第9話
その日から、秋の新しい生活が始まった。
美波の体の方では、休み時間になると多くのクラスメイトが声をかけてくれて、仲良くなった。特に赤木は誰よりも早く美波の席へとやって来て、斎恩からもらったばかりのスマホに登録された最初の連絡先となった。
雫の方は、全員と仲良くとはまだいってないものの、優音を始めとした数人と言葉を交わすようになった。
そうやって、秋は学校生活を楽しみ始めていた。
美波の体の方では、授業中にいびきをかいていた所を先生が唐突に指名して飛び起きた赤木を見て笑った。それに美波の方で受ける授業は、だいたい雫の体で受けたものと同じ内容のため、秋はあまり話を聞いていない。その代わり、赤木と机の下でスマホを出しサッカーのゲームをしてみたり、こっそり本を読んだりしていた。
雫の方では、優音と数学の問題早解き対決を楽しんだ。秋は当然のごとく授業の内容は全て理解できたが、優音もかなりの秀才なようで、授業内容を完璧にものにしていた。そのため、二人は問題を解く早さで競うことになったのだ。勝率は秋が八割程度だったが、優音は負けても頬を膨らませながらリベンジを申し込んで来るのがなんだか面白かった。そして優音が勝利した時には、小声で「よしっ」と言いながら小さくガッツポーズをするのが可愛らしい。
そんなこんなで、秋は新しい生活に徐々に慣れ始めていた。念のため、登下校時などは雫と美波の体を遠くから見守る護衛のような人が付いているが、今のところ上杉に目立った動きはないようである。
そして金曜日になると、美波のクラスで初めての体育の授業が入っていた。
男子は教室、女子は体育館の更衣室で体操服に着替えた後、美波のクラスメイト達は春とは思えない日差しの下、運動場に整列する。
そして耳になじみ始めたチャイムの音が鳴ると、列の前に美波のクラスの担任で体育教師でもある森先生が現れた。それから、先生の合図に従い、屈伸や伸脚、アキレス腱を伸ばす運動をする。
一通り準備体操を終えると、先生が列の後ろにまで聞こえるよう声を張り上げた。
「はーい、今日は体育の初日ということで、まだ友達との仲も深まってないってこともあると思うので、自由時間にします。各自、好きなメンバーで好きなように体を動かしてや。鬼ごっこをするでもよし。倉庫から、ボールを取ってきてドッジボールをするもよし」
そこで先生はわざとらしく間を開け、赤木の方を見る。
「それに、サッカーをするもよしや。とにかく楽しむことを優先して自由に動いてください」
そうやって先生が言うと、クラスから歓声が上がる。そしてみんな、近くの友達と何をするか相談し始めた。
「じゃあ解散や」
先生のその一言で、整列していた生徒たちがあちこちへと散っていく。
秋も美波の体で立ち上がると、赤木が寄って来た。
「サッカー、するよな?」
赤木は秋が頷く前からにやにやしている。どうやら、一刻も早くサッカーをしたくてたまらないらしい。
秋も赤木に頷くと、二人で体育倉庫にボールを取りに行きグラウンドに出た。サッカーはやはり人気なようで、そんな二人の下に続々とクラスメイト達が集まってくる。
最終的に十人以上の生徒が、サッカーコートの中に集合した。しかし、それでもフルでコートを使うには人数が少ない。そのため、分担してミニゴールを運び、実際のコートの半分くらいのコートを作った。
そしてコートが出来上がると、再び集合がかかり、みんなが円を描くように集まる。
「それじゃあ、チームを分けるぞ」
赤木が声をかけると、みんなが拳を前に突き出した。秋もそれに倣い、美波の右手を出す。
じゃんけんをするのだろうか?だが、どうやってじゃんけんでチームを分けるのか、見当が付かない。
しかし、ほかのクラスメイト達は特に疑問を抱いている様子はなかった。
そのとき、赤木が掛け声を始める。
「グッとパーでわかれましょ」
その台詞を赤木が言い終わると同時に、何人かのクラスメイトがパーを出した。他の生徒はグーを出したままで、じゃんけんであればこれでグーを出した生徒の負けである。
しかし、今回のじゃんけんはこれで終わる気配が無かった。
「わかれましょ」
赤木が続けて、声をかける。また、数人がパーに変えた。逆にパーからグーに戻った人もいる。しかし、それを何回か繰り返しても誰もチョキを出さなかった。さすがに秋も、これが普通のじゃんけんではないと気づき始める。
そしてさらにもう一度掛け声がかかった所で秋はこの特殊なじゃんけんの意図を理解した。これはグーとパーの二つの手しか出せないようにすることでチームを分ける方法なのだ。
そこで、秋は次の赤木の掛け声が終わると同時に、ずっと握られていた美波の手をパーに変える。
すると、ちょうど半数の人数がパーの手を残りがグーの手を出している状況になった。
「ふー、やっと決まったぜ」
赤木が言った。そして、今しがた決まったチームごとに、クラスメイト達がコートに広がり始める。
秋は赤木に近づいて、声をかけた。
「今のじゃんけん、なんて言うの?僕、田舎から出てきたからやったことなくて」
「グッとパのこと?って美波、やったことないの?」
「うん」
「えー。地方によっては、掛け声が違って去年の今頃は手を出すタイミングが合わないなんてこともあったけど、やったことない人は初めてだ」
赤木はかなり驚いているようだった。もしかしたら、今の言動は非常識的だったかもしれないと秋は反省する。そして、適当にごまかしつつ、秋は美波の体をフォワード、つまり点取り屋のポジションに付かせた。
そして試合が始まり、秋はボールを追いかけつつも、内心では嬉しい気持ちが広がっていくのを感じる。
外の世界に来て気が付いたことだが、今のグッとパのようにいくら本で読んでも学べない知識を得ることはとても楽しかった。
やがて、赤木から美波の足もとに正確なパスが送られてくる。美波は顔を上げて周囲の状況を把握してからボールをトラップした。ゴールまでの距離は遠くなく、その間にはディフェンスが一人いるだけである。
秋は美波の体を前に向けると、施設で覚えたようにドリブルを開始した。すぐにディフェンスがボールを奪いに来るけれど、秋はそれを簡単にかわして見せる。後ろから赤木が、「行け」と叫ぶのが聞こえてきた。美波の額を汗が伝うけれど、それすらも気持ちが良いと感じる。
やがて秋はキーパーと一体一の状況になった。秋は相手の動きを注視しつつ、キックフェイントをしてキーパーの重心が左に傾いた瞬間に右側へとシュートを放つ。
逆をつかれたキーパーは慌てて手を伸ばすも、ボールはゴールの右隅に吸い込まれていく。
やがて背後から歓声が上がった。それから、赤木と他のチームメイトが駆け寄ってきて、
「ナイスプレー!」
「上手いな」
「美波、お前最高だぜ‼」
とそれぞれ、秋の得点を称えてくれる。それぞれとハイタッチを交わしながら、秋はこれまでに感じたことのない達成感のようなものを感じていた。秋はサッカーの面白さを垣間見たのである。
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