第12話 風呂を覗く

 あいつめ……ちょっと強くて美人で俺のタイプでメイド服が似合っていてクールで頭もいいからって調子に乗りやがって。


 待てよ、あいつもしかして俺に風呂を覗いて欲しいのか? 思えばほぼ毎日こんなやり取りしているぞ。

 はっはーん。分かっちゃったもんねぇ。あいつ恥ずかしいんだ。だから俺のせいにしたいんだな、わかるわかる。


 だったらよぉ、俺がそのドアをぶち開けてやるよ! そうすりゃお望み通りその裸、この目に焼き付けてやる!


「よぉエルサ! お前俺に見られたかったんだな!」


 なんかハイになって、自分でもよく分からないまま風呂場のドアを開けてしまった。

 我に帰ったのはその0.5秒後だ。エルサは表情こそ変わらないものの、俺から視線を逸らし、身体を隠すように丸まった。

 初めて見るエルサの背中はほくろひとつもない、彫刻のように美しい背中だった。丸まっているから胸が圧縮され、背中側からでもはみ出している部分が見えてしまっている。


「あっ」


 我に帰るのが遅かった。というか、横乳が目を覚ましてくれた。

 エルサは100均で買ったプラスチックの桶をノールックでぶん投げ、俺の鼻先に見事当ててみせた。そのまま倒れた俺は洗面所の天井を見上げることになる。


「ハルト様、いやゴミ屑ド変態。ついに本性を現しましたね」


「いやその、あの……」


 なんの弁明も思いつかない。

 確かに理不尽に煽ってきたのはエルサだ。だからといって覗きをしていい理由にはならない。そんなこと小学生でも分かることだ。


 エルサはバスタオルを体に巻き、俺の前に仁王立ちする。

 いや、その格好も刺激強いんだけど。見上げる形になるから背徳感もやばいし。

 エルサの太ももを伝う水滴を見てしまう。やはりこう、下半身からモワッとするものは這い上がってきた。


「わたくしの身体を見られて嬉しかったですか? コンマ数秒でしたでしょうけど、見られましたよね? 胸も、その先端も」


「い、いや! 誓ってそこは見てない! 見れなかった!」


「どうだか」


「本当だって! なんなら今見たいくらいだ」


 言ってからハッとした。また何を言っているんだ俺は。

 エルサはこれでも無表情を貫くが、心底軽蔑しているのは何となく分かった。


「はぁ、気色悪い」


「ご、ごめん……ただエルサもさ、少しはその、煽りをやめてくれないか。俺だって男なんだし、エルサも言うようにエルサのことはどストライクなんだよ」


「そうですか」


「煽られたら体も心も反応してしまうし、こういう行動だって我を忘れてしてしまうかもしれない」


「そうですか」


「だからエルサも少しは改めてくれないか」


「そうですか」


「さっきから『そうですか』しか言わないな!」


 めっちゃ怒っているってことだ。いや当たり前だけど。

 どうしたら許してもらえるだろうか。とにかく誠意を、誠意を見せなければ!


