第37話 感情爆発
「エルサ!」
エルサに護られてしまった。
不死身の体質である俺が、特異体質者でもないエルサに護られてしまった。
こんな情けない話あるかよ。
今目の前ではエルサのメイド服が引き裂かれ、布切れがパラパラと宙を舞っている。
引き裂かれた布の隙間からは当然のようにエルサの地肌と下着が露出してしまっていた。
俺はそれらに目をもくれず、刹那に声をかけた。
「刹那、ルーカスの次の行動を読んでくれ。一か八か、俺が倒す」
「わかったが……き、気をつけるのだぞ」
俺は返事をせず、ルーカスに向かって走り出した。
その時だった。
俺の顔の産毛が逆立った。
比喩ではない。確かに、その感覚を味わったのである。
「なにっ!?」
叫んだのはルーカス。彼はエルサを掴む手を離した。その手は火傷しているように爛れている。
「エル……サ?」
「許さない」
ビクッと俺の心臓が跳ねた。
いつものエルサの話し方じゃない。
淡々とした話し方ではなく、それは感情といっていいものが込められていた。
それは人として当たり前のことだが、エルサにとっては物珍しいのひと言で片付けられないほどの大ごとである。
エルサは確実に、怒っていた。
「な、何を許さないって?」
「ハルト様が! わたくしのために! 買ってくださった! メイド服を! 切り裂いたことを、許さないと言ったんだ!」
エルサが俺の前で初めて叫んだ! 初めて怒り狂った!
そしてその怒りは、紫色の雷を伴った。
「エルサ……?」
「ネタバラシをしようか? 僕がここにいる理由。それは……」
「黙れ」
エルサはチェーン付きクナイに雷を纏わせて射出した。
どういう理屈かは知らないが、より鋭利になったらしいクナイはルーカスの大胸筋すら貫いた。
「うっ……ごはっ!」
クナイに胸を貫かれ、宙に固定されたルーカスが盛大に血を吐いた。
それを見たエルサは怒りが少し鎮まったのか、紫色の雷の放出が少しスケールダウンした気がする。
「主導権はわたくしだ。聞かせろ、お前はなぜここにいる」
「もう分かっているんだろう? 君は特異体質者だ。感情が生まれると、それに応じた属性を扱えるようになる。まるで魔法使いのようにね」
「……怒りの感情は雷ということか」
「そうだ。だがそれはあまりにも強力すぎた。他の感情が表に出れば、他の属性を扱えるようになる。だからカルマーは君の感情を封印するように徹底して育てた。組織は君が死んだと判断したみたいだけど、君が簡単に殺されるわけがない。僕は個人で動いて、君を殺しに来たのさ。この腕でね!」
ルーカスは筋肉をさらに増強させ、巨腕を振るってエルサに襲いかかった。
「白銀の魔女よ、左に一歩! その後前に一歩だ!」
刹那の指示通りに動いたエルサは見事にその巨腕をすり抜けた。
「ナイスだぞ、刹那!」
「ふふ、ここぞというときに役立つのが我だ」
見事なドヤ顔を披露する刹那に親指を立てた。
ルーカスはクナイを無理やり引き抜いて、胸から大量に出血させた。常人なら倒れていそうだが、特異体質者に常識という言葉が通じないのは俺がよく分かっている。
俺はエルサの隣に立ち、なるべく優しく微笑みかけた。
「エルサ、少しは落ち着いたか?」
「……いいえ。この激情は、あの男を葬らない限り鎮りません」
「そうか」
その感情を否定しない。
戦力的な意味でエルサには怒りの感情をキープしてもらわないといけないって理由もある。だが1番は、彼女に自分の感情と向き合って欲しいのだ。何年振りかの感情爆発なんだろうしな。
「行くぞエルサ。ルーカスを倒す!」
「はい!」
エルサはルーカスから見て右に、俺は左へ駆け出した。
「ふふ、そんなもので連携などとは言わせないよ!」
両腕を太くしたルーカスはその腕を大きく振るう。近づいたら骨ごと粉砕して吹き飛ばすぞという脅威を見せびらかしているようだ。
だが、関係ないね!
「エルサ!」
「はぁぁあ!!」
エルサの放つ雷は筋肉量に関係なく、その体を痛めつけた。
「ぐっ……」
だが恐ろしいことに、ルーカスはこれだけ雷撃を受け続けてもまだ余裕がありそうだ。もしエルサが先にガス欠でもしたら、形勢は一気に逆転する。
考えろ、雷撃は有効なんだ。それを踏まえて早めに決着をつける方法……何かないか、何か!
