第40話ノワール


 舞が終わった。完璧に舞えたはずだ。



 閣下に暗殺者排除の報告と共にアレックスに触れる許可を得る。


 ここのところの働きに対する対価は必要ですよね、閣下。苦虫を噛み潰したような表情で頷く閣下、勝った。



 アレックスの元へ身体が滑るように動く。真っ赤なお耳を食べてしまいたい。



「アレックス、髪を結いましょう。」


 声に優しさを滲ませてアレックスの髪に触れる。さらさらと零れる髪が心地好い。アレックスが望む優しい私に上手く擬態できているはずなのに、アレックスがこちらを向いてくれない。それを良いことにアレックスの髪の手触りを存分に楽しむ。



 やがて、うっとりと目を閉じるアレックスが子猫みたいに可愛い。私の至福の一時を閣下が無粋にも邪魔してきた。


「ノワール、アレックスの髪飾りはないぞ。」


 閣下、不機嫌オーラのまま嗤うのは止めてください。魔王のようですよ。





 ふいっと気付たような顔でアレックスが衣装の上衣を少しめくり上げた。困ったような表情が可愛い。可愛いが、ちらりと見えたアレックスの素肌に目が行く。



「父が髪用の鈴飾りを編み込んじゃったんだ。」


 清楚な純白の上衣から顕れた深紅の上衣がアレックスのキメ細かな白い素肌を引き立てて悩ましい。


 これ以上見ていられなくて慌ててアレックスの上衣を戻す。慌てたせいで、指先がアレックス指先に触れて心臓を鷲掴みにされたような感覚が走る。アレックスの指先に触れただけなのに、情けないくらいアレックスの全てに心を奪われる。


 なのに、素直じゃない私は指先に触れたことに気付いていないふりを決め込んだ。



 アレックスに向き合う。神話の中に月華の舞を踊った華陽王が鈴飾りを月華姫に付けるシーンがあったな。きっとこの黄金の鈴飾りはアレックスに映えるに違いない。黄金と翡翠で出来たこの鈴はアレックスの色をしているのだから。



「アレックス、ならば私の鈴飾りを付けてもいいですか。きっとアレックスの髪に良く映えますよ。」


 アレックスが唇を尖らせた。我が儘を言う合図。この顔が可愛くて何でも願いを聞く私は最早アレックスの虜と言っても過言ではない。


 アレックスが私の手首の鈴飾りを指差した。先程口付けた鈴、まさかね。



「だったらノワール、これを付けて。」


 アレックス、気付いていて言っていますか?それともたまたまこれを指差したのですか?



「これでいいのですか?」


 期待させないで下さい、アレックス。あなたは時折ひどく残酷だ。



「これがいいんだ。」


 これででなくこれが、なんですね。私が必死で押し殺している恋情にあなたは油を注いで火をつけるのですか?



「この鈴欲しいな、頂戴。」


 あなたに薄汚い情欲を燃やす男に上目遣いでおねだりなんてしてはなりません。いつか、痛い目を見ますよ。


 でも。



「差し上げます。あなたの欲しいものは全て。」


 ええ、あなたに乞われるならば、私はこの命すら差し出すでしょう。 



 アレックスの髪を月華姫の髪型に結う。手首の鈴飾りを編み込み、願いを込めた。


 アレックスが幸せでありますように。



 手段を選ばずアレックスを手に入れたい私と、アレックスの幸せを願う私。相反するふたつの感情に引き裂かれそうだ。望むならアレックスには私の腕の中で幸せそうに笑っていて欲しい。



「アレックス出来ましたよ。」


 私の下心に気付かれぬよう優しく語りかける。踊りやすいようにきっちりと結われた髪型は見る人が見れば解る私の所有の証。古の時代の婚姻の儀式に則ったもの。



 あとは、華陽の舞を踊り髪をほどけば婚姻が成立する。だから、この憐れな男に期待させないよう、くれぐれも引っ張らないように注意する。



「アレックス、とても綺麗です。」


 ため息が漏れる程美しいアレックスを外に出したくない。私は多分この人が男でも女でも愛してしまうのだろうなと思った。




「アレックス、この鈴を触ってはなりませんよ。」


 もう一度釘を指して鈴に口付けを落とした。アレックスの表情に甘やかな色が交じる。今まで見たことのない表情にドキリとする。


 そんな顔をすると誤解してしまいますよ。



 誰に浚われないか心配で舞台袖まで付いて行こうとした私をアレックスが笑顔で制する。



「頑張って練習した月華の舞をこの特等席で見て欲しいからここから絶対に動かないでね」


 アレックスが小指を絡ませる。私が絡み合う小指の感触に心を奪われている隙にアレックスが私の元からするりと逃げ出した。後にはシャラシャラと響く美しい鈴の音だけが残った。




 アレックスを追い掛けようとした私に、背後からの重苦しい殺気が襲い来る。リヴィエラ公爵とその取り巻き共め仕方ない殺るか。私が魔術式を展開しようしたその時。



「わらわも髪を結って欲しい。」


 リヴィエラ公爵夫人がポツリと呟いた。



 途端空気が重苦しい殺気から、暑苦しい甘さに変わる。空気が読めないのか?それともこの一触即発の空気を読んだ上なのか?彼女の思考は全く読めない。



 呆れ果てた四天王と、夫婦をしみじみと眺める執事。



 そして、喜色満面で対抗意識を燃やし複雑に夫人の髪を編み込むリヴィエラ公爵がいた。


 夫人に魔法玉を渡したのは正解だったのかもな。



 幸せそうなリヴィエラ公爵と目が合う。



 それとこれとは別だと言わんばかりに睨んでくるが、目に先程までの殺気はない。どちらかというと危険なほどの色気が勝っている。あなたの大切な側近達が真っ赤になっているので、もう止めてあげてください。


 私もいつも冷静で尊敬する自分の父親が恥じらう姿は見たくありません。



 リヴィエラ公爵がライラの髪型の方が美しいとマウントを取ってきたが、拗らせた大人を相手にするのは疲れるので、そうですねと軽く同意しておいた。



 鏡を見ながら満足そうに頷いた夫人がぽつりと呟いた。


「我が子とは言えわらわ以外の髪を結ったなら、もう二度とわらわの髪には触れさせぬところであった。」


 真っ青になるリヴィエラ公爵。私はすかさず呟いた。



「閣下、貸し1ですね。」


「うぬぅ。」


 リヴィエラ公爵の腕の中で夫人が軽く目配せした気がした。


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