「煽られて我慢できないのなら……」


「え?」


「直球勝負、されたらどうです?」


 エルサは真顔で、でも視線を俺から逸らしてそう言った。


「え、どういうこと?」


 意味がよくわからなかったので聞き返すと、エルサは馬のように足を後ろに上げて俺の顔面を蹴り上げた。


「痛っ!」


「一生その痛みで悶えていてください」


 そう言い残し、エルサは入浴を再開した。

 俺はそそくさと洗面所から脱出してころころ転がって痛みを逃した。


 なんて情け無い姿だろう。多島さんに見られたら腹を抱えて笑われそうだ。

 痛みが引いてくるとどうしても先ほどのエルサの体が脳裏にフラッシュバックしてしまう。悪いことをしたとは思うが、こいつは頭から離れないようとしない。

 逆だな。頭がこの記憶を離そうとしないんだ。


「お先にいただきました」


「エルサ様大変申し訳ありませんでしたぁ!」


 エルサが洗面所から出てきた瞬間にスライディング土下座をした。プライドなんて0。明日の生ゴミと一緒に捨てるつもりだった。


 エルサはもうネグリジェに着替えており、肌の露出は抑えられていた(それでも思春期男子には目に毒な服ではあるが)。


「さっさとお風呂に入ったらどうです?」


 エルサは俺の土下座を無視して通り過ぎた。

 許してくれたわけではないだろう。ただ流しているだけだ。

 ここで床に額を擦り付けてもどうしようもないので、とりあえず風呂に入ることにした。


 直球勝負って、何なんだよ。

 逆に俺はいま変化球で勝負しているのか? 意味がわからん。

 考えれば考えるほど、エルサの思惑がわからなくなってくる。


 とはいえ、今回の件で悪いのは俺だ。どれだけ煽られようと、覗いてしまったらこちらが悪い。

 念仏でも唱えて邪念を吹き飛ばそうか。そう思っていると、風呂場のドアがバーン! と勢いよく開いた。


「きゃぁぁあ!」


「何ですかその女々しい叫びは」


 突然のことに俺はエルサと同じく身体を丸めて屈んでしまった。

 男らしくねぇ! ここは堂々と見せつけ……るのもおかしいな。絶対におかしい。


 なんとか冷静さを保った俺はギロリとエルサを睨みつけた。

 いったい何のためにこいつはこんなことしたんだ。やり返したつもりか? 男の入浴シーンと女の入浴シーンが同価値と思っているのなら大間違いだぞ?


「なるほど、確かにこの一瞬では大事なところを見るのは難しいですね」


「お前、まさかそれを確認するためだけに俺の風呂を覗いたって言うのかよ!」


「はい、そうですが」


 何か? と悪びれもせず、エルサはさも当然かのように答えた。

 ここまでくると清々しい。でも見方を変えればだが、もしかしてこれでおあいこにしてくれたのかな。


「っていうかもし見えたらどうするつもりだったんだよ。不快だろ?」


「ハルト様の物を見たからと言って、感情が揺れるほどカルマーは甘くありませんので」


「あーそうかよ。アホらしい」


 だったら遠慮する必要は無いな。普通に洗体を再開させてもらうぞ。

 正面を向いて、スポンジで身体を擦る。


 普通に、といえどやはりエルサの視線は気になるな。

 チラッと横目でエルサを確認すると、エルサは体こそこちらを向けているものの、目は完全に俺から逸らしていた。


「ど、どうしたエルサ。感情は揺れないんじゃなかったか?」


「うるさいですよハルト様」


「う、うるさいって……」


「失礼します」


 エルサは一礼して洗面所から立ち去った。

 動揺した……わけじゃないよな。だってあのエルサだし。

 訳がわからん。もういいや、さっさと風呂に浸かって疲れを取ろう。


 下手すりゃ一之瀬星華とのバトルより疲れたぞ。といってもまぁ、戦闘はほとんどエルサに任せっきりだったけど。


「あー、これからどうなるんだか」


 エルサからの軽蔑、カルマー問題、一之瀬星華を逃したこと。

 風呂場みたいに1人でポツンといるとどうしても脳裏によぎってしまう。


 ダメだダメだ。こんなところに長くいたら鬱になってしまう。

 俺は浴槽から立ち上がり、さっさと着替えて洗面所から出た。


 エルサは狭い部屋にポツンと正座していた。

 いつもの光景だが、今はそれにも若干恐怖の感情を抱く。


「エルサ、もう寝るか?」


「……そうですね。身体に疲労が溜まっていますし、早寝した方がいいでしょう」


 エルサは頑なに目を合わせてくれない。怒っているんだろうなぁ。

 しかし、どんなに怒っていても同じベッドで寝なければならない。貧乏とは辛いものだ。


 いつも通り俺が壁側、エルサが広い部屋側を陣取って横になる。一応、俺が理性を失った時にエルサに逃げ道があるようにと考えて生まれたフォーメーションだ。

 まぁ、手を出したら得意のクナイで急所をぐさりといかれるだろうけど。


「ハルト様」


「な、なんだ?」


 まさか話しかけてくるとは。ちょっとびっくりだ。

 お互い背中を向けているので、エルサの表情は見ることができない。たとえ顔を向き合っていたとしても表情がないから意味ないが。


「どうしてハルト様は無茶をなさるのですか? 今朝だって子どもを守って……」


 説教が飛んでくるかと思ったが、エルサの声色には不安や心配といった感情が乗っている気がした。俺の都合のいい受け取り方の問題かもしれないけど。


「……そりゃ不死身だから、子どもを守れるのなら無茶するだろ」


 痛かったけど、命には換えられない。

 それにあの子どもが飛び出したのはメイドのエルサに飛びつこうとしたからだ。メイドのせいということは、その主人である俺のせいということでもある。


「不死身であるからハルト様は自己犠牲が強いきらいがあります。それはいつか身を滅ぼしますよ」


「そうかもな。でも、俺は俺の見てみたいもののためにこれからも無茶すると思うぞ」


「見てみたいもの?」


「あぁ。でもエルサには内緒だ」


「……なんですか、それ」


 エルサはまたちょっと不機嫌になったみたいだ。

 こんな臭いこと、今さら言えるかよ。

 だって、出会った日に言っているからな。2回も声にしたら格好つかない。

 俺は、エルサの笑顔が見たいんだ。

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