける。トランプという遊びがあることは知っていたけれど、やったことはなかった。そのせいもあってか、秋はワクワクしてくる。
「ババ抜きって知ってる?」
優音がカードをシャッフルしながら聞いてきた。秋はトランプには四つのマークがあり、それぞれに一から十三までのカードがあることは知っている。またそれに加えてジョーカーなるカードの存在も確認済みだ。しかし、それをどのように使って遊ぶかは全く分からなかった。
秋は素直に雫の首を横に振る。
「じゃあ、簡単にやってみようか」
そう言うと優音は持っているカードの束から十枚程度のトランプを選び取った。そして、その半分を雫に手渡す。そのとき、優音の指先が雫の指に触れた感触があった。しばらくその感覚は指に残ったけれど、それには言及せず秋は渡されたカードを眺める。
「まずはカードを自分にしか見えないように持って」
そう言われて、秋は優音を真似して五枚のカードを扇形に並べて持つ。
「まずは私がジョーカーを持つね」
優音は、そう言って自身の手札に一枚の札を追加する。そして優音は手札をシャッフルした。
「私からカードを一枚とってみて」
そう言うと優音は手札を持っている手を、秋が取りやすいように前へと差しだした。
秋は雫の手でその中の一枚を抜き取る。そして取ったカードを確認すると、それはジョーカーだった。
「ありゃ。運が良いのか悪いのか」
と優音は笑うと、雫の手にあったジョーカーを回収する。
「説明のために、今回はハートの一を取ったということで」
そこで優音がジョーカーを手札に戻し、代わりにハートの一を雫の手に置いた。
「そしたら、雫の手札に一が二枚あることになるでしょ?そうなったら、一のカードを捨てられるの」
秋はそう言われて、一のペアを捨てる。
「そう。それで交互にカードを引いて行って、最終的にジョーカーを持っている人が負け」
優音はそう言うと、雫の手札から一枚取り出来上がたペアを捨てた。それを見て、秋はまた優音のカードを一枚とる。そしてそれを何回か繰り返した後、優音の手札にジョーカーが残った。
「ルールはざっとこんな感じ。大体わかった?」
秋が雫の体で頷くと、優音が再びカードをシャッフルし始めた。なんだか胸がそわそわしているけれど、せっかく優音とトランプを出来るのだ。余計なことに気を取られていてはもったいない。秋は誰かと共有していられる時間は長くはないことを学んでいた。だからこそ、今あるこの優音との時間を全力で楽しもうと決心する。
そのとき、優音と雫の間に突如として壁が現れた。正確にはそれは壁ではなく、優音や雫と同じ制服を着たクラスメイトである。彼は雫にお尻を向けていることにも気が付いていない様子で、優音に向かって言う。
「優音ちゃん、トランプしてるの?いいね。俺も混ぜてよ」
そう言うと、そのクラスメイトは斜め後ろの席から椅子だけを取ってきて、優音と雫と三角形を作るようにして座った。しかし、体は完全に優音の方を向いていて、雫のことなど視界に入ってないようである。このクラスメイトの名前は恭史郎だ。天然パーマの頭が、蛍光灯の光を受けてテカっていた。秋はまだ話したことが無いが、あまりいい噂は聞かない。
しかし優音は、
「いいよっ」
と、恭史郎にも笑顔を向け、快く恭史郎を受け入れた。そのことで、心が針でつつかれたようにチクっと痛むのはなぜだろうか。
そこでそんな様子を見ていた席の近い男子二人も参戦し、結局ババ抜きは五人で行われることになった。
優音が全員にカードを配っていく。雫と優音は対角線上に座っており、カードを引くことすらできない。さっきまでのワクワクしていた気持ちが壊れていくのを感じるけれど、表情には出さないように努めた。
一通りカードが配られると、揃っている数字を捨てていく。最終的には、全員が同じくらいの枚数になってゲームはスタートした。雫の手札にジョーカーはなく、誰が持っているのか今のところ見当はつかない。
その後じゃんけんをして、勝った優音から隣の人のカードを引いていく。やがて雫の番がやって来て、秋は恭史郎の手札の右端からカードを抜き取った。だがそれはジョーカーでもなければ、ペアのできる数字でもなかった。
次に恭史郎の番である。彼は目を細めると、まるでカードの裏に数字がうっすら透けているかのように優音の手札をじっとりと覗き込んだ。
「どれにしようかな~」
と、はっきり言って少し気持ち悪い声を上げながら、カードを吟味している。それでも優音は気にしていないのか笑顔のままであり、恭史郎本人も自覚はないようだ。
ただ、雫の隣の男子二人は完全に引いているのが表情からも分かり、秋はこの二人とは仲良くなれそうだと思った。
一人だけ、他より五倍くらいの時間をかけながら恭史郎は真ん中のカードを引く。
「あぁー、揃わなかったよー」
そう言って、恭史郎はわざとらしく悲しげな顔を優音に見せつける。
「私も、ジョーカー引いてくれなくて残念」
優音は笑いながら、そう冗談で返した。
そして次は優音の番である。優音は特に迷うことなく、隣の男子の手札の右端から二番目のカードを取った。
カードを取られた男子は、何事もなかったかのように淡々と次の男子からカードを引こうとする。しかしその瞬間、
「あっ」
と可愛らしい声が漏れ聞こえてきた。ゲームに参加していた全員が、優音の方を振り向く。
優音は自らの口を手で覆い、恥ずかしそうに顔を下に向けたけれど、時はすでに遅かった。その場にいた全員が、優音がジョーカーを引いてしまった事を理解する。
