第33話 エルサと二人
当然、朝の目覚めは最悪だった。
時刻は8時半。約束の時間まであと3時間半と迫っていた。
夢の中の俺がさくっと解決してくれていたなんてことはなく、現実の俺が解決しなければならないようだ。
「起きろエルサ、刹那。朝だぞ」
ベッドが大きくて肌が密着しないため、今朝はスケベタイムがない。寂しさなんて感じていない。感じていないさ。
エルサ、刹那の順に起きて、レストランで朝食を食べた。
部屋に戻ると開口一番、刹那が大声をだした。
「我は今日も映画館へ行くぞ! 晴人よ、今日こそついてきてもらうぞ」
「一応聞くが、何を観るつもりだ?」
「恒久の闇は深淵の王と踊る〜シーズン2〜。上映時間3時間45分の超大作だ」
「観てられるかそんなもん!」
だからなんでそんなクソ映画っぽいものがシーズン2まで作られる! あと長い! 約束の時間に間に合わないじゃないか。
俺があっさり断ると、刹那はまた文句を言って部屋から出ていってしまった。
あいつはいいな、なんというか気楽に生きていそうで。
「ハルト様、バルコニーに行く時間までどうされますか?」
「ん、どうするかな」
意外にもエルサはバルコニーの時間を心待ちにしているように見えた。そんな期待を裏切る誘いになってしまっていること、本当に申し訳なく思う。
12時まで、残り2時間。
何も解決策が思い浮かばない自分に腹が立つ。
そんな俺を気遣ってか、珍しくエルサが提案してくれた。
「ジムがあるみたいです、体を動かしませんか?」
「……いいね、そうするか」
ジッとしているより、体を動かしていた方が何かを思いつくかもしれない。
エルサに案内されてジムを訪れると、この施設だけ明らかに人気がなかった。まぁ、超高級ホテルに来てまで体を鍛えようって奴がどれだけいるかって話だよな。
俺たちのプランにジムの無料券は付いていなかったが、あまりに人気がなさからか、ランニングマシン1時間300円とこのホテル基準では破格の安さだった。これなら無料にされるまでもないな。
無料でレンタルできるランニングウェアを着て、いざランニングマシンだ!
と思ってカーテンを開けたら、隣にメイド服の女がいた。
「……え? それで走るの?」
「いけませんか?」
「そこまでこだわる?」
「はい」
「はいってお前なぁ……」
前代未聞だろ、五つ星ホテルのジムで爆走するメイドなんて。
まぁいいや、こうなったエルサは俺には止められない。
諦めてランニングマシンを起動させ走り始める。
まずは1キロメートルを5分ジャスト。つまり時速12キロの速さで慣らしていく。
まぁだいぶ速い方だが、エルサのクナイ特訓を生き延びるにはこれくらい走れるようにならないと死ぬからな。人間、命が関わると頑張れるものだ。
チラッとエルサ師匠の方を見ると、汗ひとつかかずに1キロメートル3分ジャストのペースで走っていた。時速20キロ。ハーフマラソンの日本タイムに挑むレベルだ。
「ハルト様、視線がいやらしくございます」
「いやらしくないわ!」
メイド服の胸部が揺れているなー、くらいは思ったけど!
「なるほどなるほど、確かにランニングウェアの方がへそチラなど期待できますね」
「うーーん」
否定はしない。
おっと、エルサに構っている暇はなかった。
……なぁ、このカメラで見ているんだろ一之瀬星華!
俺は今からこのランニング中に、お前に勝つ方法を見つけてやるからな。
カメラに向かってほくそ笑んで、走って、走って、走り続ける。
速度を上げ、自分を追い込んでいく。
激しく息はキレるのに、頭がポワポワとしてきた。
脳にモヤがかかったような、そんな心地。悪い気分はしない。むしろ、雑念すべてを取り払えそうだ。
これぞ、ランナーズハイ。
俺が至った状態の名前だ。
脳から一切の雑念を排除し、走ることにのみ集中する陶酔状態になる。だが、俺は走ることではなく、エルサと出会ってからのことすべてを脳内で整理した。
走って、考えて、走って、考える。
15分ほどランナーズハイの状態を保った脳で得た可能性に、俺は歯を食いしばった。
「ハルト様、終わりましたよ。……ハルト様?」
「……あぁ悪い。ちょっとぼーっとしてた」
ランナーズハイはここで終了だな。……これだけ維持できれば十分だ。
「ハルト様、シャワー室がありますので利用します」
「おう、俺も利用するよ」
エルサの方は全然汗をかいているようには見えないけどな。メイド服で走っていたのに。それも後半はずっと正解記録ペースで走っていたのにだ。
シャワーで汗を流して、頭も体もスッキリした。
正午まで、あと30分か。
少し早いが、バルコニーに行っていてもいいかもしれない。下見にもなる。
「エルサ、そろそろ約束のバルコニーに行かないか?」
「かしこまりました。求婚の準備は整いましたか?」
「うーん、オーケーしてくれるのか?」
「ちょっと無理です」
「ちょっとってところに優しさを見出してやるよ」
ごちゃごちゃ言いながらも10階の大バルコニーに移動した。
大と名のつくだけはあって、広々としたバルコニーだった。海が見えるように柵の側には机とテーブルがあり、コーヒーなんか持ち込んだらその辺のカフェより雰囲気が出そうだ。
「絶景ですね」
「そうだな、すごく綺麗だ」
少し風が強い。顔に正面から吹く風を感じるくらいだ。
正午まで、あと15分。
こんなにいい景色なのに、人が少ない。というか、いない。
一之瀬星華の言った通り、お昼時には人が減るらしいな。
さぁ、あいつはどこで俺たちを見ている? カメラの位置から場所は割れているはずだ。
「ハルト様」
「お、おう。どうした?」
エルサのことすっかり忘れていたぜ。いざとなったらエルサの力頼みなのにな。
「わたくしは感情を殺すように育てられてきました。ですがなんでしょう、今のこの胸の高鳴りは。これが、楽しいということなのでしょうか」
「エルサ……あぁ、絶対そうだ!」
俺は思わずエルサの肩を掴んだ。
エルサはそれでも眉一つ動かすことなく……
「ありがとうございます」
冷静にそう返答した。
……昨日から俺はいったい何をしていたんだ。
俺の目的は一之瀬星華を倒すことじゃない。惚れた女の、エルサの笑顔を見ることだ。
だったら向き合うべき女は……
「お前じゃないぞ、一之瀬星華!」
「ふふ、バーン!」
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