第26話 5つ星ホテル

 時は流れ師走。

 俺とエルサは暖房を使うことなく、冬の寒さを乗り越えてきた。

 寒波は俺たちの光熱費など知ったことがないとばかりに襲ってくる。その毎日は震えとの戦いだった。


 頑なにメイド服でいることに謎のこだわりを持つエルサは、もう見ているだけでこっちも寒かった。

 隣に住む刹那の部屋から暖房の音が聞こえてきた時は何度乗り込んでやろうと思ったことか。


 だがしかし、そんな我慢の生活と今日からはしばしの別れだ。

 なぜなら俺たちは……


「行くぜホカンス!」


 そう、今日から五つ星ホテルでのバカンス……最近の言葉で言うところのホカンスに赴くからだ!


「ふっふっふっ、筆頭眷属よ、ついにこの日がやって来たな!」


「あぁ、こんなボロアパートともおさらばだぜ」


「たったの2泊3日で帰ってきますが、大丈夫ですか?」


 各々テンションに差はあれど、みんな楽しみにしていたイベントであることに変わりはない。

 俺なんて久しぶりに正装しようってことで中退した高校の制服を引っ張り出してきたんだぞ。テンションの上がり方が違うってもんだ。……ちょっと精神的にキツイが。


 刹那だってオフ会で着ていたあのフリルがついた黒いドレスだ。気合い入っているなというのがひと目でわかる。

 対してエルサはいつも通りのメイド服だ。なんだよそのこだわり。


「とにかく楽しむぞ! いくぜ五つ星ホテル!」


 案内状によると俺たちの最寄駅に送迎用の車が来てくれるらしい。なんてVIP待遇。いや、この世界ではそれが当たり前なのかもしれない。


「ハルト様、みっともないのでキョロキョロしたりしないでくださいね」


「し、しねぇし!?」


 危ない危ない。たぶんみっともなくキョロキョロするところだった。

 予定の時間通りになると、駅のロータリーにそれっぽい車がやって来た。


 なんか勝手に高級車をイメージしていたけど、よくある普通のバンだった。

 ……まぁそんなところにお金を使っていられないわな。


 バンからは黒いタキシードを着た清潔感に溢れる男性スタッフが出てきて、俺たちに一礼した。


「お待たせしてしまい申し訳ありません。伊月晴人さま、エルサ・イェルソンさま、結城刹那さまですね?」


「はいそうです。今日はよろしくお願いします!」


「ご丁寧にありがとうございます。では車内へどうぞ。おもてなしとしてはつまらないものですが、ウェルカムドリンクをご用意しております」


 バンに乗り込むと乗り心地は最高だった。

 見た目より快適さ、見た目のより中身だな。うんうん。


 ウェルカムドリンクを受け取り、念のためエルサに目配せして毒物がないことを確認して飲んだ。

 炭酸の効いた、味の表現が俺にはできないジュースだった。大人な味? という表現で今回は逃げさせてもらおう。

 それを飲み干して、そういえばと刹那に顔を向けた。


「っていうか刹那って本名だったんだな」


「うむ。珍しいから本名でも構わんだろうと思って配信したら意外に見られたから焦ったぞ。まぁ誰も本名と指摘する者はいなかったが」


「そりゃそうだろうな」


 刹那って名前が本名とは誰も思わないだろう。


「名前でいえばエルサさんは名字がイェルソンなのか?」


「はい。北欧では珍しくもない名字ですよ」


「そうなのか」


 一緒に住んでいるのに、初めて聞くようなことがいっぱい出てくるな。


「ハルト様、もう都会でございますよ」


「ん? おおっ、こんなビル群は久しぶりだな」


 カルマーに追われるようになってからは一度も来てなかったからな。本当に久しぶりだ。


「なぁ晴人、ホテルってどのあたりなのだ?」


「海が見える場所だからもう少し先に行った所だろ」


「なるほどな。オーシャンビューというやつか」


「中二病っぽく言えなかったから横文字に逃げただろ」


 あははと車内は俺と刹那の笑い声で包まれた。

 エルサは……まぁ確認するまでもなかった。

 そのまま車に揺られて15分。ついにホテルに到着した。


「みなさま、お待たせいたしました。当ホテルに到着です」


「ありがとうございます。すげぇ……」


 感嘆の声を漏らすのも許してほしい。

 だってもはやただのホテルではなく、これは統合型リゾート! ここでできないことはないんじゃないかと思えてくるほどデカい建物だった。


「ハルト様、キョロキョロしないでください」


「あ、悪い悪い」


 案の定やってしまった。貧乏が染み付いているな。今回の旅行で抜けるといいんだが。


「みなさま、チェックイン作業をいたしますのでこちらへお越しください」


「はーい」


 スタッフさんに従い、俺たちはチェックイン作業をした。

 両親が健在だった頃は旅行とかちょくちょく行っていたからなんとなくわかるけど、一番いい部屋ってわけではなさそうだった。

 でもボロアパートに比べたら天地の差であることには変わりない。上には上がいるってだけだ。


「お部屋までご案内させていただきます」