トランプをやっていたメンバーの間で、笑いが起こった。
「絶対ジョーカー引いたでしょ」
男子の一人が言った。
「いやー、分からないよ?」
と優音は精一杯とぼけてみせるが、顔を赤らめている。そんな様子を見て、秋の動悸は早まった。
そこで再び恭史郎が優音のカードを引くターンとなる。彼はまたもや優音のカードを覗き込んだ。
対して優音は、真ん中のカードを他よりも高く並べている。いかにもジョーカーですよと言いたげだが、はたしてそれは本当なのかそれともブラフなのか。優音が駆け引きを仕掛けていた。
恭史郎は、駆け引きに誘われたことが嬉しいようでにやにやしながらカードを吟味する。
「これがジョーカーかな?」
そうやってカードに指をかけて取るふりをしつつ、優音の反応を伺っていく。
だが優音はあらゆる表情筋に力を入れ、顔を変えないように努力していた。そのせいで変に力が入った顔が、可愛らしい。
そこで恭史郎が言った。
「ねぇ、優音ちゃんって彼氏とかいるの?」
突拍子もない踏み込んだ質問に、秋含めた男子三人は言葉を失う。
「残念ながら、いないかなー」
優音も一瞬驚いたようだが、すぐに表情を戻して答えた。
「好きな人は?」
「今は、いないかも」
恭史郎は、矢継ぎ早に質問をしていく。しかしそんな中で、秋は優音の好きな人はいないという言葉に落ち込んでいる自分に気が付いた。なぜだろうか。それはもはや考えるまでもない。秋は優音が自分のことを好きであったらと望んでいたのだ。そんなことはないとわかっていても。
こんな苦いようで甘い、甘いようで酸っぱい心の動きを感じるのは初めてである。
だが、秋が人知らずショックを受けたことなど露知らず、恭史郎は質問を続けた。
「タイプは、どんな人?」
「ねぇ、この質問トランプに関係ある?」
「関係あるよ。価値観を知ることで、どのカードをどこにおいたか推理しようとしているのだから」
「本当に?」
「ほんと、ほんと。それで、タイプはどんな人?」
そこで優音はやや困ったように、眉をひそめながら答えた。
「優しい人、かな」
「なんだよ、それー。もっと具体的なのないの?過去の彼氏とかはどんな感じの人だった?」
恭史郎の口は止まることを知らずに、どんどん優音の心を踏み荒らしていく。
「ごめん、私彼氏いたことないんだ」
優音の声は、だんだん恭史郎に気圧されて、小さく弱々しくなっていく。だが、そんな変化に恭史郎が気づけるはずもなかった。
「そうなの⁉優音ちゃん可愛いのに意外だね。じゃあ、昔好きになった人とかは?」
「昔好きになった人?」
優音が儚い声で聞き返す。対して、恭史郎は興奮しているのか声の大きさを増すばかりだった。
「そうそう。どんな人を好きになった?」
そう言って、恭史郎は優音の顔を覗き込む。しかし、そこでやっと異変に気が付いたらしい。優音は下を向いて、微かに肩を震わせていた。そして、涙をこらえるように目をぎゅっと強く瞑っている。
そのとき、優音の手からトランプが落ち、床に散らばった。その中の一枚、先ほど優音が高くあげていたカードに描かれたジョーカーの不気味な笑顔が、何か不穏なものを伝えてくるような気がする。
優音はなおも俯いたまま、拳を膝の上でぎゅっと握り何かに耐えるように震えていた。
そこで秋は、いてもたってもいられなくなり、声を上げる。
「トランプはもう、終わりにしよう」
そう言って秋は、雫の体で落ちたトランプを拾い片づけ始める。横の男子二人も、自らのカードをケースへとしまっていく。
しかし、恭史郎だけは頑なにカードを離そうとしない。秋が雫の手を伸ばし、強引にカードを回収しようとすると恭史郎は言った。「なんでもう終わりなの。もっとやろうよ」
そのまるで子供のような態度に、秋はもう我慢の限界だった。そして秋は雫の体を椅子から立たせ、恭史郎を見下すように睨みつける。目が合った瞬間、恭史郎は雫の瞳の奥にある怒りを、嫌でも思い知ることとなった。
「終わりだ」
そして一言、最大限の侮蔑を込めた声で秋は告げる。自分でも驚くほど、鋭い声が出た。その低くて太い声は、恭史郎をすくみ上らせるのに十分だったようだ。彼は慌ててトランプを差し出すと、あちこちの机にぶつかりながら自分の席へと帰っていった。
やがて男子二人が片づけてくれたケースを受け取り、恭史郎のカードを入れてふたを閉めると、秋は雫の体を黒板の方に進める。
そして、まだ書記としての務めを果たしている最中だった里奈ちゃんの肩を軽く叩いた。
「これ、ありがとう」
里奈ちゃんと話すことは初めてだったけれど、今は興奮しているせいもあってか、声を震わすことなく話しかけられた。
里奈ちゃんはいきなり話しかけられたことに驚いたようだが、雫の手が指し示す方を見て、表情を曇らせる。そこには、いまだ体制を変えず、小さくなっている優音がいた。
秋は、ついさっき起こった出来事を簡単に説明する。すると里奈ちゃんは優音の下へと駆け寄っていき、優しく声をかけた。
それを見送り秋は雫の体で教室の外へと出た。少し一人になりたいと思ったのである。
しばらくして授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室へ戻ると横の席は空席となっていた。どうやら優音は早退したらしい。
秋は優音のことを心配しつつも、やれるだけのことは出来ただろうと思う。あとは、優音が元気になることを祈るだけだった。
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