第10話
そして休日、秋は久しぶりに一人の時間を楽しんだ。いや、施設では部屋でくつろいでいるときも監視されていたことを考えると、人生で初の完全に自由な時間だったかもしれない。
家は斎恩が用意してくれた二階建ての一軒家を使っている。雫、美波にそれぞれ部屋があり、キッチンやダイニング、リビングも申し分のない広さで家具まで揃えられていた。秋には雫と美波の二つの体があるとはいっても、豪華すぎる家である。それに、斎恩は秋が施設で学んできたことを知っているようで、家には美波用の筋トレ器具や雫用のヴァイオリンまであった。
そんな贅沢な生活環境の中、秋は前日遅くまで雫のスマホで映画を見ていたため、昼前に目を覚ます。
雫の体の方はすぐにベッドから起き上がらせたが、美波の方は気分が乗らずしばらくゴロゴロさせておく。そして、雫の体の方で朝食兼昼食の準備をしつつ美波の体ではスマホを開いて、サッカーゲームの選手を育成した。こういうとき、体が二つあると便利である。
そんな感じで二分の一重人格の特性を存分に活かしつつ、秋は休日をだらだらと過ごした。
金曜日、秋の学校生活第二週目も終わりに近づいた頃のことだ。まだまだ慣れないことはあるけれど、この二週間で学校生活がどういうものなのか分かって来たと秋は感じる。
今日も、赤木がせっかくやって来た宿題(本当にやったのかは不明)を家に忘れてきて、先生から特別課題を渡されたこと以外は先週と同じように午前の授業を過ごした。
そして迎えた午後、美波の体で赤木を含めた数人とテーブルを囲んで昼食を取った秋はチャイムとともに自分の席へ戻る。今日の午後は二限ともホームルームとなっていて具体的な内容は分からない。
するとそこに森先生が入って来た。室長の号令で挨拶をすると、先生が話し始める。
「まだ新学期が始まって間もないが、今日は早速クラス対抗スポーツ大会の種目決めをしてもらいます」
その一言で、クラスがざわつき出す。そんなみんなの浮足立った様子からも、このイベントがとても楽しいものであることが伺えた。
「種目は去年と同じでそれぞれ男女別の、五人制サッカー、ソフトバレー、ドッジボールの三つや。最低でも一人一種目は参加するように。開催日はゴールデンウィーク前の二日間。だいたい一週間後やな。それまでの期間は、練習や作戦会議に使ってくれや。部活動が無い時間帯なら、事前に申請すればグラウンドや体育館も使えるで」
そこで先生は教壇を降りると、机の間を縫って教室後方へと歩いていく。
「後ろの掲示板に当日のスケジュール表を貼っておくから、それを見ながら参加する種目を選ぶように。特に男子は試合時間が結構かぶっているから注意しぃや」
そこで先生は室長に教壇を明け渡し、自身は教室の後ろからクラスの様子を見守る体制に入った。
そして室長主導の下、まずは全員が必ず参加しなければならない一つ目の種目決めが始まる。
教壇に上った、室長である真面目で周囲からの信頼も厚い女子が声を上げた。
「まず、クラスの方針を確認したいと思います。今回のスポーツ大会で、私たち五組は優勝を目指すのか、楽しむことに重きを置くのか、それとも他に案がある人は教えてください」
そこで赤木が声を上げる。
「それはもちろん、勝ちに行く一択だろ」
その意見に多くのクラスメイトが同調するように頷いた。
「それでは多数決を取りたいと思います」
そう言って、室長は生徒に挙手による投票を促した。
そして多数決の結果、優勝を目指すことがほぼ満場一致で決定される。秋ももちろん、これに投票した。
方針が固まったことで、いよいよ参加する種目決めが始まる。まずは、各生徒が参加したい種目の希望を出して、後々複数種目に参加する人を含めて人数調整をするらしい。
秋はどの種目も魅力的に感じたけれど、やはりサッカーを選ぶことにした。そして、赤木も当然のようにサッカーを選択する。他にもサッカー部が数人と未経験だがこの三種目の中ならサッカーが一番ましだという生徒が何人かサッカーに参加することになった。
そこで種目が決まった人は、同じ種目の人と集まり作戦会議をするようにと室長から指示が入る。
秋は美波の体で立ち上がり、赤木の席に集まった。全員が集まるなり、赤木は興奮した様子で話し始める。
「このメンツなら、本気で優勝狙えるぞ。サッカー部も俺含めて三人いるし、それに俺達には伏兵の美波もいるからな」
それからは、練習の日程を話し合ったり簡単にポジション等を確認したりして時間を過ごした。
しばらくすると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。まだもう一限ホームルームは残っているが、一旦休み時間となった。
それとほぼ同時に、教室のドアが開け放たれる。それと同時に、クラス中の視線が教室前方にあるドアへと注がれた。