「ありがとうございます」


 スタッフさんの案内で、俺たちは20階へ行くためのエレベーターに乗った。


「こういうホテルで連泊される方っているんですか?」


「というと?」


「あぁいや、なんかセレブってホテル暮らしみたいなものをイメージしていまして」


「なるほどなるほど。確かにもう2ヶ月くらい泊まられている方もいらっしゃいますよ」


「2ヶ月!?」


 ここが最低でもいくらするのかは知らんが、仮に1泊5万円だったとしても300万円だ。

 眩暈がする計算なんてするべきじゃなかった。脳がついていかないぜ。


「ハルト様、お気を確かに」


「うっ、悪い」


「さぁ、着きましたよ」


 20階に到着すると、落ち着いた雰囲気のドアがいくつも並んでいた。

 どうやらこの最高級ホテルの中では普通の部屋に案内されるらしい。


「なんかホテルの廊下って緊張して小声になるよな」


「わかるぞ晴人よ」


「叫んでみたらどうです?」


「主人を道化にするな」


 小声で話し、小声で突っ込んだ。

 ホテルの廊下とはそういう雰囲気がある。


「こちらでございます。それではわたくしはここで失礼させていただきますが、何かご質問等ありましたらお部屋の電話をお使いください」


「ご丁寧にありがとうございます」


「いえいえ」


 向こうが丁寧だとこっちも心が落ち着くな。

 最後に部屋のキーを受け取り、スタッフさんに一礼した。


「よし、入るぞ」


「うむ!」


 キーは電子カードをかざすと開くシステムになっており、ハイテクさをのぞかせていた。

 小さい電子音と共に部屋のロックが開くと、ついに部屋とのご対面だ。


「おー!」


 感嘆の声を上げるのはもはや当然のことだった。

 照明も、ベッドも、大型テレビも、暖房も、金庫も、冷蔵庫も。そのすべてが今住んでいる環境とは格が違うのだから。


「見よ晴人! 各種サービスの無料券がテーブルに置かれているぞ」


「本当か? 見せてくれ」


 木目調のテーブルにはWelcomeと書かれていた。そんな英字の書かれた白布の横にはバケットが置かれていた。バケットには何枚ものチケットが重ねられている。これが無料券だな。


 まずスパの無料チケット×6。1人2回行ける計算だ。

 次にバーのドリンクチケットが9000円分。これは相場がわからないから凄みがわからんが、とにかく貰えるものは貰っておこう。


 さらに今日の夕食のチケットと、明日の朝食・昼食・夕食。そして最終日の朝食チケットがある。最高級レストランのビュッフェ、今から心が躍るってもんだ。

 加えて各種サービス、例えばサウナ付き温泉施設の入場券など、細々したサービスのチケットが入っていた。


 諸々込みでいくらすんだろう。こりゃすげぇわ。


「素晴らしいですね。何時間あっても楽しめそうです」


「今は15時ちょうどだから、夕食まで時間はある。何かやりたいことはあるか?」


「スパに行きたいです」


「我は映画館に」


 バラバラかよ。エルサと刹那の思考が重なる時はあるのだろうか。

 どうしたものかと考えたけど、別にわざわざ一緒に行動する必要もないか。


「んじゃ夕食まで自由行動にするか」


 俺のその言葉に、まるで反射するかのように2人は食いついた。


「ならば晴人も映画館だよな?」


「ハルト様もスパですよね?」


 えっ、どっちかとは行動を共にしないといけないのか? ギャルゲーのルート分岐かよ。


 まぁ別に今からどこかに行こうと決め込んでいたわけではないからいいんだけど。

 だがなんだこの圧は。どっちも断ったら殺されそうだぞ。


「ち、ちなみに刹那は何の映画を見るんだ?」


「スカルデッドキングダムー永遠の闇シーズン4―」


「なんで知らない映画のシーズン4を見せようとしてくるかな」


 一度も聞いたことがない映画タイトルなんだけど。なんでシーズン4まで続いた? あとなんでこんな一流ホテルでそんなの上映しているんだ。


「エルサのスパマッサージは?」


「わたくしは背中と足のスパマッサージをと思っています」


「ふむ。まぁ俺もスパマッサージにしようかな」


 ぶっちゃけ映画に興味がないだけだ。もっと普通の映画だったら検討できたけど。


「むー……もうよい。我1人で行くからいいもん。我孤高の闇だもん」


 もん、って。20歳が使う言葉か?

 ちょっとだけ不満そうに刹那は映画館へと足早に駆けていった。どうやら上映時刻が迫っていたらしい。


「じゃあ俺たちもスパに行くか。日頃の疲れを癒してもらうかね」


「日頃の疲れ? 家事はほぼすべてわたくしがやっていますし、ハルト様の生活のどこで疲れるのですか?」


「……そういうことは今言わないでよ」


 カルマーとの戦いとか、そもそもカルマーの存在そのものがストレスだったりするんだよ、こっちだってさ。

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