ランナーズハイではないが、今の俺はバトラーズハイとでも呼ぼうか。ともかく冷静に辺りを見渡すことができている。
……それだ!
俺は視界に入った"それ"を目掛けて走り出した。
「晴人、お前!」
「刹那、ルーカスの動きを見ておいてくれよ」
「分かった!」
「エルサは引き続き攻撃してくれ! 俺は合わせる」
「はい!」
刹那もエルサも、俺の意図に気がついたみたいだ。
「何をする気かは知らないけど、君にも限界はあるぞ!」
「やかましい口だ」
エルサは口元にも雷を放つ。次は足、そして首。本当に殺意の高い女だと思う。
だが何でかな。この出会ってから半年の中で1番、今この瞬間のエルサが輝いて見えるよ。
エルサは最後に決め切ると言わんばかりに、胸の刺し傷目掛けて雷を放った。
今だ!
「刹那!」
「少し左に逸れるぞ!」
「ナイスだ!」
俺は手に取ったボウガンに高圧電流の流れる矢を装填した。その後はもう刹那の指示に従って引き金を引くのみ!
気持ち左に矢を撃つと、ちょうどルーカスの肩甲骨の下あたりに矢が突き刺さった。
「う……ぐあぁぁぁぁぁ!」
後ろからは高圧電流の矢。前からはエルサの理不尽な雷撃だ。
どんなパワー野郎でも、これは効くだろ。
ルーカスは大絶叫ののち、膝を折って顔面から倒れた。
あの減らず口も、ようやく静かになる。
終戦を確認した俺はわざとらしいと取られても仕方ないような尻餅をついた。
「ふぅ……まーじで疲れた」
「お疲れ様だ晴人」
「ありがとう刹那。お前がいて助かったよ」
なんかまったりした空気になったがまだやることがあった。一之瀬星華だ。
俺は一之瀬星華の元へ駆け寄り、頬を軽く2回叩いた。
「おい一之瀬星華、生きているか?」
「まっ……たく、遅い……のよ」
一之瀬星華は弱々しくも悪態をついた。強い女だな。
赤いドレスからは血が出ている。ボウガンに撃たれたのに無茶して銃を撃ったんだから無理もないか。
「生きているならいい。エルサ、止血のためのものはないか?」
「ならこれをお使いください」
エルサは切り裂かれたメイド服を脱ぎ、それを当て布にしろと提案してきた。
下着姿になったわけだが、いま欲情は湧いてこない。
エルサには俺の上着を貸してやった。
「……いいのか? 俺が言うのもおかしな話だけど、大切なものなんだろ?」
「だからこそです。ハルト様なら、人助けに使うでしょう?」
無表情で淡々とそう言うエルサからは、いつもの彼女に戻った安心感を受けた。でも同時に、少しの寂しさも感じる。
「ありがとう」
俺は礼を言って、メイド服の布を使って一之瀬星華に止血を施した。
「うっ……」
「我慢しろ。下手すりゃ死ぬぞ」
アドレナリンが切れて痛覚を感じるようになったのか、一之瀬星華は辛そうな表情を浮かべていた。
一通りの応急手当てを終えると、大バルコニーに1人の刑事が鬼の形相でやってきた。確認するまでもなく、多島さんだ。
辺りを見渡した多島さんは俺に当てつけのように大きなため息を吐いた。
「はぁぁぁ、やっぱり面倒なことになっているな、くそ」
「すみませんね、毎回毎回厄介なことに巻き込んで」
「本当だよ、くそが」
善良な一般市民にくそなんて言わないで欲しいものだ。
「そいつは筋肉量を自由にコントロールできます。ただの手錠ならぶっ壊されますよ」
「安心しろ、どんな化け物が出てもいいように象用の拘束具まで持ってきた」
「用意周到ですね」
多島さんは仰々しい拘束具を、意識を失っているルーカスに装着した。
まぁ、流石にあれを壊せることはないか。
「晴人よ、そろそろここを離れたほうがよいのではないか?」
「確かにそうだな。昼時も終わるし、人も集まってくるかも」
「心配すんな。バルコニーには立ち入り禁止の看板が置いてあったぜ」
「え?」
「……アタシよ」
一之瀬星華は声を振り絞った。
「そうか、巻き込みたくないってのは本当だったんだな」
「ふん」
一之瀬星華は力なく生意気な態度を取った。
俺たちは多島さんが呼んだ医療班が来るまでバルコニーに待機して、一之瀬星華とルーカスを預けてから部屋に戻った。
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