そんな視線を一切気にするそぶりを見せず、堂々と教室内を見渡しているのは、おそらく他クラスの生徒だろう。その生徒は肩幅が広く、制服の上からでも鍛え上げられた肉体が伺える。明らかにスポーツマンといった出で立ちだった。しかし、髪はうっすらと染められていて校則のぎりぎりを攻めている。加えて、耳には銀色のイヤリングをしていて、こちらは校則を余裕でオーバーラップしていた。秋は小説で使われていたチャラいと言う表現はこういう人のためにあるのかと学習する。
そこで赤木が顔をしかめながら立ち上がると、チャラい生徒の方へと向かっていく。
「何しに来た、勝夜」
赤木が言った。普段は明るくおどけていることが多い赤木にしては珍しく、棘を含んだ言い方である。それに対して勝夜と呼ばれた生徒はポケットに両手を突っ込み、余裕しゃくしゃくといった態度で赤木にちらっと視線を送った。
「念のため、他クラスの様子を覗きに来ただけだよ。まぁ、万が一にも炎、お前達に負けるようなことはないだろうけど。どうせサッカーを選んだのだろう?いつでも遊んでやるから、頑張って練習しろよ」
と勝夜と呼ばれた生徒が、赤木に言う。ちなみに炎というのは赤木の下の名前で、ほむらと読む。
「何だと。去年は惜しくもお前に負けたけど、今年こそは絶対倒すからな」
赤木はそう食って掛かる。しかし勝夜は全く相手にする様子もなく、鼻で笑いながら言った。
「五点差で、『惜しくも』負けた、か」
そして勝夜はもう赤木から興味を失くしたのか、再び教室内を観察し始める。
そこで秋は、美波の目が勝夜の目と合ったように感じた。それは気のせいではなく、勝夜はやっと目当てのものを見つけたとばかりに口角を上げると、大股で美波の下へと歩み寄ってくる。
「お前が転校生の、美波とかいう奴だな」
勝夜は席に座っている美波を見下ろすような形で、話しかけてきた。秋は勝夜に対して目を逸らすことなく頷く。
「なんか、サッカー上手いらしいじゃん」
勝夜が片方の口角だけを上げて、厭味ったらしく言う。そんな態度が鼻に付いた。秋は今まで、自分に対して腹を立てたことは何度かあったけれど、これほど他人に対してイラっとしたのは初めてである。
「だから何?」
そのせいもあってか、自然と好戦的な言葉が口からこぼれた。しかし、緊張はほとんどしておらず、むしろこの状況を楽しみ始めている自分に気が付く。
「サッカーやっていたの?」
勝夜がなおも高圧的な態度で聞いてきた。そこには自分が絶対に負けるはずがないと言う自信が現れている。上杉にも似たような部分を感じることはあったけれど、勝夜はそれを隠そうともしていなかった。
「まぁ、多少は」
「この前の体育のプレー。あれはちょっとサッカーを齧った程度の動きじゃない」
「見ていたの?」
「勘違いするな。授業が退屈で外を眺めていたら、お前たちの方から俺の視界に入って来たんだ」
勝夜は訳の分からないことを言いつつ、挑戦的な笑みを美波に向ける。
教室はさっきまでの喧騒が嘘のように、静まり返っていた。そして、クラスメイト達は気にしないふりをしながらも美波と勝夜の会話に耳をそばだてている。
「どこのクラブ?」
勝夜が続けて聞いてきた。
「クラブとは?」
秋は勝夜の圧力に負けまいと、声を張って聞き返す。
「俺は東京にあるプロチームの下部組織に所属している。炎みたいな部活でお遊びサッカーをしているやつとは身の入れ方が違う。お前も、こっち側だろ?」
秋はその勝夜の話を聞いて、必死に頭を働かせる。ここで、どこにも所属したことがないと言えば、過去を疑われてしまうことになる。じゃあどこでサッカーを覚えたのだ?と。勝夜が施設のことを推測できるはずもないのだが、秋はできるだけ普通の生徒でいたかった。そのため、自らの過去に不自然さが残るような言動が無いようにしなければならない。
しかし、適当にクラブの名前を言うことも出来なった。勝夜がプロを目指しているなら、他クラブの選手を知っていてもおかしくない。万が一確認を取られたら、美波なんていう人は所属していないという事実が発覚し、余計に疑われる。それに秋はそもそも、日本のプロサッカーチームの名前をほとんど知らない。
仕方なく秋は、事実を織り交ぜつつ嘘をつくことにした。
「どこのクラブにも入ったことはないけど、知り合いに、プロの選手がいて、小さい頃から色々教わっていたんだ」
自分でも、上手く言い訳できたように思える。勝夜も特に不審に思わなかったようだ。
「なるほど、クラブにも入らずあのドリブル、面白いじゃん」
勝夜はそう言うと、にやりと笑った。
「スポーツ大会では、叩き潰してやるから、サッカーを嫌いにならないように気をつけろよ」
そう言うと、勝夜はくるりと美波に背を向け教室を去っていく。そして、廊下で待っていたらしいツンツン頭をした彼のクラスメイトに、
「思ったより、大したことなかったわ」
と言い放った。その後、勝夜の大きな笑い声が廊下にこだまし、教室にも入ってくる。それを聞いて秋はさらにイラっとしたけれど、それ以上に赤木は闘志を燃やしていて、
「美波。絶対に勝夜の奴をぶっ倒すぞ」
と叫びながら、味方であるはずの美波を睨みつけんばかりに見つめてくる。その赤木の顔に、秋は力強く頷いた。
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