第19話ギルバート
父はリヴィエラ公爵に仕える四天王の一人、それは俺の誇りだった。子供の頃から救国の英雄リヴィエラ公爵は俺の憧れの人だ。
幼い頃、リヴィエラ公爵のご子息の学友候補として遊びに行った俺はそこで天使と会った。
淡くハチミツを溶かしたような美しい髪に翡翠の瞳の儚げで守ってあげたくなる綺麗な子だった。キラキラと輝く瞳が可愛くてみんなに優しいその子を守ってあげなければと思った。初恋だった。
でも俺は、天使が構うトロくてのろまな奴にイタズラをしてリヴィエラ公爵家に出入り禁止になってしまった。
リヴィエラ公爵家の学友落選。
父にこっぴどく叱られてしまったけど、それ以上に天使と会えなくなったことに酷くショックを受けた。
それ以来、リヴィエラ公爵令息アレックスは俺の敵だ。あのトロくてのろまな奴がアレックスに違いない。
アレックスは背が低くて、ノワールを振り回す我が儘な奴だと聞いている。それを聞いたときは本気で学友に落選して良かったと思ってしまったが…。
今年になっていきなり2年次に編入してきて、ファイヤーボールひとつまともに出せない奴が専用トイレだと?
ふざけるな。
俺が意見してやる。
アレックスが入ったという個室の前に仁王立ちをして待つ。後ろには男子学生共がずらりと待つ。他の学生も不満があったようだ。
学園一の鬼才ノワールは男女ともに人気がある。その奴を顎でこき使って振り回すアレックスには皆不満が溜まっていたのだろう。
その上、こんなふざけたトイレなど作れば平等を重んじる学園の風紀が乱れる。
小汚なかった男子寮までノワールに命じて綺麗にさせたくらいだ。噂どおり相当な我が儘令息なのだろう。
扉が開く。光を浴びて溶けてしまいそうな程甘く淡い髪色、翡翠の瞳のあの天使が目の前にいた。髭一つ見当たらない白くすべらかな頬に形の良い淡い桃色の唇、儚くもあどけない顔立ちなのに、制服は俺と同じ男子用。そして、リヴィエラ公爵令息専用トイレから出てきた。背中をつぅーっと冷や汗が伝う。俺が長年想い続けていた天使は、もしや。
驚きすぎて、仁王立ちのまま天使を眺めた。立ち竦むその姿すら愛らしい。天使に名前を聞きたいのに、言葉が上手く出てこない。
天使に近寄ろうとしたその瞬間見たことがないくらい剣呑な表情をしたノワールが天使の前に立っていた。
「ギルバート、アレックスに何用だ?」
アレックス?この天使がアレックスなのか?驚きすぎてアレックスに言おうと用意していたセリフが飛び出した。
「平等を重んじる学園に自分専用のトイレを作るとは良い度胸だと思ってな。」
いやいや、天使にそんな事言いたくない、閉じろ俺の口。
「アレックスが作った訳ではない。リヴィエラ公爵閣下が学園の全てのお手洗いを改装するついでに作られただけだ。」
ノワールが憮然と言い放った。そうだよな。しかし、俺の口は止まらない。
「たとえ閣下が作られたとしても、それを平然と使うのは筋が違うのではないか?」
俺に同意するように、後ろの男子生徒達が頷く。俺が一番同意してねーからな。天使が俺らと同じトイレを使うなんてありえねーだろ。
ノワールが俺達を見やり、ため息をついた。うん、思ってることわかる。
「お前達はアレックスに自分の粗末な物を見られる勇気はあるのか?そして、アレックスの目にさらされながら平静に用を足し続ける自信はあるのか?」
俺にはそんな度胸ねーよ。決して粗末とは言わさねー自信はあるし、誰に見られても構わねーが、天使にだけは無理だ。
その時ノワールの背中から天使がひょっこり顔を出した。曇りのない美しい翠色の瞳が俺を見る。穢れない純粋な視線に恥ずかしくなって目を逸らす。
その時天使が呟いた。
「そうか。見られるだけじゃなくて、見えちゃうこともあるよね。粗末ってなんの事?立派な体格してるけど…。」
きゅるんっと、子リスのように小首をかしげる天使の無垢さに全身の血液が沸騰した。
それから先の事は覚えていない。ただ、俺たちには天使を侮辱した天罰により集団食中毒を起こしお腹を壊したという噂がたった。しかし、自分達の名誉の為に誰一人それを否定するものはなかった。
あの日、あの淡い桃色の唇から紡がれた『粗末』と『立派』の単語が脳裡から離れることはもうないのだろう。俺はその日を境に歳上の女性達との遊びから手を引いた。
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